extra 14


「一度よくよく考えるべきだと思うけれど」

フラットハウスの談話室に響く自分の声は別人のようにくぐもって聞こえる。吹き抜けのロビーは天井が高く音の反響が散漫なのだ。私は対面に座すギルガメッシュ王へ向け、ゆっくりとそう告げた。彼は私を疎んでいるが、だからといって対話を拒むわけではない。世界の端と端から、互いの存在を見て見ぬ振りし続けてきた私たちにとって、こうして一所に会するシチュエーションというのはやはりそれなりに貴重なのだ。
「なんだマーリン、貴様にしてはやけに深刻な切り出しだな」
 不敵に笑う王様は常時そうであるように、この世の全てを見下す角度で頬杖をついている。外は珍しく陽気がよく、上空に吹く早い風が雲を北へと押し流していったせいか、部屋の中頃にまでするすると白い太陽が差し込んでいる。私たちは向かい合い何をするともなく時を過ごしていたが、彼が飲みほしたティーカップをソーサーに置いたのを見計らい、こちらから口火を切ったのだ。
「常々思うが、君は彼女を軽んじすぎだ。自覚あっての虐めか、無自覚の虐げかは知らないけれど、そんなことではいつか愛想を尽かされるよ」
「虐めるのは趣味だが、虐げるのは本能よ。あれはどちらもしがいがある」
 他人に物申されることを何より嫌う男だが、基本的には己以外など歯牙にすらかけないのだ。私の忠告を嘲るように受け流すと、彼は足を組みぎしりと背もたれを鳴らした。
「大体、あれに尽かすような愛想があるか? 大して可愛げがあるわけでもなし、女の愛嬌に溢れているわけでもなし」
「……よく言う。彼女のいじらしさを見ては可愛くて仕方がないと思っている癖に」
 いつもなら、また心にもないことを、と内心でため息をつき終わるところだが、今日ばかりはそういうわけにもいかない。タイミングを考えれば今しかないのだ。先日の余波と今後の展開、そして月の暦を鑑みれば、決して悠長なことは言っていられなかった。
「貴様、我に説教をする気か? 如何なる目を持っていようとも、下卑た魔術師ごときが我の在り方にまで干渉できると思うなよ」
「説教をする気などないさ。ただまあ、彼女が可愛くないのなら、そろそろ私にくれないものかと思ってね」
「なんだと?」
 不穏ながら淡々と流れていた空気が、王様の問いかけで一息に張りつめる。人の上に君臨する為政者の素質として、己の態度一つ、言葉の一言で場の空気を変える力量というものは必須だろう。ガラス窓の格子が彼の声でみしりと軋んだ気がして、私は静かに息を吸った。
「あの子のことはずっと見てきた。娘のように、妹のように思ってきたが……実のところ彼女は娘でも妹でもない。一人の、妙齢の女人だ」
「……いよいよもって下卑たことを」
「そうかい? 私を下卑た、と評するのならギルガメッシュ王の倫理観はおおむね健全だと安心したいところだが。あいにく私には心がないのでね」
 彼の怒気はわかりやすく増し、私の軽口に対する許容量もあとわずかと窺えた。彼と会話をするということは、あふれそうなコップに一枚ずつコインを入れていくようなものなのだ。
「君のものを奪う気はないが、いらないのならいつでも貰い受けよう。喧嘩を売るわけでなく、これは率直な宣言だ」
 なので私は方針を転換し、正面からそう告げる。溢れそうな水があるのなら、コップごと巻き上げてしまえばいいのだ。
「いつか言おうと思っていたことだけど、二人の不仲に付け入るようなことはしたくなかったからね。円満な頃合いを見計らおうと思いつつ、君らが円満なタイミングがあまりに稀なため機会を逃し続けてしまった」
 人にものを言うことに、恐怖を感じることはないが、結局のところそうした私の性質が様々な問題を引き起こしてきたのだと思う。この王が執心した騎士王も、私を信じたその父も、私に心があればまた違う結末を迎えたのだろうか。
「懲罰であるはずのアヴァロンの庭はいつしか貴様を増長させたようだな。貴様のような男に幽閉など……生ぬるいどころか逆効果だ。湖の妖精めも判断を誤ったものだ」
 聞くだに手厳しいことを言いながら、彼は頬杖を深くする。この男も大概口さがないが、これは人の心を持つがゆえの意地の悪さなのだ。
「それで結局、貴様は何が言いたい」
「これだけ言って伝わらないとは。王様、私は何も難しいことを言っているわけじゃない」
 とうとう前のめりに立ち上がり、拳を力ませた私に対し、王様は目を細め眉を顰める。
「彼女に、ホワイトデーのお返しをするべきだと言っているのさ!」
 両手を広げ言い放った私の声は彼に届いているのだろうか。発して数秒、反応がないことを不安に思いながら、私は一つ咳をして肘かけ椅子に座り直す。
「……安い挑発のすえ辿りつくのが、そのくだらん進言か」
「私の一世一代の煽りを、安い挑発だって? こっちは命がけで危機感を与えたというのに」
「笑わせるな。口説くより先に組み敷くような節操なしが、女に関して我慢などするものか。手を出すならとっくに出していようが」
「人聞きが悪いなあ、私は女性の意思を尊重するタイプだよ。横恋慕はしないでもないが……きちんと口説いてから寝取る主義だし」
 侮蔑の眼差しは頬杖とともに深まるばかりだが、あのギルガメッシュ王にここまでの目をさせられるのならまだ自分のはったりも捨てたものではないと頷いてみる。
「それでくどくどといらぬ言い訳をしていたのか」
「だって、私だけお返しをするのでは抜け駆けのようだからね」
「益々くだらん。餌でも飴でも好きにやれ」
 まるで犬の世話でも任せるかのように、王様はそう言って目を閉じた。今度は私がため息をつく番だった。
「まったく、王様もおかしなところで要領が悪い……せっかくまたとない機会を得たのだから、たまには彼女を存分に甘やかしてみたらどうだい」
「先程から聞いていれば、貴様は我の誘導が致命的に不得手だな」
「甘やかすための大義名分を探していたのかと思って」
「対して、神経を逆撫でることに関しては驚異的に得手とみた」
 王様の目が本格的に据わり始めたのを見て、さすがにここらが引き際と悟る。私はサーヴァントの姿から瞬時に現代の霊衣へと着替え、いい天気だ、と席を立った。苛々とどす黒いものを背負う王様を置いて、ロンドンの街に繰り出そうと踵を上げる。こんな晴れた日には公園に若い娘たちが集うのだ。いつの時代にも見られる華やかな光景である。
 玄関を開けたところで、この陽気にしては気温が低いことに気づき、私は霊衣を一枚足す。こんなときに魔術師は便利だ。さて、彼女には何を返そうか。かけすぎた発破に冷や汗をかいたことを早くも忘れかけながら、私は浮かれた若者のように街の中心へ足を向けた。


2020_02_15
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