星の餞別
番外-4

 あの日と同じことはたくさんある。
 体をはしる赤い紋様。腰に回る大きな手。しっとりと濡れた金の髪に、たくましい腕。散々欲を放ったあとの王様は、草葉で身を休める獅子のように鷹揚としている。一方の私はかき乱されたすえに意識を飛ばし、気づけばすべてが終わっていたという状態だったが、彼に抱かれた熱や潤いはまだこの身にしっかりと残っていた。
 そして、あの日と違うことは──。
「もう朝です」
「随分と長く落ちていたな貴様」
 この世界の夜は、明けるということ。
「……すみません。でも今日からは剣術の鍛錬があるので、ちゃんと寝ないと」
 私の言葉に鼻を鳴らし、王様は枕に肘をつく。薄明かりの中でもよくわかる雄々しき美貌に見下ろされ、思わず息を飲んだ。
「あの剣は健在か」
「もちろんです。王様、その」
 昨日うやむやになったことに対し、何をどう言えばいいか迷った末、私はなんのひねりもない言葉を起きしなの緩さにかまけ発してしまう。
「ありがとうございます。心配してくれて」
 彼は眉をしかめしばらくのあいだこちらを睨んでいたけれど、ふいにごろりと横になり、気の抜けたような息を吐いた。
「人形どもに囲まれ無様に倒れたマスターがいると聞いてな。一体どんな軟弱者かと見に来たまでよ」
「……そうですか。感想はどうですか」
「変わらぬ貧相さよな。新たな男に抱かれ少しは育ったかと思ったが」
「だから、私とランサーはそういうのじゃありません!」
 彼がどれほど本気で言っているのかはわからない。けれど否定をしなければしないで、容易く逆鱗に触れるであろうことはわかる。まったくもって理不尽な話だが。
「あれもなかなか、女を狂わす星に生まれておるぞ。貴様など赤子の手を捻るようなものであろうな」
「女を狂わす?」
 王様はそう言うけれど、今のところ我がサーヴァントから、そのような不埒な気配は全くと言っていいほど感じられない。
「杞憂ですよ。そもそも、それほど鳴らした英雄が今さら私なんかに……」
 そこまで言って、生前どれほど悦楽を極めようと、それはそれとして手近な玩具を欲する男もいるのだと思い当たる。
「そうだな、今さら貴様なんぞに手を出すのはよほどの物好きであろう」
 王様は自戒のようにため息をつき、にやにやと感じの悪い笑みを浮かべた。この男は、やんごとなき古代の王でなければ反射的に引っぱたいてしまうほどの憎らしさをしばしば発揮する。そしてすでに一度引っぱたいていることを思い出し、今更ながら自分の首が繋がっている奇跡に感謝をした。
「どうした首など押さえて」
「いえ、ちょっと」
 私の首筋をするりと撫でると、王様はそのまま体の輪郭をなぞるよう、ゆっくりと指を這わせてきた。昨日つけられた鬱血や、訓練でついた傷跡に触れられる度ぴくりと肩がふるえる。
「あの狗」
「……え?」
「甚だ信用ならんな。主人一人守れぬようでは」
「これは、昨日のトラブルでついた傷です。ランサーは優しいけど手を抜かないから、またしばらくは生傷が絶えないかも」
 けれどこんなものは、新宿での満身創痍と比べればかすり傷のようなものだ。そもそも私の身を守るどころか、私が血みどろになろうと野放しにし、時に自ら手をかけようとまでした破壊的なサーヴァントにダメ出しをされる覚えは、ランサーとてないだろう。
「王様?」
 くすぐったくてうつ伏せた背に、圧迫感を感じ問いかける。
「仮初めのものとはいえ、受肉などをすると欲が増していかん」
 王様は私の肩に歯を立てて、いつかしたようにゆっくりと食んだ。無意識か意図的か知らないが、これはいかにもマウント行為である。いつでも噛み千切れるやわらかな部分に噛み跡を残しながら、彼は生き物としての序列を私に刻み込んでいるのだ。
「しばらくは貴様で我慢してやる。光栄に思えよ」
「わ、わたしべつに、抱いてほしいなんて言ってません!」
「貴様は我に惚れていようが。あれほど熱を帯びた言葉で吐露しておいて、何を今さら」
 言われて思い出すのは昨夜の恥ずかしい告白だ。
「……だからといって、自分を好いていない人にあけ渡す体はありません」
 枕に頬をつけたまま、少しだけ身を縮こまらせる。たしかに私は取り返しがつかないほどこの王に魅せられてしまっている。けれど男としての彼に、女としての自分をすべて捧げるまで盲目的ではない。
「今さら遅いわ。名前。女が言い訳を許されるのは二度までだ」
「言い訳?」
「三度抱かれれば、それは貴様自身の情欲よ。男のせいにするなど見苦しいぞ」
 王様はそう言って私の肩を掴むと、軽々と裏がえし目を見据えてきた。逃げ場も退路もすべて断つこの視線を、今では少し気持ち良いとすら思ってしまう。
「わたしの……情欲……」
 お腹のあたりからじりじりと昇ってきた熱が、首から頬から耳たぶにまで染み渡る。好いた男性を求めることは何もおかしなことではない。でもよりにもよって本人からきっぱり明言されると、驚きや羞恥やちょっとした罪悪感のようなものが一度に湧き上がり、か細い呼吸以外のことができなくなってしまうのだ。
「絵に描いたような初心な反応をよこすな。さすがの我もかける言葉に戸惑うであろう」
 百戦錬磨のギルガメッシュ王はすっかり呆れはてている。嘘でも私を好いてるなどと言わない彼は、ある意味で信用できる。あらゆる美女を愛でたと豪語する男の下で、今さら気負うのも馬鹿らしいだろう。指の先からやわやわと力を抜いて、息を吐いた。
「私、欲求不満なんでしょうか」
「……知らぬ。だが、我に抱かれたその体を他の者に許してみろ。双方の命はないと思え」
 甘い言葉は一つもないのに、しっかりと所有だけするこの王は根っからの蒐集家らしい。私くらいの女でも、一度手に入れたものを奪われるのは我慢ならないようだ。
「そんな予定はないし、したいとも思いません」
「女の常套句よな。貴様は思わず牙をつきたてたくなる柔い肉を、誘うように晒す癖があるから気を付けろよ」
 そんな風に人の隙ばかりに目を光らせているのは王様くらいじゃなかろうか。そう思ったけれど、私は一応神妙に頷いて顔をひきしめた。
「気をつけます。今日から鍛錬なので」
「そっちの話でないわ」
「そろそろ起きないと。しっかり朝食食べたいし」
 気合いを入れる私を見て、王様は渋々といった様子で私の上から退く。日常の頭になると裸でいることが途端に恥ずかしく思え、そそくさとシャツを羽織った。シャワーを浴びて、気持ちを切り替え、今日もマスターとしての研鑽を積まなければならない。
「我はまだ寝るぞ」
 背後では輝かしき古代の王がごろごろと寝返りをうっている。「私の欲」と彼は言った。たしかにこの王様を他の誰にも渡したくないと思うのは、我欲の薄い私のただ一つにして最大の強欲だ。
2018.01.05



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