日本から来たという二人の男女は、個性派ぞろいの時計塔の中でもひときわ異彩を放って見えた。才色兼備の女性と、その護衛だという青年。私よりもだいぶ年下の彼女らは日本の高校を上がってすぐ、特例としてこの学校に入学したらしい。
「特例といえば、あなただってそうじゃない。名字さん」
長い髪をゆらしながら、遠坂凛は目を細めた。
挑発的で理知的な美しい瞳だ。家柄が重視される魔術師界隈においても、遠坂の名は特例を許されるに値するものであるらしい。加えて彼女は実力も申し分なく、そのうえ実戦経験もあるのだという。
「私は、言ってしまえばコネというかなんというか……」
一方の私は、内部に肉親をもつ者の裏口入学のようなものだ。知識も素養もほとんどなく、経験といえばとても公にできない個人的な繋がりのみ。よく学園側が許可したものだと思うが、それでもこの半年、私なりに魔術師としてのいろはを学んできたつもりだ。
「あら、名字といえば知る人ぞ知る名前よ。名家っていうのとは少し違うけど……歴史の影に名を潜めるタイプね」
「そうなの? 父は全然教えてくれないから、いくつか歴史書を読んだりしたんだけど」
「直接記せない名前もあるってことよ。無名とは違うわ。むしろ──」
凛は何かを言いかけてから、口をつぐむ。私に言っても仕方ないと思ったのだろう。もしくは真昼間から学園の廊下で話すことではないと判断したのかもしれない。
「まあいいわ。とにかく自分の潜在能力を侮らないことね。自分を過信して堕ちていく魔術師もいるけど、そういうのはまだいいの。一番大変なのは自分の高すぎる能力に飲み込まれ、暴走するタイプよ」
年下とは思えない確信めいた助言をしながら、凛はきれいな鼻筋をつんと天井へ向けた。私は魔導書を抱えながら隣で頷く。学園の敷地はとても広く、校舎の内側には青い芝が広がっている。そういえば、この光景は以前夢に見たものだ。まだここに訪れるより前、あれはたしか初めて訪れたフラットの階段で──。
記憶の順序が整理できず頭を悩ませていると、廊下の向こうに見慣れた赤茶の髪が見えた。
「あの女、本当に懲りないわね……」
その横にいるのは金髪の女性だ。彼の肩に寄り添い、何か一枚の紙を覗き込んでいる。
「ちょっとルヴィア! 体術テストの結果表はあなただってもらってるでしょう。そんなにひっつく必要がある?」
「ひっつくのは私がシェロに触れたいからよ。愚かな質問をしないでくださる?」
とたんに口論を始めた二人を横目に、彼を見る。シェロと呼ばれた青年──衛宮士郎は、慣れたように、けれど少し困った様子で眉を下げていた。凛と比べれば目立つタイプでもなく、ごく平均的な男子学生に見える。少年から青年へ変わりはじめた男の子の体つきをしている。肩幅が広いので、きっとこの先もっと大きくなるだろう。私は故郷の同級生の姿をなんとなく思い返しながら、そういえばと口を開いた。
「士郎くんはどこの出身なの?」
「え? あー……中部地方の辺鄙な町だよ。そういえば名前さん、体術テストの結果表は見た?」
彼はなんとなく視線を泳がせながら、一枚の紙をこちらへ向けた。たしか、凛にも似たような反応をされたことがあるなと思い当たった私は、それ以上追求せず彼の話題に乗る。
「持久力と判断力は良いんだけど、瞬発力がだめ。とっさのことに、どうも弱いんだよね」
「のんびりしてるからなあ、名前さん。でも最終判断のA評価、すごいじゃないか」
凛も士郎くんも、日本でのことはあまり話したがらない。聖杯戦争に参加したとか、日本の支部に追い出されたとか、噂はいくつかあったけれど直接聞いたことはなかった。私にしたって自分のことはろくに話していないのだ。魔術師を志すにあたり、お互い他人には説明しがたい経緯や心情があるのだろう。
「最後には良い判断をできるって、信じたいな」
ぽつりと漏れた私の言葉に、士郎くんは優しく頷いてくれた。
「名前さんは大丈夫だ」
彼が言うと、本当にそう思えるから不思議だ。
*
どこの国においても、いつの時代においても、一定の価値を保つものがある。
以前王様は、金を指してそう言った。
「なんだその顔は」
だとしたら、この男は金のようなものだ。あらゆる民族の美的感覚に照らしても、寸分評価の違わないだろう美しさをもっている。
そんな男が遊び相手に苦労することはまずないようで、近頃はそこらの若者のような格好をして朝晩と町をふらつくことが多かった。彼の趣味は諸国の漫遊、特技は女遊びなのだからこの町を楽しまない理由はないだろう。私と二人で町を歩いて以来、人の視点で散策をすることに気が向いているらしい。
「べつに、なんでも」
もう寝ようと身支度をととのえ、顔に化粧水を吹きかけていたところだ。鏡越しにかけられた声に小さく首を振ると、彼はなぜだか愉しそうに笑う。
「どれ、お前とも少しばかり遊んでやろう」
お酒を飲んでいるのか、ナチュラルハイかは知らないが、夜遊び帰りの王様はテンションが高い。こんなことならもっと早く寝てしまえば良かったと思いながら、王様の愛撫を受け止める。
指が的確に体を這い、彼の腕の中で深く息をした瞬間、嗅いだことのない香水の匂いが鼻についた。胸がじわりと痛み、目を閉じる。気づかないふりをしてしまいたいが一度気になるとそうもいかない。髪や服だけでなく、肌の表面にまで染みついたそれは直前の行為のなごりを思わせた。わざわざ問わずとも、彼ははっきり「お前とも」と宣言しているのだ。隠すつもりすらないのだと思う。
一国の王にとっての性の営みが、私のもつ良識と比べられないことはわかっている。何十、何百と女をはべらせ、気まぐれに相手をするのが彼の習慣なのだ。
そんな私の思考を有耶無耶にするほどの快楽を、すぐさま与えられシーツの上でむせ返る。私は枕に顔を埋めながら、他の女性の匂いや気配を感じてしまわないよう、必死に呼吸を浅くした。ふいに昼間の光景が頭に浮かぶ。凛の目には士郎が、士郎の目には凛がいつだって映っている。端から見ても、それは紛れもなく、輝かしい関係だった。また鈍く胸が痛み、私は私を誤魔化すように、やはり浅く息を吸った。