星の餞別-6
 隔絶都市・新宿にはいくつかの不文律がある。略奪をせよ。弱者から奪いとれ。弱きを挫き、虐げよ。だがその啼き声が聞こえたら──奪っていた者も奪われていた者も、一様に逃げなくてはならない。

 北西の避難エリアは日に日に人で溢れていった。
 私の目が及ばない範囲からも、噂を聞きつけた人々が安息を求め集いだしたのだ。聞けば第二陣は環状線の外から来た者が多いらしく、皆一様に口にしていた。「あの晩はどうしても動けなかったのだ」と。
「──昨夜はここで、たむろしていた極道者を噛み殺して回ったらしいです」
「それはよい掃除になったな」
 何の変哲もない繁華街の外れである。国道を根城としていたあの巨獣が、ここ数日は住宅の路地にまで姿を顕すのだそうだ。
「冗談になってませんよ」
「我が冗談など言うと思うか」
 腕を組み隣に立っている王様は、あの日を境にして高みの見物をすることを止めたようだ。こうして私の横に立ち、人の目線で物を見てくれるのは嬉しいが、言うことは相変わらず人並み外れている。
「とにもかくにもあの怪物の足止めをしないことには、山手線の向こう側から人がやって来れません」
「そうは言うが、貴様に勝算はあるのか」
「戦うのは無理だけど、一角に閉じ込めるくらいならきっと……」
 多勢に無勢の機械人形と違い、大きくとも敵は一体なのだ。あの獣がいるところには人形も姿を見せない。それに王様が大部分を撃破してからというもの、さすがの人形たちも数をめっきり減らしていた。
「つまりその貧弱な結界術で一丁前に防衛線を張ろうというのか」
「一晩だけでも封じられれば、みんな安心して移動できるから」
「わからんな。まったく何故そうまでして身を砕く」
「……」
「まあよい。また小賢しく立ち回ってみせよ」
 こんなふうに突き放すようなことを言うけれど、今こうして立っていられるのだって王様が魔力を分け与えてくれたおかげだ。感謝とともにおかしな気持ちまで思い出してしまった私は、もにゃもにゃと歯切れの悪い返事をしながら宝剣の素振りを試みた。
「何だ貴様とうとう壊れたか。あの出来の悪い人形どもでも、もう少し優雅に動くぞ」
「準備運動ですよ! 王様は私を貶める言葉については尽きるところを知りませんね!」
「道化を王の言葉で評してやっているのだ、感謝をせよ」
 なんとなく日常となってきた王様との掛け合いを、精神安定の材料としている私はずいぶん神経が太くなったと思う。獣の声も、人形の起動音もそばに無し、と安全確認をした私は「ところで」と話題を変えかけて、口をつぐむ。見上げた彼の目が、一瞬にして鋭さを帯びていたからだ。
「気づかぬか鈍間」
「え……」
 王様が宝具を放つと同時、ようやく気配に気づいた私は背後の影に向かい剣を振り上げた。しかし斬り伏せてもいまいち手応えがなく、自分が何と戦っているのかすらわからない。
「王様、これは」
「口はいい。手を動かせ」
 電柱の陰や店の軒、排水溝の隙間などから立ち上った黒い影は、明確な敵意をもって私たちを襲ってくる。打ち払い、根気強く捌くこと数分、ようやく散ったそれは今までに相手取った敵とはまるで異なるように思えた。その出所を考えているのか、黙り込んだ王様を横目に私も思案する。新たな障害があるのなら、今考えている計画は練り直した方がいいのかもしれない。
「雑種」
 一時撤退をしましょうと口を開きかけるも、それより先に王様が私を呼んだ。
「はい」
「世界が何らかの形で不条理に終わったとき、失われた膨大なエネルギーはどうなると思う」
「どうって……」
 王様は何かしらの解を得たようだった。私には難解すぎる問いかけに口ごもっていると、彼は元から答えなど期待していないという顔で言葉を続ける。
「人類史が修復される前、それは一つの輪となって宙にとどまっていた。やり方は気に食わぬが理屈は通る。略奪のような方法といえ、霊や魂に等価としての行き場はあったのだ」
「行き場……要するに、各時代の文明エネルギーが、天の輪へと転換されていたんですよね」
「ああ。だが今はそれがない。隔絶空間というものはその理すら悉く歪んでおる。外界は遮断され消失したが、その折りに発生した膨大なエネルギーは行き場を失くし、壁の外で渦巻いている状態なのだろう。見よ。ここは壁の間近だ」
「つまり……」
「その力が今在る世界──つまるところこの新宿に矛先を向けるのは当然の話だ。ここは真空の宙にぽっかりと空いた穴のようなものだからな」
 壮大な規模には慣れてきたつもりだった。けれど彼の言うことは、明快であるがゆえ理解がしづらい。否、理解ができても納得がいかないのだ。
「じゃあ、この影達は壁から滲み出る、外世界の残滓ということですか」
「かつて在った世界が、今在る世界を侵食する。なんとも皮肉なことではないか」
 王様は大した感慨も込めずにそう言うと、こともあろうか盛大に高笑いをして、ふうと息をついた。
「わ、笑ってる場合じゃありません……!」
「では泣けと? どちらにせよ貴様は獣を探しておるのだろうが」
「それはそうですけど」
「この壁とていつまで保つかは怪しいな。カルデアの者が根幹を叩くのが先か、世界が外から閉じるのが先か」
 そのことを、カルデアの人たちは知っているのだろうか。壁に沿って行動している私たちと違い、彼女らは街の中心で奮闘をしている。世界を救う前に、世界自体が自ら閉じてしまう可能性があるのだ。途方もない展開になんだか目が眩む。機械人形に、謎の影、そして目下最大の脅威である──。
「……この声は」
「本命だな」
 人を腹の底から恐怖に陥れるような、低い唸りが夜空に響く。
 今まで遠くから聞いていたその声は、こうして近くで耳にすれば圧倒的な危機感となって防衛本能を喚起した。壁に反響し、うまく指向を捉えられない。けれどその後上がった悲鳴の出処はわかった。人の声がした方向に駆け出して、見慣れたドラッグストアの看板を曲がる。
 そこで目にしたものは、この場所が私の知る新宿の街でないということを、かつてなく痛烈に実感させた。
 再三理解していたつもりだ。見くびっていたつもりもない。けれど、これは、あまりにも──。
「大きすぎる……」
 青く毛並みを光らせる巨大な狼は、人の存在を否定するために生まれた神獣そのものに見えた。戦えずとも制御できないものかと、先程まで目論んでいた自分がいかに甘かったかを思い知る。防いだり倒したりなど、そんなことができるのならばカルデアの使者たちがとっくにしていただろう。彼女たちにできないことを、私一人にできるはずがないのだ。
「口ばかりか? 情けない」
 けれどその声を聞いて、私はもう自分が一人ではないことを思い出す。
 あの途方もない物量の剣撃があれば、この獣だってどうにか制することができるのではないか。しかして避難のための防衛計画その前に、考えるべきは今この場をどう凌ぐかだ。
「王様、なんとか時間を稼いでください」
「我をサーヴァントとして使う気か? まあよいだろう。人形遊びにも飽きてきたところだ」
 無残にも食い千切られた死体の傍で、腰を抜かし震えている男が一人。その向こうに、逃げ場を失った男女が数人取り残されている。王様が宝具を開放すると同時にそちらへ顔を向けた狼は、大きすぎるがゆえ足元の小回りはきかない。私は防衛魔術を立ち上げながら、逃げ道となる路地へ結界を張る。
「こちらへ!」
 派手に飛び交う剣も爪も、まともに食らえば即死を免れないだろう。駆け寄り男を引っ張り起こすと、できる限り防衛盾の強度を上げて退路を確保した。近場の雑居ビルに目に付く人らを避難させ、路地へと戻る。そうして目に飛び込んできたのは、空中に広がる一際大きな波紋だった。
「随分と、分をわきまえぬ犬畜生よ」
 亜空間の歪みから、何かとてつもなく巨大な宝具が覗き見える。
「神獣退治の大鉾だ。これを受けてもまだ、そのようにだらしなく大口を開けていられるか──」
 すうと空へ手が翳され、刃先が震えるように共鳴する。
「確かめてやろう」
 轟音とともに発射されたそれはあたりのコンクリートを吹き飛ばし、信号機をなぎ倒した。すんでのところで避けたのか、もしくは意図的に外したのか──狼が倒れる様子はなかったが、王様の背後にはすでに同様の武器が三つ四つと連なっている。
「もういいです! 深追いは……」
「ふん、言われずともせぬわ。マスターぶるでない」
 通りの向こうへと跳ね退いた狼はそのまま向きを変え、ビルの陰へと消えていく。
「そも、あれを屠るは我らの役割りでない」
 王様はそう言うと涼しい顔で宝物庫を閉じ、私を見た。帰るぞ、ということらしい。
 巨大狼の実態に、新たな影の脅威。収穫はありすぎるほどあった。私はこくりと頷いて、剣の柄を握りしめる。
 今更ながら震えがはしった。彼はそれを見てふんと鼻を鳴らしたが、それは何も恐怖からばかりではないのだ。初めて王様と共に戦えたことに、震えるほどの興奮を覚えていた。一つ息を吸って踵を返す。世界が閉じる前に、あと何度彼の剣を見られるだろうか。
2017.11.02



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