episode 15
きずなを築く

目が覚めたとき、背中にぬくもりを感じることはもはや珍しくない。三日に一度の割合で私の布団に入ってくる王様に、文句を言うのはもうとっくにやめてしまった。左腕で私の躰をぐるりと抱え、うなじに鼻先を寄せる彼の姿勢にもすっかり慣れてしまっている。
 初めは私も身を硬くしていたが、あれから彼が男を見せることはなく、どちらかというと懐きかけた大型動物のような仕草で身を寄せてくるため、拒む気になれなかった。
「目覚ましが三度鳴ったぞ」
「わ……わかってます」
 最近ではこうして、朝に弱い私の叱り役まで買って出てくれている。ただでさえこの季節は布団から出難いのに、王様の体温がぬくぬくと私の意志を折る。私が遅刻しても彼になんら関わりはないはずなのに、声をかけてくれるのは優しさからだろうか。
「朝からばたばたと見苦しく騒がれると、我が安眠できぬであろうが」
「はい……」
「そのスヌーズ機能とやらを存分に活用するのはやめよ。だらしのない」
「そうですね」
 まったくの正論だが、ごろりと気楽に寝返りをうち、二度寝に精を出さんとする王様に言われると反抗心がわいてくる。
「それとも、もうしばらく我と微睡むか?」
 布団から伸びた手にがしりと足首を掴まれ、私はあわてて首を振った。
「い、行ってきます」
「最短で戻れよ」
 そのまま引きずり込まれれば何をされるかわからないと思い、朝食もそこそこに家を出た。令呪という切り札は私たちの関係をかえって円滑にしたが、それでも百パーセント気を許しているわけではない。
 電車に乗ったころで、王様の先ほどの言葉を思い出した私は『今日は友達とご飯なので、遅くなると思います』と簡潔なメール文を打った。返事はないがきっと不満げにしている。携帯電話を見つめ眉を顰める王様の顔を思い浮かべ、私は座席の端で小さく笑う。

   *

「……お夕飯、食べました?」
「疾く支度をせぬか!」
 結局、十時過ぎに帰った私は、少し値の張る季節限定の缶ビールを手に王様の機嫌を伺っていた。
「このような安酒で我の機嫌をとろうなぞ、不敬にもほどがあるぞ」
 そう言いながらもさっそくプルタブを捻っているのだから、この作戦は成功といえよう。私の帰りが遅いとき、彼は気分次第で自ら料理を作り夕飯を済ませているが、キッチンを見る限り今日はその様子はない。
「ありあわせになりますが、ちょっと待っててください」
 彼が来てから食費をそこまで切り詰めなくなった私は、それなりに良い食品をストックするようになった。良い肉というのは手間をかけずとも美味しく調理できるから素晴らしいと、妙なところでこの生活の利点を感じている。
 適当な薬味と調味料で炒め、その横で味噌汁の出汁をとる。そんな調子でなんとなしに手を動かしていると、ビールを一本飲み終えたのか、王様がふらりと私の背後に立った。そこまで圧力をかけなくとも、もうすぐ出来るし作業の邪魔だな、なんて思っていると、ふいに彼の手が腰に添う。疑問に思う間もなく、首筋に衝撃がはしり私は危うく鍋をひっくり返しそうになった。
「いったあ
「貴様、もう少しましな声を出せんのか」
 とっさに手をやればじんわりと血が滲んでおり、愕然とする。
「なんでこんなことするんですか!」
 涙目で訴えるも、王様は「腹が空いた」の一言で済ませ、二本目のビールを持ってリビングへと去った。お腹が空いたら目の前の生き物に噛み付くのか? 今どき野良犬だってもう少し分別がある。戸惑いと憤りでしばらく惚けていると、鍋が泡を噴きはじめ、仕方なくコンロに向き直った。
「貴様の首は食欲をそそる」
「……」
 王様は出された肉をぱくつきながら、悪びれずにそんなことを言っている。確かに今日はゆるめのニットを着ていた。首元に隙があったのかもしれないが、これでは明日からしばらくはハイネック以外を着られない。風呂場で確認をすれば案の定、くっきりと歯型が残ってしまっていた。
 彼の生態を理解してきたと、油断をする頃にこれだ。まるで野生動物の保護プロジェクトのようだと思いながら、布団に入る。潜り込むどころか、初めから私の寝床にいる王様の開き直りに突っ込む余力もなく、彼の腕の中に身を沈めた。着々と陥落させられている気がしてならないが、暴君と小間使いの範疇であるならば、おとなしく従うのが無難かと思いはじめている。
「王さま、明日は一緒に出かけましょうか」
「貴様とどこへ赴くことがある」
「いろいろまとめて買い物に行きたいんですが、長く家を空けることになりそうなので。今週はあまり一緒にいられなかったし」
 会話だけ聞けば、二人の時間を大切にする恋人同士のようだ。けれど私たちの場合は距離と時間に実益がともなう。
「……不要不急であれば控えろ」
「健全な生活には、適度な無駄がひつようです」
 襲う眠気に身を任せながら、半ば投げやりな説得をした。ふんと鼻で笑う王様の吐息を背中に感じ、少しだけ脈が速まる。また噛まれるだろうか。そう思ったが、彼は私の眠気を促すように柔らかくうなじに唇を触れさせた。そのままゆっくりと歯型を舐められ、親猫に傷を癒される子猫のような気になる。時折りしぱしぱと肌に触れる、長い睫毛がくすぐったい。私は溶けていく意識の中で、明日の買い物コースに思いを馳せた。


2018_03_12
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