家を出るまで散々渋った王様だったが、やはり長らくの隠遁生活で、相当な鬱憤が溜まっていたらしい。
「雑種、何をもたもたしている。エレベーターはあちらであろうが」
ショッピングモールに踏み入ったとたん人が変わったように買い物に精を出しはじめた王様は、リストの日用品を買い終えてなお飽きることなくフロアをうろついている。
「王様、そろそろ一階のスーパーに寄って帰りましょうよ」
「阿呆、食材は最後だ。持ち歩いては痛むであろう」
「まだ何か買うんですか?」
雑貨から消耗品まで買い込んだが、さすがは世界中の逸品を見てきたと自称するだけあって目利きのセンスはある。けれどなにせ値段を見ずに手に取ることと、些か派手な趣味とが合わさって、本日の予算は大幅にオーバーしていた。
「我の衣服を補充せよ」
「一通りあるじゃないですか」
「常日頃より思っていたが、貴様の買う服はどうにも地味すぎる」
王様の好みなどわからないし、今まではそこらの量販店で一揃えを買っていた。ありふれたデザインのファストファッションでも、王様が着ればまるでハイブランドの広告のようになるのだ。選ぶ側としては気楽である。
「王の衣服は常に王然としていなくてはならぬ。民に溶け込むなどもっての外だ」
そう言って立ち寄ったのは、私一人では絶対に足を向けないだろうハイブランドのアンテナショップだった。王様はぐるりと店内を見渡すと、中央にディスプレイされた一際派手なマネキンに目をつける。
「王様なら着こなせるんでしょうが、普段着にはちょっと……」
「この程度の店に我の眼鏡にかなう品はないと思ったが、これはなかなか悪くない」
「……却下です」
「なんだと?」
資金の援助があるとはいえ、彼の望むままに豪遊をしていたらきりがない。今のところ、まだ財布の紐は私が握っている。カードの暗証番号だけは知られないように細心の注意を払わなければいけない。
「王様、目立ったら困るんですよね」
「……我が表へ出ないのは、貴様が魔術師としてあまりにも不甲斐ないからだ。我自身がこそこそと隠れねばならん理由はない」
「不甲斐なくて申し訳ありませんが、今しばらく隠れてもらえると助かります」
ただでさえこの男は景観に馴染まないのだ。そこにいるだけで目を引く男が、さらに前衛的な服を着ようものなら注目の的である。安全面はもちろん、精神面においても耐えられそうにない。
結局一つ上のカジュアルフロアで何着かを見つくろい、不満げな王様を宥めすかし無難な服を新調した。さすがにそろそろ一休みしようと提案すると、王様は足を止め、通り沿いに並ぶ行列の先を目で追った。
「ふむ。甘い匂いがするな」
「ああ、このまえ雑誌に出てましたよ。季節限定の林檎タルトだそうです」
「雑種。我は林檎を好む」
「へえ、初めて知りました」
「覚えておけ」
「はい」
こうして目に付いたものを話題にしたり、服の趣味で言い合ったり、ふらふらと買い物をしながら時間をつぶしているとまるでありふれたデートのようだ。
そんなことを呑気に考えていたのだが、不意に、王様がこちらをじっと見ていることに気付く。
「……?」
「何をぼんやりしているか、さっさとあれに並んで参れ。その間、そうさな……我は映画でも観ていよう」
「はい?」
突然の提案もとい命令に面食らうが、彼は反論の余地なし、といういつもの顔で私の背を押した。
「い、いやです。なんで私が」
「貴様は早く帰りたいのだろう。時間の節約というやつだ」
「そんなの不公平ですよ!」
「当然だ。我と貴様がなぜ公平でなくてはならん?」
非情な言葉に、やはりこれはデートなどではないと甘い考えを打ち消す。片方が列に並び、片方が映画を観に行くなんていう力任せなデートプランがあってたまるものか。
「とにかく、王様だけ映画を観るのはずるいです!」
「なんだ、そんなに映画を観たいのか」
特別、映画を観たいわけではないが彼に私の不服さは伝わらないようだ。王様はいたし方なしというふうに頷くと、おもむろに映画館のフロアまで足を運び、上映中の映画の中から一番派手そうなタイトルを選びチケットを買った。なぜこのような運びになったのかはいまいちわからないが、深く考えても仕方ないのだと悟る。
王様にどれだけ現世の常識が通じるのかは不明であるため、妙に緊張したけれど、彼は上映マナーを破ることもなく大人しくスクリーンに没頭している。ほっとした私も思いのほか夢中になってしまい、シアターを出る頃には隣にいるのが本物の古代王ということも忘れ、神話ファンタジーの感想を言い合っていた。
「なかなかに趣向を凝らした出来であったな。CGとはいえあそこまで豪華絢爛に描かれたとあらば、インドの英雄らも二の句は告げまいよ」
「タージ・マハルが象の大群で埋め尽くされたときはもうダメかと思いましたね」
誰かと映画を観たのは久しぶりだったし、考えてみれば休日のショッピング自体しばらくしていない。腕時計を見れば、もうすっかり夕方を回っている。
「林檎のタルト……どうしますか?」
「後日で良い。明日消えてなくなる物でもあるまい」
王様の声も、遊び疲れた子供のようにぼんやりと火照って聞こえる。
帰りの電車に揺られているうちに、なんとなく胸が切なくなった私は、王様の肩に少しだけ体重をあずけ聞いてみた。
「今日、楽しかったですか?」
「元より、我の趣味は諸国の漫遊だ」
二人の足元にはたくさんの紙袋が置かれている。私たちの生活を彩るための品々だ。所帯染みた居心地の良さがこれ以上極まってしまう前に、私は背筋を伸ばし、前を向く。
丸一日そばにいたためか、その日、王様は私の布団に入ってこなかった。魔力は充分に回っているようだ。実のところ、今日一緒に出かけたのはそのためでもあった。
彼の寝息が深くなった頃、私はこっそりと起き出して枕元へ手を伸ばす。決まって焚かれている香油をそっと吹き消し、窓を少しだけ開けた。
王様の香りを夜風が薄めていく。勝手な行いを許してほしい。私には会うべき人がいて、聞くべきことがあるのだ。