episode 17
せかいの正解

花畑の真ん中には高い塔が建っている。前に来たときはあっただろうか。美しい花々に囲まれているというのに、ずいぶんと寂しげだ。広がる景色には不自然なほど果てがなく、それゆえに閉塞感すら感じられる。
 どこまでも続く楽園は、きっとどこにも続いておらず、花は枯れず、人も死なず、延々とこの場所で風に揺れ、華やぎ続けるのだ。
「その後どうなったかと、気になっていたのだけどね」
 背後からかけられた声は相変わらず穏やかで、甘やかだ。
「キャスター」
「王様はずいぶんと用心深いようだ。夢すら入る隙がない」
 私自身がこの空間に慣れてきたのか、彼による施しか、以前とは違い体の自由が効いた。何度か息を吸って、吐く。喉も問題なく動くようだ。
「王様とは、どうにか上手くやっています」
「それはなにより」
「キャスター、ありがとう。この前はお礼を言いそびれてしまったから」
 令呪をさすりながら言うと、彼は花びらにのった水滴が揺れるように、きらきらと目を細めた。ただよう薄紅の花は彼の足元から生まれているようだ。泡のように浮き上がっては消えていく。
「聞きたいことがあると言っていたね」
「……たくさんあります。けれど、すべてをあなたに聞くのではダメなのだと思う」
 楽をして知ろうとするなと言った、王様の言葉を思い出す。
「私が知りたいのは、父とあなたの関係。そして父の居場所です」
「ふむ、似ていないようで似ている親子だ。この世のすべてを知り得る私の前で、あまりにも欲がない。私と彼の関係か。そうだな、一言で言うのは難しいけれど」
 キャスターはゆっくりと首をかしげ、塔のてっぺんを仰ぎ見た。彼が動くと、花たちもつられて揺れる。私もつい、空を見上げた。体も心も少しずつ、彼の夢の一部になっていく。
「通常サーヴァントは戦いのために喚ばれるが、私は少し違う」
「戦い?」
「聖杯をかけた戦いさ。俗に聖杯戦争などと呼ばれるが、君の父親はその参加者ではない、とだけ言っておこうか」
「聖杯って、得た者が願いを叶えるというあれですか」
「そう。幾時代にも語り継がれた幻の願望器。君も逸話くらいは知っているだろう」
 人の欲に喚ばれたと、王様は言っていた。彼がその戦いの参加者なのだとしたら、満身創痍なのも納得がいく。詳しくはないが、聖杯にまつわる逸話とは大抵が血生臭いものだ。
「私に言えるのはここまでだ。本当はここまでも口止めされているんだけどね」
「父は……どうして隠すのでしょう」
「見せたくないものがたくさんあるのさ。こちら側はときに、優しい君の頭では到底思い及ばぬほどの醜さを纏う。知ってしまえば戻れないこともある」
 空にあく穴。蠢めく肉塊。短い間に見たおぞましいものを思い浮かべる。知らないままなら幸せだろうし、遠ざけたくなる気持ちもわかる。けれど──。
「心配してくれているのはわかります。でも、踏み込んでしまった以上、知識不足は致命的です」
「そうだね。前にも言ったが実のところ、この展開は私にも予想外だったんだ。私の千里眼は現世の全てを見通すけれど、未来に関しては予測止まりだ。冬木が災厄から逃れることはわかっていた。けれど、君が王様と出会うことまでは想定していなくてね」
 彼はこちらへ歩み寄ると、私の手をとり、令呪の紋章をまじまじと見た。
「キャスター?」
「いやあ、大きくなったと思ってね」
 いつの間にか花びらが私たちの周りを覆っている。むせかえるような芳香だ。ひとつ息をするごとに花の香りは体を満たし、頭がぼんやりとしてくる。
「十余年なんて私にとっては一瞬だが、女性はその一瞬であらゆる美を蓄える。豊かでなによりだ」
 昔からしているように、彼の指先が私の頬を撫でた。王様と違いそこから温度は感じられない。この違和感はよく知るものだ。人でないものがいつでも傍にいた。怖いと思ったことはない。
「おっと、どうやら時間切れのようだね」
「時間切れ?」
 夢の中でとろけるように目を閉じた瞬間、キャスターはこれといってあわてた様子もなくそう言った。同時に、右の手首に強い痛みがはしる。首筋の傷もぴりぴりと熱を持ちはじめていた。
「おや、これはこれは」
「いっ、た……」
「随分と気に入られている。やや過ぎるほどだ」
 振り払われるように散らされた花びらとともに、空間がぐらりと揺らぐ。花たちは入り込んだ異物の気配に驚いたのかざわざわと首を揺らしている。
「じゃあまた。もう私の呪はない。きちんとご機嫌をとるように」
 他人事のようなキャスターの言葉を最後に、とうとう夢は反転し、暗転する。
 暗くなった視界に影が浮かび、背中にシーツの感触が戻った。影は私の手首を掴みあげ、ぎりぎりと締めつけている。
「王様……」
「逢い引きか? 油断も隙もない女だ」
 そのまま勢いよく引き起こされ、夢の余韻が消えていく。広く鮮やかな景色から一転、夜の闇に放り出され、こちらが本来の世界であるはずなのに心身がうまく馴染めない。
「いつまで惚けておる!」
 王様の一喝でようやく意識がしゃんとした私は、繋ぎ止めるようにきつく握られた手首に目を向けた。
「夢の中に囚われるつもりか?」
「そんなこと……」
 キャスターはしない。しないはずだ。王様の手がこうも熱いのは受肉の影響なのだろうか。聖杯戦争に参加したギルガメッシュ王には、おそらく前のマスターがいたのだろう。その人はどうなったのか、戦いの行方はどのようなものであったのか。知れば知るほど、知らないことが増えていく。
「こっそり試したことは謝ります。でも今のところ、夢の中くらいしか糸口がなくて」
「……貴様がその手で弄ぶ、文明の利器はどうした。技術を持つなら有効活用せぬか。この時代にわざわざ魔術を頼ることもなかろう」
 王様の口調は厳しかったけれど、力任せに激情をぶつけてくることはないようだった。どちらかといえば私の身を案じている様子だ。私が他のサーヴァントに囚われれば、彼との契約も切れかねないのだから当然かもしれない。
「情報通信って、魔術に劣らず繊細なんですよ」
 送ったメールが返ってこない虚しさが古代の王にわかるだろうか。あれから音沙汰のないメールフォームに、私の勇気は萎えつつあった。父に疑問を投げかけることは無駄なのだろうか。思えば私は父の電話番号すら知らない。
「何も許すなと言ったはずだが」
「……許してません」
 やましいことは何もないけれど、私はつい右手の甲を隠した。
「次、隠れて間男を引き入れようものなら、その首噛みちぎるぞ」
 そう言ってベッドへ戻っていく王様の背に、こくりと頷き、私も再び横になる。
「何をしている。こちらへ来い」
「え」
「明日からその布団は敷くな」
 端的な命令に抗う術はなく、私はおずおずと彼の隣に潜り込んだ。このベッドに二人で寝るのは私が倒れた晩以来だ。
「香油、灯しますか」
「我の横で眠る女にしのび寄るほど、魔術師も厚顔ではあるまい」
 彼はそう言ったけれど、どうにも気が落ち着ず、私はいつも通り香炉に火を灯した。消したのは自分なのにおかしな話だ。彼に背を向け、口元に手をあてる。体内に花の香りが残っている気がして、少しだけ後ろめたくなる。
 王様は呼吸を深くしていたけれど、眠ってはいないようだった。暗闇に光る赤い目を思い、なぜだか泣きたい気持ちになる。


2018_03_18
- ナノ -