ぽんぽんと忙しなく光る私の携帯電話に、王様が苛立っていることはわかった。けれど業務連絡を含むそれらを無視するわけにもいかず、私は料理の合間や、風呂上がりや、寝る前のひと時などに小まめな返事をかえしていた。
他部署と合同で行われる慰労会の幹事を任されたのは、先週のことだ。事業部の同期と連絡を取り合いながら細かな計画をしていたのだが、彼の話題はどうにも横道へ逸れることが多い。大きな仕事を終えた後で社内の一体感が高まっていたため、私としても不快ということはなかったが、なんとなく気安い距離感に戸惑っていることも確かだ。
「ええい耳障りな! 何時だと思っておる!」
「すみません」
「部屋の明かりを消してから画面を灯すのはやめよ!」
「はい」
「フン、新しい男でもできたか?」
「そんなんじゃないですけど」
「であろうな。貴様の男事情なぞに一欠片の興味もないが、そうであれば言えよ。直々に始末してやる」
苛立っているせいか、矛盾の極みかつ理不尽なことを言うと、王様はこちらに背を向けてしまった。こんなふうに布団を巻き込んだまま壁の方を向かれると、私の分が微妙に足りなくなるため、彼の背にぴたりと身を寄せる必要がある。この体勢は彼が寝返りをうったとき下敷きになる可能性があるのだが、分厚い躰越しに聞く心臓の音は嫌いではなかった。寝ぼけて抱きつけば振り払われることも多いが、寒いとつぶやくと引き寄せてくれるのだ。小間使いの体調管理は彼にとっても大事なことらしい。
*
そんなふうにして迎えた慰労会も無事終わり、週末の繁華街の片隅で、私はほろ酔いの目をこらしていた。
幹事のため途中で抜けるわけにもいかず、二次会まで締めて店を出てみれば、時刻は零時を過ぎていた。元気な先輩たちは三次会に繰り出すらしく、肩を組み路地へと消えていく。付き合う気分でもなかったため、そそくさと挨拶をしてタクシー乗り場に足を向けようとすると、件の同期が声をかけてきた。
「お疲れ様」
「お疲れ様です。お陰様で、無事終わりました」
「こちらこそ。酔ってない? 鞄持つよ」
「大丈夫ですよ。そこまで……」
酔っていないので、と首を振るが、彼の手は鞄でなく私の腕へ伸びる。
「二人でさ、もう一軒いかない?」
「あ……ええと」
「あからさまでごめん、でも名字さんと仲良くなりたくて。彼氏、いる?」
ストレートな質問に、思わず言い淀んだ。彼氏という響きがなんだかとても遠いものに思え、上手く頭が回らなかったというのもある。
付き合っている人はいないけれど、一緒に住み体の関係をもつ男がいると言ったら、彼は驚き私のことを軽蔑するだろう。最高の牽制になると思いつつ、そこまで自分をさらけ出すことも憚られたため、私は正直に首を振った。
「いません」
「じゃあ、ちょっとだけ話そうよ」
どう断ったものだろう。気を持たせるのはよくないが、明日からも同じ会社に通う仕事仲間だ。あまり角を立てるわけにもいかない。
「すみません……なんか疲れちゃって」
無難な言い逃れを探しながらドキドキと落ち着きをなくしていると、彼は笑いながら眉を下げ、手を離した。
「そんな困った顔しないでよ。わかった、じゃあ家まで送る。心配だし」
そう言ってタクシーを呼び止めた彼をそれ以上拒むわけにもいかず、一緒に乗り込む。私の家へ向かうあいだ彼はいろいろなことを話し、私はそれに曖昧な相槌をうった。この人は私に好意を持っているのだと思う。そして私に脈がないことも薄々気づいている。こういった駆け引きのようなことは久しぶりで、私は平静をたもつことに苦労した。たとえどれだけ平凡なやり取りでも、人から好意を向けられるというのは、やはり大きなことなのだ。
数十分の緊張の末、無事家に着いた私は窓越しに挨拶をして、ドアを閉める。なんだかどっと疲れてしまい、溜息をついた。
「遅かったな」
「は、はい。幹事だったから」
玄関へ入るとちょうど風呂から上がったのか、王様が濡れた髪を拭きながらこちらを見た。その目が嫌に意味ありげで、思わずどもってしまう。べつにやましいことはない。けれどぎくしゃくとした私の様子に、彼の目はますます細くなった。
ぐいと顔を近づけられ、すんと匂いを嗅がれる。私はなぜだかどんどん追い詰められ、ありもしない罪を吐きそうになった。この男はなぜこんなに敏感なのだろう。私は玄関を開けて靴を脱いだだけだというのに、何かを嗅ぎとり無言の詮索をしている。
「おかしな男に迫られでもしたか」
「……! なんで」
「呆れるほどわかりやすいな貴様は」
憐れむように言われようやく、かまをかけられたのだと気づく。
「そのような器量で不貞を働けるとも思えんが、万一にも酒にまかせて脚など開くなよ」
「し、しませんそんなこと!」
侮辱めいた言い草に思わず声を張る。浮気できることが女の器とは思わないし、簡単に誰かと寝ると思われているならそれこそ心外だ。
「ちゃんと断りました」
「……やはり誘われたのか」
ゆらりと顔を陰らせた王様が、乱暴にクローゼットのドアに手を付いた。洗い髪から水が滴り、ストッキングに染みる。
「隙を見せるな!」
「見せたつもりはありません……それに隙があることは罪じゃないって、前に」
私が痴漢に襲われたとき、王様は相手のみを批判した。そういえばあのとき彼は男の首を撥ねるなどと物騒なことを言っていたが、今でも同じように怒るのだろうか。怒るのはいいとしても、怒鳴られると怖くなる。
「罪の出処の話などしておらぬ。我が気に食わぬと、そう言っているのだ」
「……」
「貴様は今、腹の内から髪の先まで我の物だ。我は、我の物に不埒な目を向けられることは許せぬ」
鎖骨のあたりを指先で押され、催眠術のように身も心も麻痺していく。彼は私のものではないが、私は彼のものなのだ。まともに考えればおかしいが、この星すべてを我が庭と言い切る王様にそこを訴えても仕方がない。仕方がないけれど──。
「王様、わかりづらい」
彼の言葉は、些か回りくどすぎる。
「心配してくれたんですね?」
「貴様……人の話を聞いていたか?」
なので私なりに、心に落とし込んでいくしかない。帰りの遅い私の心配をして、無事を確認しているのだ。そして実感する。ただでさえ対抗心の強い王様が私を日々抱き続けるということは、雄の所有欲を加速させることに他ならない。その鋭い爪が外を向くか、内を向くかは彼次第である。
「聞きたくもないが、どこを触られた? 同じ部位を男の身から削ぎ落としてくれる」
それにしたってなんて恐ろしいことを言うのだろう。古代の残虐な処刑法に肝を冷やしながら、私は王様の肩にかけられたタオルで金の髪をぬぐった。
「そんなことしなくていいので、今日は手を繋いで寝てください」
それですっかり気も落ち着く。眉を寄せた王様の心境はよくわからない。わからないままでいい。理解をし過ぎれば、きっとバランスを失ってしまう。