あれから度々見る王国の夢に、別の世界が混ざりはじめたのは最近のことだ。もはや慣れ親しんだ古代の都市。その空気に、どこからか漂うのは人を惑わすような花の香りだった。
これは、別のものだ。
うまくは言えないがそう思った。この時代とは異なる、けれど何処にでも干渉をする、私のよく知る花の匂い。
私は白い土の上、活気ある人々の中をふらふらと歩きながら、引き寄せられるように別世界へ抜け出ようとする。ここはとっても居心地がいいのに、ここにいてはいけないと誰かがしきりに囁くのだ。
いつの間にか泥のようにぬかるみはじめた地面の上を、声の方へと、必死で進む。
「雑種」
それを止めるのは、いつも王様の声だ。
「おい、雑種」
どちらに行くのが正しいのかもわからないまま、私は霞みゆく夢の境にぼやりと立ち尽くし──。
「いつまで間抜け面を晒している。疾く覚醒し、王のためにせかせかと働かぬか!」
「はい、おはようございます!」
──夢から覚める。
深層意識などでなく、直に発せられていた王の怒声に驚きながら、私は跳び起きた。
すぐ横でクッションに背を凭れさせているのは間違いなく私のサーヴァントだ。過去を生きた王であり、今は人でない英雄の写し身。今のところそのような存在を二人しか知らないけれど、彼らに共通点はそうないように思える。
王様はだらりと体を横たえていたが、その脚は私の布団に突っ込まれている。また夜のあいだに、こちらへ潜り込んでいたのだ。
「王様、いつも一緒に寝るなんて私は一言も……」
「貴様が供給をケチるからであろうが」
「ケチってなんかいません。最近は顔色も悪くないし、充分足りているのでは?」
「充分だと? その三倍は回してからほざけ、凡骨めが」
せっかくの休日だというのにこれといった予定もなく、家ですることがこの横柄な男の相手なのだから泣けてくる。
「知っていると思いますが、私には恋人が」
「恋人などと、貴様はいつまで嘯いておる」
牽制しようとした私を鼻で笑い、王様はねめつけるような嫌らしさでこちらを見た。
「どういう意味ですか」
「自覚のない女ほど質の悪いものはないな。欲の発散など好きにすればよいが……それにしても、道化でもない者の愚行を見せつけられるのはあまり愉快でない」
意図が汲めなくとも、彼の言葉は充分に感じが悪い。私が恋人と付き合っているのは欲の発散のためだけではないし、第一好きにすればいいと言うなら、そのように蔑みの視線を向けるのはやめてほしい。朝から着々と気分が悪くなったため、今日のお昼は冷凍食品で済ませようと心に決めた。
王様は案の定、味が悪い、手を抜くなと不満を垂れたがそんなことは知らない。一通り食品メーカーをこき下ろし満足したのか、お茶を飲みながら考えごとをし始めた彼の横顔を見て、複雑な気持ちになった。
どれだけ人格に問題があろうと、その造形には有無を言わさぬ説得力がある。彼の目はいつでも暴力的なまでの叡智をたたえていたし、声には否定を寄せつけない正当さがあった。彼の言動に振り回され、民や家臣がどれほど苦労をしたのかは想像がつく。
それでも暴君と名君を両立せしめたのは、彼の血に流れる王としての才覚だろう。力のあるものがいつでも正史を紡ぐのだ。彼の眼に適わなかったものは、きっと生き残ることすら許されない。私も偶然の出会いから縁を繋がなければ、彼に淘汰される側の人間だったに違いない。
「貴様の知るキャスターとは、どのような容貌だ」
出し抜けにそう聞かれ、私はあわてて思考回路を整理した。近頃の私は自分の中にいくつもの世界があるようで、どこに意識を寄せれば良いのかわからなくなるときがある。
「ええと、優しげな淡い雰囲気の青年で……こう」
そうして言葉にしようとして気付いたのだが、キャスターの眼差しや声、笑顔や匂いなどは思い出せるのに、いざ全貌を思い描こうとするとうまく点同士が結びつかなかった。
「綺麗な声をしていました」
「そのように文学的な表現など求めておらぬ。姿形を答えぬか」
「それが、言葉にできないんです。覚えているのに、うまく思い出せないような」
「わけのわからぬことを……」
王様は苛立ったように眉を顰めたが、ふいにそれを緩め、また何かを思案した。
「だがまあ、そのような能力ということも考えられる。なにせ相手はキャスターだからな」
「キャスターって、つまるところどういう意味なんでしょう」
「キャスターとは魔術師だ。だが貴様のような人間の魔術師とは違う」
「魔術師」
「サーヴァントとして魔術を扱う者だな。遡ればその者の生前の性質に由来するわけだが……キャスターを割り当てられる者はとかく面倒な者が多い」
「割り当てられるっていうことは、他にも属性があるんですか?」
「雑種のわりには頭が回るな。そうだ。我ら英霊はサーヴァントとして召喚される折り、能力別のクラスを割り振られる。これが非常に窮屈なわけだが、システム上いたしかたないともいえる」
「じゃあ、ギルガメッシュ王のクラスは」
「今の我はアーチャーだ。そのような雑兵の冠は到底納得できるものではないがな」
「アーチャー……」
少しずつ見えてくるサーヴァントの召喚形式は、どうも後世の人々の思惑が強く反映されているようだ。何らかの目的をもって儀式的に喚ばれる英雄たちは、今の世を見て一体何を思うのだろう。王国の夢がまた脳裏をかすめ、私はしばし陶酔する。
「まあそれはよい。差し当たって貴様の知るキャスターが何であるのか、我にはおおよその見当がつく」
「キャスターが何者か、知っているんですか?」
「だがそれが正解であるなら、事は思ったより込み入っておるぞ。その魔術師は魔術師の中でも、否、全英霊の中においても一際やっかいで下衆な男だからな」
ギルガメッシュ王をもってしてそこまで言わしめるキャスターとは、一体何者なのだろう。王様は私にその正体を明かすつもりはないようだ。
真実の名を知ったところで私には理解するだけの知識がないかもしれない。それに私が知りたいのは、彼が誰であるかより、彼が何故そこにいたのかだ。それは結局のところ、この王が何故ここにいるのかにもつながる。
「夜ご飯、何がいいですか」
「貝を揚げたものは悪くなかった」
いくつか増えた情報を整理しながら、私は冷蔵庫から卵をとり出した。この王様が現世に抱く印象が、私の揚げるカキフライにわずかでもかかっていると思えば背筋が伸びる。