09 褥の上

「不思議なものだ」
 背後から聞こえた王様の声に、薄れかけていた意識が戻る。
「どれほどの時が経とうとも、女の体というものは変わらぬ」
 彼はそう言って私の背中をゆっくりと撫でた。窓から差す月明かりが寝台の上を仄青く照らしている。この時代は月ですら霊力を纏うのだろうか。行為後の体を癒すように、肌に染みていく気がして心地いい。同時に体の奥と、肌の痣がじんじんと痛んだ。
 初めてのことなので、そこにどれほどの配慮があったのかはわからない。けれど、私が想像していた加虐的な激しさのようなものはついぞ感じられなかった。
 我が身に起きたことを思い返しながら、またうとうとと目を閉じる。

「安心をしろ。酷くはせぬ」
 王様は私を寝所へ導くと、自らの帯を解きながらそう言った。この時代の寝間着というものは心許ないものだ。結び目を一つ解くだけでみるみる肌が露わになっていく。
「まあ、加減もせぬがな」
 次いで私の帯紐に手をかけ、目を伏せたまま彼は少しだけ笑う。寛いでいるし、愉しそうだ。先ほどの問答時に感じた厳しさも今はなりを潜めている。けれど決して穏やかではない。月光を映した王の瞳がぎらりと光るのを見て、私はとっさに目を閉じた。
「ふ、月が眩しいか」
 眩しいのはあなただ。あらゆる光を映し込み、反射させ、また自らも煌煌と輝いている。科学のないこの世において、一番に眩いのは神や王の光気だった。私たち人間が文明によりかき消したのは夜空の星だけではないのだ。
「こんな夜には、異国の情緒を肌で味わうのもよかろうさ」
 珍しい酒を器の中でくゆらせるように、彼は私の顎を持つ。希少な物品を蒐集する王にとって、私は何よりの嗜好品だろう。国どころか、時代も価値観も何もかもが異なる希少種だ。ここで日々、王に抱かれる女性たちがどのような感情を抱くのかは知らない。身にあまる栄誉と思うのか、消費される心身に物哀しさを覚えるのか、それとも、芽生えゆく王への恋慕をひた隠すのか──。
 素肌に感じる寝台の敷き布の上で、私は自らの首を絞めるとわかりながらも、故郷のことを思い出していた。
 魔術師の家系に生まれ、一人娘の私は当然のように一族の後継者となった。両親は厳しいが愛情深く、私が魔術協会から宣告を受けたときも、立場を捨て最後まで庇ってくれた。友人も少ない方ではなかったと思う。恋も──ささやかだが経験をした。カルデアからの招集に応じるにあたり、きっぱりと捨て去った程度の想いと言われればそれまでだが、いつかまたあのような気持ちを誰かに抱いたときには、今度こそ打ち明けて隣に添えればいいと思っていた。多くの人が抱くのと同じ、漠然とした願望だ。
「何を思っている。不敬な女よ」
「王、さま」
「操を立てた男でもいたか? 安心をしろ。我に抱かれた後、他の男の記憶などは残らん」
 王の肢体が、月を逆光に私の上へと降りてくる。神に造られた玉体だとイェトラさんは言っていた。男の造形などろくに知らない私でも、その美しさはわかる。美とは相対値ではないのだ。絶対の価値をふりかざす王を前に、私がとれる対抗策など何一つないように思う。
「狭いな……歳はいくつだ」
「もうすぐ、じゅうはちに」
「ふむ、十の半ばを過ぎたにしては随分とおぼこいな」
「……っ」
 覆いかぶさってすぐ、確認するよう指を入れられ羞恥の前に痛みを感じる。ウルクの女性は早熟だ。数えで十五を過ぎれば、身に纏うカウナケスは優美な曲線を描くようになる。
「だが悪くない。線は細いが、女としての機能は充分だ。月の物はとうに来ていような」
 あけすけな確認にうなずくこともできずにいると、彼は聞かずともわかるという顔で指を抜いた。仕切り直すよう腕を掴まれ、口づけをされる。何もかもが初めてのことだ。それなのに彼は、食べ慣れた果実の品質を確かめるよう、事務的さすら感じさせる手つきで私の体をほぐしていく。どう反応を返せば良いかわからず、翻弄されているうちに涙が滲んだ。
「……何を泣くか」
 高揚からくる涙でないことくらい王様はわかっているはずだ。それゆえの疑問なのかもしれない。生まれたときから絶対の王であったこの男は、女に拒まれたことがないのだろうか。
「愛する人と、することです……私の世では」
「阿呆め」
 私の言葉に、彼はため息をつき指先を伸ばす。目尻を拭われ、大きな掌に吐息が篭った。
「そんなことはいつの世でも変わらん」
「……じゃあどうして」
「この行為に愛がないと? 王よりの寵愛ではないか。慶んで受けよ」
 そう告げる彼の目に曇りはなかった。彼には私を貶めるつもりも、汚すつもりもないのだ。ただ傷つけるつもりは──やはりあるのだと思う。自らの寵愛を、何にも勝る褒美として賜そうとしていることに嘘はないだろう。けれどそこに男としての優越感や嗜虐心がたっぷりと含まれていることも確かだ。所有と支配をこそ行動原理とするこの王は、息をするよう女に手を伸ばし、奪い尽くす。
「恐ろしければ目を閉じていろ」
 私の肩を掴むその手は、想像していたよりも幾分か優しい。事務的と思えた手つきも、肌を傷めつけないよう力を殺しているせいなのかもしれない。処女を抱き慣れた王は、身を強張らせた私のような女をどう扱うのが一番いいか熟知しているのだ。
「だが、我以外を思うことは許さぬ」
 肩口からゆっくりと這わされた手が胸へ、腹へ伝っていく。追うように落ちる唇は、たしかに慈しみといえるものを纏っていた。たとえそれが私個人でなく、処女という存在そのものへの祝福だとしても──せめて私だけは彼を思い、この行為に必然を見出さなければ虚しすぎると思った。
 けれど決して縋りはしない。それが私に許された唯一の砦だ。月の見える夜の中、心に構えた小さく、頑強な砦を思う。

2019_03_01


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