陽光の推移



 ガウェインが初めて自らのマスターを目にしたとき、彼女はうっすらと口を開け放心しているように見えた。自分を喚ぶ者にしては脆弱だ。彼は率直にそう思い、そう思った自分を恥じた。
「よろしく。サー・ガウェイン」
 細やかな音色をした声だ。およそ人の抱く感情のすべてがそこに詰まっており、彼女の内心によってそのバランスはいちいち揺らいだ。緊張や不安、信頼、親しみ、憤りや焦燥といったものが見え隠れし、またそれらを律するよう励んでいることも窺える。その素直さと真面目さを彼は好ましく思った。
 同時に懸念も抱いた。彼女は武力を使役するには柔すぎる。円卓の騎士という剣を、己の武器として振るうには優しすぎると思ったのだ。


「目の前に伝説の剣があったとして」
 板張りの床に正座をし、彼女は静かにそう言った。
「私は抜かないのだと思う。きっと抜けないのだろうし、抜こうともしない」
 "道場"と呼ばれるその施設には常に静謐な空気が漂っていた。西洋の鍛錬場とはまた違う、剛柔を内包したような不思議な静けさだ。庭には常緑の植え込みが茂り、開け放たれた一枚の引き戸から名の知れぬ赤い花が顔を覗かせている。彼女の実家を模したという擬似空間は、たとえレプリカであろうとも彼女の心身の拠り所となっているらしい。修練のため、また気持ちを鎮めるためよく訪れるのだと言っていた彼女が、ガウェインをその場所へ通したのは出会って一月が経った頃だった。
「でもそこに傷ついた人間がいたとしたら別です。とっさに手に取るだろうし、抜けないならそこらの棒を拾ってでも応戦したいと思う」
「……」
「大義のために尽くせるほどの覚悟はない。でも目の前の傷を見過ごすことはできない。中途半端だけれど、あなたが仕えているのはそういう人間です。……そういう人間だと、割り切っていた」
 彼女は区切るようにそう言うと、ガウェインの方を見た。視線の移動に合わせ、結われた黒髪の先が揺れる。乱れなく整えられたその黒を見て、ガウェインはまるで墨で描かれた真っ直ぐの線のようだと思った。水墨画に流れる細くしなやかな滝。この空間とも、彼女の口から発せられる繊細な声とも、よく調和している。
「何か心境の変化でも」
 自らのスタンスを過去形で述べた彼女に対し、彼は当然の疑問を呈す。名前の言ったことは騎士王に仕えた自分に対するアンチテーゼなのだと思っていたが、何かその先があるのだろうか。
「強くなりたいと思ったんです。だって今は、目の前のことでなくても想像ができる。想像ができてしまう」
 人理修復という途方もない偉業を成した後、この施設には幾人かの魔術師が再度召集された。失われたAチームを補うほどの補充は無論不可能だろう。けれど協会の査問を前に、座へ還した英霊たちを、もう一度喚び戻すにあたり"彼"の負担を軽減する必要がどうしてもあったのだ。
 彼が駆け抜けた特異なる人類史を、その狂騒の旅路を知った者ならば、誰しも今までの価値観などは容易に覆されるだろう。まだ年若いこの娘ですらそうなのだ。体裁と利権の保持に必死な魔術協会の幹部らも、本当は皆気付いている。気付いているからこそ、彼らは未だこうして相次ぐ亜種特異点の鎮静にカルデアの召喚システムを使い続けているのだろう。
 ガウェインは己を喚び戻す依り代とも言える目の前の女を見据え、その言葉を問いただす。
「貴殿の言った"大義"が、目の前の傷の延長にあると気付いたと」
「その通りです。視野が広がるということは、本来見えない傷まで見えてしまうということ。選ばれた人間がいるのではなく、自らその重責を選ぶのだと、」
 そう思えば──。彼女の語尾が板間の床にしんと響く。紺色の道着と、これは杉張りだろうか──艶やかに磨かれた深い色の木目は、妙齢の女性を彩る色合いとしてはいささか素っ気ない。
「"彼"の気持ちが、そしてかの騎士王の気持ちが……少しだけわかった気がした」
 彼女はそう結ぶと、固く引き締めていた頬をわすかに緩ませ、対面に座したガウェインに向けて手を伸ばす。
「不足ばかりだろうけど、召喚した以上私はあなたのマスターです。一緒に戦ってもらえれば嬉しい」
「……己の内面を自覚し、律し、研鑽を積む人間のどこに不足がありましょうか。このガウェイン、何処までもあなたと共に」
 握り返したガウェインの目に曇りはなく、けれどこれまでの一月、己のマスターを脆弱であると懸念した自分を内心で恥じていた。彼女は確かに強くはない。騎士王の持つ無尽蔵の胆力も、カルデア最後のマスターと言われた"彼"の持つ、本人は平凡と言ってはばからぬ驚異的なまでの柔軟さも、受容力も、持ち合わせてはいないのかもしれない。けれどそれ故──ガウェインは似ていると思った。
 似て非なる者であるが故に、そこに同じ誠実さを見出す。矛盾しているようだが、その評価こそがガウェインという男の本質でもあった。自分を召喚する者に対する、根本的な信頼。裏を返せば己の存在に対する絶対的な自信が、逆説的にマスターの肯定に繋がるのだ。
 その循環に、ともすれば本人すら気づかず、ただ滅私のもと忠誠を誓う。
 誉れある太陽の騎士として最期まで騎士王に仕えた人生は、英霊になってなお彼の存在を善たらしめていた。それだけの王であり、それだけの国であったのだ。彼を召喚した少女の驚きは正当と言える。
 もっともその後、少女は二度、三度と相次いで驚くことになるのだが──。円卓の騎士たちと、とあるマスターの"やや"運命的な出会いと交流はまだ別の話である。

二〇二〇 二月二十四日
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