星の餞別-3
 私を変えると、王様が言ったのは昨々晩のことだ。

「どうした雑種! そのような及び腰では世界を救うどころか雑兵の一人も倒せんぞ!」
 しかしそれから彼がしたことといえば、こうして戦う私を高みから見下ろして、檄という名の野次をとばすことくらいだ。私は視界の悪い路地裏で、各方から襲いくる機械仕掛けのオペレッタをなんとかかんとか斬り捌いていた。
「け、契約完了したんじゃないんですか!」
「契約はしてやったが協力をするとは言っておらん。そら前を見ろ。我の宝剣を持ちながらにして敗戦を喫することは断じて許さんからな」
 見るからに力を持て余しているこの尊大なサーヴァントが、助太刀をしてくれる様子はまるでない。それでもこうして付き添って、やれ後ろだ前だ、腰が高い、脇が甘いなどと助言をくれるのだから感謝をするべきなのかもしれない。立場が入れ替わっていることを除けば、私たちの相性はとても良かった。いつでも状況を俯瞰する王様と、地道な対処を得意とする私。あれから住宅地への敵の侵攻は日に日に増している。なんとか生き延びている善意の人間たちも、壁の内側を逃げ惑うことに限界を感じているようだ。夜毎見廻りをして、できる限りの防衛をしているが私一人が出来ることには限りがあった。
「及第には遠く及ばんな」
「……わかってます」
「だが腰のいりはましになった。数日あれば死ぬかとも思ったが、なかなか粘るではないか」
「死んでなんかいられませんよ。だいたい我を喚んでおいて死ぬことは許さんって言ったの、王様じゃないですか」
 戻るのは大抵が朝方だ。朝といってもぐるぐると時計が回るだけで空が白むことはないのだが、体力や魔力の限界が嫌でも体に時を告げる。ズタボロになった私と、一糸乱れぬ風体をたもつ王様とはまさに対極の様相だった。
「当然だ。かように躁狂な出し物などそうない。貴様は道化師として一流の道を歩んでおるぞ」
「ありがとうございます……」
 褒められているのかそうでないのか、判断がつきかねるが一応礼を言う。すると彼は破顔していた表情を静かに整え、その美しい目をわずかに細めた。
「よい。励め」
 からからと笑ったかと思えばこうして高貴さを満ちさせるのだ。王様がどこまで本気で言っているのかはわからない。けれどこの人の声には相変わらず麻薬のような陶酔性があった。空になったはずのエネルギーが腹の底で唸りはじめる。ぐっと拳を握り、今日得た経験を思い返す。
「無駄に漲るのはよいが、少し身なりを整えてこぬか。そのような姿のまま我の隣で休むことは許さんぞ」
「はい……」
 許すと言うこと以外はすべて許さないのが彼だ。そろそろ王の傲岸不遜さにも慣れてきた私は、すごすごと引き上げて離れに向かった。参道脇の社務所にはまだライフラインが生きており、女一人が生活をする程度の設備は整っている。ここで生活をしていた神主や巫女はきっともうこの世にはいない。人助けをした者から街の闇に飲まれていった。
 温かな湯に口元まで浸かりながら、心の内を整える。考えすぎてはいけない。一つの思いに囚われれば、足はとたんに止まるだろう。


 その日は南側の壁に沿い探索を進めていた。
 新宿御苑を拠点にすえた荒くれ者の聖女様は、ちかごろ別所へ居を移したらしく、ここらも情勢が混沌としはじめている。雀蜂と呼ばれる体制側の傭兵や、略奪をやめないチンピラたちのあいだを縫って進むものの、いざ彼らが襲われればそれだって無視をするわけにはいかない。都心に寄れば寄るほど人形の数は段違いに増えた。倒しても倒しても、どこからか涌くように集まってくる。
「何やら因果な成り立ちをした人形のようだが、貴様の修練にはもってこいでないか。何しろ数が減らん」
 これを作った諸悪の根源が、もう絶たれていることは予想ができた。けれど一度放たれた機械たちは半永久的に街を駆け、人間たちを襲い続ける。
「そうですね……」
 人形を斬っているはずなのに、いつのまにか私の手は血でべったりと汚れていた。胸に嫌なものがこみ上げるが、首を振って意識を保つ。
 溜まる疲れをおして社へと戻った私は、ずっと考えていたことを王様に告げてみた。
「こうして無為にうろついて細切れの結界を張ったところで、もはやきりがないと思うんです」
「阿呆にしては気づくのが早いな。だがどうする」
 私はポケットに手を入れて、ずっとお守りのように携えていた一粒の宝石を翳す。
「師から授かったものです。私はあまり宝石魔術が得意ではないけれど」
「ほう、悪くない結晶だ」
 王様は私の手からそれを受け取ると、蝋燭の火に一度透かしそう言った。原則、流動して一所にとどまらないとされる魔力だが、自然石の結晶は例外的に一定量を貯蔵することができる。質のいい石なら相当なエネルギーを収められるし、私の師はその道において一角を担う魔術師であった。
「社を中心にして、裏の霊山まですっぽりと入る結界を張ります」
「霊山だと?」
「今は土地が均されていますが、新宿の北西は古くから霊脈のスポットです。この宝石の魔力があれば、カルデアの皆さんが戦いにカタをつけるまでの間くらいなら、私でも結界を維持できると思います」
「カタをつけるまで……か」
 王様は意味ありげに呟いて私を見た。彼が時折り見せる、人を裁定するような目付きが恐ろしくてしょうがない。私は一つ息を飲んで、その目をじっと見返した。
「まあよい。したいようにしてみよ」
 私へ宝石を返すと、どこへ行くのか彼は霊体化して姿を消してしまった。引き続き必要以上の助力も介入もする気はないようだ。彼は未だに真名を教えてくれないし、それどころかクラスすら不明だ。けれど私からすれば、この退魔の宝剣を貸してもらえただけで御の字である。これのおかげで、私にできることは格段に増えたのだ。

 その日の夜から、私はさっそく行動にでた。
 各区域へ足を運び、神社北西の一帯を誰でも逃げ込める安全地とすることを告げて回る。避難のための最短経路を割りだし、それぞれの集団のリーダーを決め、できる限りの後方支援をすると約束した。
 昨夜開放した宝石の魔力は思いの外大きく、境内から半円を描いて元霊山である住宅地を丸ごと覆うに至っている。私の結界術はつたないものだけれど、あれだけの力があれば一週間は保つだろう。その間にカルデアのマスターが悪の根源を断つことを願うしかない。どのみち籠城できたところで、物資が尽きればそこまでだ。
 それにおそらく、この世界を切り離した張本人は新宿との心中を望んでいる。どのような方法かはわからないが、策謀を阻止できなければ彼らもろとも全ての生命が死に絶えるのだろう。そしてそれを止めるのは、私の仕事ではない。
「成るように成る」と王様は言った。こんな救済は雑事だと。労力に見合わぬ愚策で、本筋に影響しない端書きなのだと彼は初めから言っていた。それでも──。
「このまま真っ直ぐ街道を下ってください! 鳥居より向こうは安全です」
 人々が連れ立って動き出した頃、気配を察知し郊外へ流れてきた機械人形を、あらかじめ仕掛けておいた結界網で捉え撃破する。体系立って移動すれば、ここ新宿という街はそう広くはない。お年寄りや子供の足でも、結界区域へ逃げ込むことはそう難しくないはずだ。
 懸念していたもう一つの脅威も、今日は幸い大人しくしている。あれが動けば私に勝機はない。神経を尖らせながら、私は国道の端を駆けた。都庁だったものが黒々と空を切り抜いて、この小事を見下ろしている。小事だろうと人の命だ。聖杯などという欲にまみれた願望器に、弄ばれてたまるものか。
2017.10.29



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