Ao no awai no.3 



 花やテーブルクロスの色は決めた。お色直しは一回。ウエディングドレスと、背中の空いたイブニングドレスだ。

 私は目を開けて少しのあいだ頭上の刺繍柄を眺めた後、水差しの水を一口飲んだ。
 だいぶ上へと登ったためか、天蓋の隙間から外を覗くと霞んだもやがずっと下方を流れていくのが見えた。まるで天国のようだ。カーテンから雨を覗く子どものように、しばらくのあいだ外を眺め、また布を重ね合わせる。目が覚めるたびに決まってしていることだ。天蓋の内にはいつもほんのりと香がかおっていた。棚に置かれた果物は常に新鮮で、水差しの水は新しく、私はそれらを少しずつ口にして布団へと戻る。
「顔色が冴えぬな」
「なんか寝過ぎて、頭痛くなっちゃったみたい」
 私の覚醒に合わせて薄目を開けた王様が、姿勢を変えながらこちらを見る。
「それより王様、プランニングのつづき」
「……ネクタイの色であったか」
「それはこの前決めたでしょう。王様のネクタイは私のドレスに合わせて、無地のシャンパンゴールドです」
「ゴールドはよいが、スーツが白というのが気に入らぬな。まるで花嫁の引き立て役ではないか」
「そんなことないですよ。王さまは素材がいいからきっと白が似合います。それより、入場の曲どうします?」
 この空間に心身とも慣れてきたためか、最近では私の眠りの方が王様よりも深いくらいだ。目が冴えているうちにいろいろな話をしておきたい。彼の声を聞いていると、ここがどこで自分が誰か悩まずに済むのだ。
「王と妃の登場に、ちゃちな音楽などは必要あるまい」
「そうかなあ。映画の曲とか流したいけどな」
 言葉はきちんと返してくれるものの、やはりそこまで興味はないようで王様はあれこれと妄想を続ける私にため息をつき、背を向けてしまった。布団がずれて肩が冷えたため、私も彼の方へ寝返りをうつ。霊子体には内臓がないのか、お腹が冷えないのはありがたいが、代わりに手足が妙に寒かった。空間の青をうつしたように血色が悪く、こすり合わせてもうまく体温がともらない。
「……お手紙どうします?」
「手紙だと?」
 私は王様の背中におでこを付け、背を丸めて寄り添った。
「花嫁が両親に向けて読むんです。でもだいたい、泣いてぐずぐずになることが多いからなあ」
「茶番だな。感謝をしたければ衆目の前でなく個人的に告げろ」
「それもそうですね。じゃあキャンドルサービス」
「暗くするとガルラ霊がわきかねん。照明は落とすな」
「はい。じゃあつぎは……お料理。これは大事ですよ」
「式場を五つ星ホテルにでもすれば、シェフもパティシエもそれなりの者が揃っていよう。なに、どうせ主賓は味わう暇もないのだ」
「たしかに。こだわっても泣きをみますね」
 頭の中でできあがっていく結婚式は理想的なはずなのにどこか浮世離れしていて、想像すると笑ってしまう。五つ星ホテルの披露宴会場でマイクを向けられるギルガメッシュ王を思い浮かべ、私はばれないように肩を揺らした。
「でもケーキは好きな味にしたいな」
「……貴様は何が好きなのだ」
「うーん、実は私バタークリームのショートケーキが好きで」
「ではそれの五段乗せだな」
「五段!」
「七段でも良いぞ」
 初めての共同作業とは言うが、共に刀で敵を打ち倒してきた私たちに今さらケーキ入刀なんていう平和な作業ができるだろうか。
 初めはぶつぶつと文句を言っていたのに、プランが進むにつれて気前が良くなってきた王様はもしかしたら若干その気になっているのかもしれない。バタークリームの甘さを想像したら頭の後ろがぼんやりとしびれ、私はそのまま目を閉じた。王様の鼓動の音がすぐそこに聞こえる。私の鼓動はもうずいぶん前から鳴っていないように思う。



 目が覚めて、外を見て、水を飲んで、横になる。
 王様はときおり寝返りをうって私の体を抱き枕のようにかかえた。
 指先からするすると霊子がほどけてしまいそうな日も、そうされると自分の形がよくわかって安心した。温かい人だ。眠っている王様の体温は子どものように高い。規則的に上下する胸の動きを感じているとつられてこちらも眠くなる。
「今日は漂うもやが多いみたい。下が烟っていてよく見えませんでした」
「そうか」
 この世界も少しずつ変化しているのだろうか。今のところ燃え尽きて消える気配はないが、日によって青の明度が違った。深く、暗くこもっているときもあれば、妙に白んでまぶしいときもある。
「王さま、指輪はどんなものにしましょう」
「我に宝飾の話をさせるか。長くなるぞ」
「望むところです」
 宝石になど今までの人生で縁がなかったため、私の方はからっきしだ。この項目においては王様に丸投げするのが妥当だろう。
「まあ……貴様は骨が細いゆえ、大仰なものは似合わぬだろうな」
 長いと言ったわりにはそう零したきり黙った王様は、冷えた私の指先を一度撫でた。見えはしないが感触でわかる。まぶたが重くてどうにも開けていられないのだ。まだまだ決めたいことはたくさんあるし、時間は有り余るほどあるというのに、近頃は長いあいだ起きていることが難しく、議題も途切れ途切れだった。それなのに王様は怒ることもなく、私の相談にぽつりぽつりと付き合ってくれる。
 変化しているのは空間でなく私の方なのかもしれない。今日の青はずいぶんと深い。



 目が覚めて、外を見て、水を飲もうとしたところで水差しを落とした。何事かと目を開けた王様の髪の先が、しとどに濡れていて申し訳なくなる。
「すみません」
「気をつけろ。予備の寝具はないのだぞ」
 濡れた枕から頭をずらし、王様はずいずいと私の方へ身を寄せた。天蓋の外は今日も変わらず寂しげな青だ。
 もうどれくらいの時が経っただろう。数年、数十年と繰り返している気がするこの明け方のようなまどろみを、愛おしく思うことはあれど飽きることはなかった。どこにも行けないのならここで永遠に王様と眠っていたい。千年の眠りのあと、彼はどこかへ行ってしまうのだろうか。
「席次は……決めるのが大変そうですね。イシュタルさんはやっぱり真ん中かなあ」
「あの女神は呼ばん。式場を壊されかねん」
「でも王様、数少ない旧友じゃないですか」
「寝すぎて脳みそに鬆が入ったか? あやつが友人などであるものか! そも、アレはかつて我に求婚した女だぞ」
「う、それはたしかに……」
 神話レベルの因縁を披露宴会場に持ち出されては私も困る。彼の知り合いは誰もが一癖二癖あるため、慎重に招待客を選ばないと大惨事になりかねない。
「友というなら、一人呼べば充分だ」
「でも私、エルキドゥさんとは直接面識がないし」
「紹介してやろう。あやつは笑うだろうな。我ほどの王がこのような粗末な女と結婚なぞ」
 王様は久しぶりに呆れたようなため息をつき、ふんと鼻を鳴らした。それが優しげに聞こえるのは私の耳が遠くなったせいだろうか。
「手を出せ」
「て?」
「指だ。こちらへ向けろ」
 指示に従い、寝そべったまま手を持ち上げようとするも今日はなんだかうまく力が入らない。王様は何も言わずに私の手をとって、シーツを透かすほど色を失った私の指に金色のリングを嵌めた。
「ビザンツ王朝の指輪だ。東ローマが栄えていたころ、東欧には見事な宝飾が数多くあった。そう値の張るものでもないが、貴様にはこれくらいが丁度よかろう」
 細く絡まった金の石座が、青いトルコ石を支えている。この空間のくぐもった青とは違い、どこまでも澄んだ青空のような色だ。私はそれを見て、長いこと忘れていた外の景色を思い出した。それは幼い頃から何度となく見た光景であり、最後に見えた空の色でもあった。私が望み、選んだ世界。私を望まず、選ばなかった世界。
「きれい」
「大切にしろ」
 こくりとうなずき目を閉じる。過去の思い出と未来の展望がやんわりと混ざり合っていくのを感じる。
「でも私、みんなの前で指輪交換できるかな。ちゃんと腕も上がらないのに」
 指輪の交換は最大の見せ場だ。こんなに綺麗な結婚指輪を、うっかり床に落としでもしたら大変だ。
「今、この時を婚儀とすればよかろう」
 閉じた瞼の向こうから聞こえた声に、私は驚いて目を開ける。かろうじて見えた王様の顔は想像したよりも穏やかだった。
「……そっか。せっかくいろいろ考えたけど、それもいいかもしれない」
「我と二人だけで祝福の時を味わえるのだ。これほどの贅沢もあるまいよ」
「はい」
「眠れ。今世の風習では婚礼のあと、旅に赴くのだろう」
「はい。夫婦で新婚旅行に」
「体力を温存しておけ」
 目のふちをゆっくりとなぞられ、私の意識は薄れていく。こんなときに寝てしまうなんてもったいないけれど、その後のことを考えればたしかに眠っておいたほうがいい。王様と行きたいところはたくさんある。すべてを見たというこの人と、私も多くのものを見たいと思う。花に、音楽に、綺麗な石。青い空に、彼の友人。思い描けばいくらあっても、時間なんて足りないのだ。五百年でも、千年でも。




 妻など生前に幾人ももらった。
 婚儀とはそれすなわち王国の隆盛の象徴だ。国の威信をかけ、いつでも華美と豪勢の限りを尽くしてきた。

「どこがいいですか」
「どこでもよい」
「そうですね」
 今にも溶けて消えそうな名前は、輪郭があやふやで抱きしめづらいが、探るように頬を撫でてやると嬉しそうに笑った。
「王さまとなら、どこでも」
 目も口もぼんやりとして頼りないがおそらく笑っているのだと思う。指に嵌った指輪を見てもう一度「うれしい」と呟くと、名前はゆっくり目を閉じる。
「よく休め」
 彼女の形のまぶしい塊は、そのまま粒となって流れていく。霊子の残骸も、いずれノイズとして消去されるだろう。
 元より、生きていたって人間の数十年など我にとってはあってなきようなものだ。ここでまどろんだ数百年は、彼女にとって幸せなものだったのだろうか。優しくしてやったことに深い理由はない。ただこの貧弱な体で世界を一つ救ったのだから、それくらいの対価は与えて然りと思ったのだ。

 さて、と顔を上げ思案する。
 この青いばかりの空間はどうやら思いのほか強固のようである。もはや宇宙の片隅に、滲んだシミのように定着してしまっているのかもしれない。
 我は寝台に取り残された一つの指輪を、宝物庫へ戻そうとして、やめた。
 天蓋をめくり虚数の海へと投げる。自分がここを出れば、見る者もなく永遠に漂うこととなるだろう。だがそれでいい。粒子の波に溶けて消えたあの娘のなごりと、いつか触れ合う日も来るかもしれない。そうすれば淋しくもない。
 優しくしたことに理由はないのだ。
 腕を組み、息を一つ吐いた。


あおのあわい


 指輪を核にした東欧の神霊が、娘の魂を借り座に刻まれるのはまた別の話。



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