星の餞別-8
 体と心が互いを補い合うように、私たちは体を繋ぎ、心を探る。人も獣も変わらない行為だ。

 サーヴァントの体力がどれほどのものなのか、私にはわからない。けれど人の形をした王様の体から、絶え間なく血が流れていく様を見るのは耐えられないことだ。私は自分の手足が急速に冷えていくのを感じながら、なんとか気をしっかり保ち彼の腕を支えた。
 重傷のわりに、足取りは先程よりしっかりしてきている。私に触れているからだろうか。魔力の効率のいい送り方などよくわからずに、私はできる限りぴったりと身を寄せて歩いた。
 一時間ほどして、ようやく神社へ帰り着く。社の引き戸を開けたとたん、なだれ込むよう体を傾けた王様はついに体力の限界がきたのだと思った。とっさに支えようと手を伸ばす。が、その手を掴まれ強く床へと押さえつけられた。
「王様、だいじょう……」
「抱くぞ」
 え、と聞き返す間もなく首筋に噛み付かれ、肩が跳ねる。舌と唇が鎖骨を舐めとるように移動して、刺すような痛みが走った。何がどうともわからずに、私はただ彼の髪を見つめる。
「王様」
「……」
「こんなこと、してる場合じゃ」
「黙っておれ」
「でも王様、血が!」
「……三度は言わぬ。黙って、身を捧げよ」
 言うや否や、彼は亜空間から小剣を取りだして、私の服を一息に裂いた。晒された素肌に直接感じる彼の魔力は、普段より細く、それだけに鋭く研ぎ澄まされている。
 腹の穴から流れる真っ赤な血が、だくだくと滴って私の下半身を濡らしていた。驚きと恐怖で体がこわばり声が出ない。拒む間もなく掻き乱され、頭の中が真っ白になる。
 息を荒げ私の上に覆いかぶさる王様は、人を食い荒らす手負いの獣となんら変わらない目をしていた。私を庇って負った傷だ。彼が魔力を欲していることはわかっている。けれど、怖い。
 本能があの狼を避けるように、彼のこともまた恐怖の対象としか思えなかった。性急に私を侵そうとのしかかる体を、なんとか押し返そうとするも、逆に強く突き込まれ息が止まる。
「あ……っ」
 鬱血するほど手首を強く握られているため、指先の感覚がなくなっていく。機械人形に突き刺されたときだって、こうまで痛みはしなかった。体を内から貫かれ、あまりの息苦しさに強く歯をくいしばる。
 王様の体が乱暴に動くたび、喉がひきつって口端から情けない息が漏れた。ぼろぼろと涙がこぼれ、律動とともに床へ落ちる。
「は……百の敵を前にして怯まぬ貴様が、何故これしきで泣く」
「い、いたい、お……さま! やめて!」
「耐えろ」
 彼の目に、理性は欠片すら見られない。必死で身をよじる私を抱く彼もまた、必死の様相だった。腹に穴が空いているのだから当然だ。
 この行為で本当に傷が治るのなら、辛くとも耐えることはできる。さっきから、頭ではそう思おうとしているのだ。けれど女の本能がそれを許さない。この男は侵略者だ。簡単におもねることはできないと、体はいつまでも彼を拒み続ける。受け入れ方がわからない。ただただ苦しくてしょうがない。
 床板を掻いていた私の指に、王様のそれが絡まり、強く握り込まれる。彼の動きが止まったことにより行為の終わりを知った私は、眩む視界の中でぼんやりと王様を見上げた。
 腹の穴が塞がっていることを確かめるため、そろそろと手を伸ばす。指先で傷跡をなぞると、王様が小さく息を吐いたのがわかった。
 けれど、わかったのはそこまでだ。意識は白くかき消され、眠りへと沈む。
 遠くで狼が啼いている。幻聴だろうか。あまりにも寂しく聞こえたため、私は夢の中でその声へむけて手を伸ばしていた。柔らかく、温かく、少しだけ湿っている。どこにでもいる普通の生き物と同じだ。


 うっすらと目を開ける。
 硬い板間で眠るのにも随分慣れたが、今日はひときわ体が痛むと思った。背を起こし掛けていた赤い布をぼうっと見つめているうちに、いろいろなことを思い出す。
「……き、傷は」
「塞がった」
 一人と思いながら発した声に、答えが返ってきたため驚いて振り向いた。
 軒から室内へと入ってきた王様は私の横に座ると、それきり何も言わずこちらを見た。ゆっくりと手が伸びて、腰に触れる。私があまりに身構えたため、彼は珍しく困ったような顔をしてその手を退けた。
「その……」
 何を言えばいいかわからず、手のひらをぎゅっと握りしめる。時間が経つほどに昨夜のことが蘇り、体の震えをごまかすことができなくなる。この布は王様の腰布だ。よく見れば血濡れになっていたはずの衣服も体もすっかり綺麗になっている。サーヴァントの血とはいつまでも残るものではないのだろうか。理由はわからないがありがたい。
「傷があるのはお前だろう」
「え……」
 視線を腹のあたりに感じ、彼の言いたいことを理解する。確かに体の奥がじんじんと痛む。見れば腕も腰も痣だらけだ。破られた服は無残としか言いようがなく、たまらなく悲しい気持ちになった。
「王様……」
「なんだ」
「こ、こわかった」
「……」
「こわかったんです。すごく」
 言っているうちにわけがわからなくなり、私は昨夜までのことを順を追って思い返した。
「いろいろと……王様のことも怖かったけど、王様が死んじゃうんじゃないかって、それも怖くて……あと、狼、狼もすごく怖かった」
「そうか」
「壁から滲む影のこともまだ全然わからないし、そもそもあんなものどう対処したらいいのか……それに、人形だって本当はまだ怖い。うなされるんです。斬ったら斬っただけ返り血を浴びてぐちゃぐちゃになる夢をみる。だから昨日王様の血をかぶったとき、本当に怖くて……」
「ああ」
「この世界のことだって、ほんとは怖くてしょうがない。夜ばっかで頭がおかしくなりそう。でも王様が隣にいれば、私はなんだってできるって……だから王様……お願いだから、もう痛いこと、しないで」
「名前、わかったから落ち着かぬか」
 口から溢れる支離滅裂な言葉を止めることができない。弱音を吐いたら見捨てられる。そうわかっていても限界だった。この人に軽蔑されることを思うと、それが一番怖い。取り戻せない言葉を発してしまったことにさっそく後悔がつのる。
 けれど王様は、肩で息をする私の体を抱き寄せると、いつかのように胸の内にすっぽりと囲った。
「泣くな」
 そうして私の震えがおさまるまでゆっくりと肩を撫でてくれる。昨夜と同じ男とは思えない、優しくゆるやかな手つきだ。うっとりとしてつい見上げれば、当然のように唇を重ねられる。思えば昨夜は一度もキスなんてしていない。そんな甘さは少しもなかった。目を閉じる気のない王様の視線が恥ずかしく、私は逃げるように瞼を伏せた。吐息を滲ませたまま彼はゆっくりと唇を移動させ、耳朶を噛む。
「抱きなおすぞ、名前」
 この人のことを、受け入れられなかった自分にこそ傷付いているのだ。あんな状況で抱かれてしまって、彼を憎んで終わりになどしたくない。
「ゆっくり、してください」
「わかっている」
 何もかも昨日とは違う王様の手つきを感じながら、体の力を抜いていく。指先の一つ一つが昨夜のことを塗り替えるように丁寧だった。
「王様……言い忘れてました」
「もう口を噤め」
「でも、これだけ。私の判断ミスで大怪我をさせてごめんなさい。助けてくれて、ありがとうございました」
 彼ほどのサーヴァントがあのような危機に瀕したのは、ひとえに私がマスターとして未熟だからだ。できることとできないことを見誤り、犠牲を負わせてしまった。彼の言う通り私たちの存在は一蓮托生、どちらかが生き残れば良いというものではないのだ。
「昨日のことは、全てが成るべくして成ったことだ」
「……」
「礼はいらぬし、我も謝らん。だが……」
 全てを見透かすその目を閉じて、彼は深く長くため息をつく。
「男女の睦みごとを昨夜のようなものと思ったままでは、貴様があまりに憐れなのでな」
 そう言った彼の顔はよく見えなかった。私たちは恋人じゃなくマスターとサーヴァントだから、馴れ合うにはそれなりの理由がいるのだ。彼が私につけた傷を舐めるというなら、私はまた無防備に身をさらす他ない。
 彼の傷はすっかり塞がり、消えている。もう一度そこを撫でると、王様はやはり息を吐いた。その息を飲み込むようにキスをする。目を閉じないこの人は獣と同じだ。けれど今は一時だけ、優しい。あの狼はもうこの世にいないのだろうと思った。
2017.11.04



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