擬似的真実に礼



「道場のご息女だ。筋はよろしい」
 背の高いその男と、名字名前が並べばまるで大人と子供のように見える。彼女はその齢の女性にして特別大きくも小さくもないが、対する男の背丈が飛び抜けているのだ。道場の境を、背を丸めくぐる必要のある彼の体躯は、重い鎧を脱ぎ木綿の道着に着替えてなお充分な迫力を纏っていた。
 ガウェインにしてもそうだが、元来の鍛え方が違うのだ。動乱のブリテンで生まれ、騎士として幼い頃から鍛え抜かれてきた体は、国家より賜される無理難題を担い熟すだけの耐久力と瞬発力を蓄えている。
 名前の生家は彼の言った通り、界隈ではそれなりに名の知れた町道場であった。幼い頃から学生時代、そして今に至るまで師範である父のもと竹刀を握ってきた彼女だが、こうして実践に近い仕合稽古をしてみればあまりの根本的力量差に驚かされる。一本を取ればそこで仕切り直しとされる道場剣術とは違い、彼らの胆力は無尽蔵だ。肉を切らせて骨を断つことを当然とする太刀筋は、それが実践を想定しているだけに、彼女にとっては衝撃的だった。
「これでも、ガウェインに数ヶ月間鍛えられたんだけど」
「なので褒めています。素地も確かですし、吸収も早いのでしょう。まさに努力家の太刀筋です」
 ランスロットは晴れ晴れとそう言って、息ひとつ乱れぬ肩を大きく張る。己のマスターに正面から向き合い、正当な評価を下しながらも、どこか浮かれはしゃいで見えるのは彼がこの状況に高揚しているためだ。
 話は数時間前に遡る。


「秘密特訓を……していると?」
 サーヴァントであろうとも、三度の食事とついでに午後のティータイムを欠かさない彼らが、修練のない日中の時間帯にこの場所へ集っていることを名前は知っていた。そのため日課の道場稽古へ誘うため、ガウェインに声をかけに来たのだが──その事実に想像以上の反応を示したのは、名字名前による二度目の英霊召喚でここカルデアに再顕現した、湖の騎士ランスロットであった。
「ええ。私とマスターによる、密なプライベートレッスンです」
「なんと……」
 どこか優越を含ませて、ガウェインはそう返す。マントを大げさに翻しながら立ち上がった彼につられ、席を立ちかけたランスロットを手で制し、彼は続けた。
「第一のサーヴァントである私ですら、あの場所へ招かれるまで一月はかかった。ランスロット卿、貴公といえど彼女の深層領域へ踏み入るのはまだ早い」
「なんと」
 彼は二度驚嘆し、そして打ちひしがれたようテーブルに手のひらをつく。名前に召喚されてからというもの、カルデア発信の鍛錬やシミュレーションには常に同行し、貪欲にマスターとの連携を強化してきた彼にとって、そのような話は寝耳に水であったのだ。後に残る逸話から受ける印象があまりに過激であるため忘れられがちだが、本来ランスロットは円卓随一の勤勉さを誇る騎士なのである。
「あの、隠すつもりはなかったんです。稽古をつけてもらえるならぜひ」
「な……」
 マスターのその言葉を受け、今度はガウェインが言葉をつまらせた。
「マスター、あの場所は時とともに心を許した者にのみ開帳する、マスターの柔き不可侵領域では」
 彼にその自覚があるのかは知れないが、どことなく艶めいた言葉選びに気圧されて、名前は多少困惑する。
「……あそこはカルデア技術部の好意でわざわざリソースを割いて再現してもらってる霊子空間だから、有効活用できるに越したことはないんだ」
「そうですか……マスターがそう言うのなら、止めることはしませんが」
 己の心境がどうであろうと、マスターの意向を尊重するのは彼の騎士としての矜持である。が、それでいて己の心境をも包み隠さずに主張するところが、実直すぎるとも言える彼の愛嬌であり、誠実さでもあるのだ。

 そのようにしてカルデア地下部の擬似空間へ向かうことになった一行であったが、一際気色ばんだランスロットがこほんと一つ喉をならし、マスターへ問うた。
「聞けば、マスター手ずから着付けをしてくださると」
 彼がそう言ったのは、ガウェインが道すがらにこぼした赤裸々な体験談からだろう。遡ること三月、ガウェインが初めてこの場所へ足を踏み入れようとしたとき、彼は己の霊衣の在り方をどうするべきかと逡巡した。足元まで甲冑を着込んだ自分に対し、マスターは素足である。加えて磨かれた木の床はつやつやと柔らかく光っている。
「悪いけど、土足は厳禁だし、この場所では西洋の甲冑はあまり有用じゃないかもしれない」
 名前にそう言われ、手渡されたのは彼女と同じく紺色の道着だった。特別にジャポニズムへの憧れがなくとも、西洋の騎士である彼にとって日本式の衣服や礼儀作法は興味深いらしい。ガウェインは「おお……」と感嘆を漏らしそれを受け取った。受け取ったはいいが、いまいち着用方法がわからない。こじんまりとした男性用の着替え部屋で道着を羽織り、前を合わせたところで考え込んでいると、がらりと躊躇いなく扉が開き名前が入ってきた。
「すみません、着方がわかりませんよね」
 今思えば、今より多少硬い口調でそう言って、彼女はごく自然なそぶりで彼の前併せを整えた。まだ結ばれていない袴の帯を手に持って、ぐるりと太い腰に腕を回す。驚いたのはガウェインだった。
「マスター、そのように男児にするよう世話を焼くのはいささか……一応、これでも貴方に仕える騎士であり、男なのです」
「ご……ごめんなさい、道場では初心者の着付けをよく手伝っていたから」
 帯紐を結び終えたところでそうこぼしたガウェインに、彼女は取り乱して言い繕う。顔を上げれば確かにそこに立つのは大層立派な剣士であった。体格や姿勢が良いからだろう。初めて袖を通す道着をも堂々と着こなして、ミスマッチであるはずの金の髪すら整然と藍染めの色に馴染んで見える。
 名前はその勇姿に一瞬見とれ、それから彼の出で立ちに感心した。
「やっぱり、剣技を極めた者は国や流派を問わず、皆似通った立ち振る舞いをするのですね」
 鎧越しにはわからない、彼の武人としての肉体がそこにあった。師範である彼女の父や、上の段を持つ武道家を前にしたときにも似通った気配を感じたことがある。
 彼女がガウェインに心の内を話したのは、彼の姿に知人の面影を見たからだ。過去を生きた一人の人間として、彼女は初めて自分のサーヴァントの息づかいを認識した気がした。そして今まで奇跡的な魔術の延長として、身にあまる高位の存在として持て余していたことを恥じた。信頼のないところに絆は生まれないし、また絆がなければ騎士という剣を最大限に活かすことはできないと悟ったのだ。

「おお、これは」
 そうして今、二人目の騎士としてこの場所へ招かれたランスロットが、道着を広げ感嘆の声を漏らしている。着方がわからないとマスターを見つめるその男から、ガウェインのような慎ましさはうかがえない。
「でしたら私が教えましょう。ランスロット卿」
 笑顔で申し出たガウェインに、マスターはお願いするねと一言告げ、女性用の着替え部屋へ入っていく。そうしたやりとりを経ても、曲がりなりにも騎士である彼らが険悪になることはないが、「なぜです! あなたも通ったフラグイベントでしょう!」と息巻くランスロットの声に、遠慮のようなものもまたない。
 そのように浮き足立っていたランスロットであったが、道着に着替え、面を被るための癖でいつもよりわずかに高い位置で髪を結った名前が、杉板の床に立っているのを見たとき──その細い肩から続くしなやかな腕が竹刀を握り、袴の裾がわずかに空気を含むのを見たとき──思わず大きく息を飲み込んだ。
 側から見ていたガウェインには、彼がそのとき何故黙ったのかがよくわかった。一瞬彼女に何かを重ね、そしてすぐに振り払ったのだ。
「では名前、手合わせをいたしましょう」
 鎧を脱ぎ、異国の稽古着に身を包んだ二人の騎士と、一人のマスターが礼をする。それは擬似空間に宿る一つの奇跡だ。山茶花の花が、あるはずのない風を受け花弁を揺らす。ちぐはぐに、しっくりと、彼らは素足を踏みしめる。レプリカの今と、ホンモノの未来へ向けて。

二〇二〇 二月二十四日
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