星の餞別
番外-3

 驚きのあまりベッドから落ちそうになった私の腕を、呆れた顔のランサーが支えている。
「ふん、手懐けたのか手懐けられたのか知らんが、随分と仲睦まじくやっているようではないか」
 いつでも悠々と喋る王様だが、その微妙な抑揚により機嫌がいいのか悪いのかくらいは予想がつく。
「へえ王様、あんた名前と面識があったのか」
「誰の許可を得てその女の名を呼んでいる」
「……面識どころじゃ、ねえみたいだな」
 そして私の経験則からして、今の王様はすこぶる機嫌が悪い。一方のランサーは気まずそうに、けれど少し面白そうに私の顔を見て、それからまた王様へと目を戻した。
「確かにマスターはマスターだ。それ以上の関係になるのは余計な面倒ってもんだな」
 場を収めるようでいて挑発の気配が抜けきらないのは、生まれ持っての彼の性質だろうか。ひやひやしながら黙っていると、王様が「何か言え」というふうに私を見た。なんとか体勢をたてなおし口を開く。
「ええと、何か用ですか」
 選んだ言葉のあまりの選択ミスに自分を殴りたくなったが、純粋に気になるのはその一点なのだから仕方ない。
「ほう、雑種」
 彼がこのように感嘆するとき、それが最悪の心情を示していることを知っている。ランサーはやはり呆れた顔をしていたけれど、これ以上この場にいても面倒事に巻き込まれるだけと悟ったのか、立ち上がりドアへと去ってしまった。急に隣がすかすかとしたことによる心細さは否めないが、王様との悶着に自分のサーヴァントを巻き込むことは私としても避けたい。
「んじゃあマスター、しっかり休めよ」
 この状態でそれを言い残す彼は、なかなかいい性格をしていると思う。
「あーあと王サマ。うちのマスターは明日から俺が鍛えなきゃならねえから、あまり無体は働かないでくれよ」
 加えて残された台詞は、やはり牽制のような挑発のようななんともいえない色をまとっていた。王様はそれに対して何も返さず、ただ腕を組んで睨むのみだ。彼の去った部屋にしばしの沈黙が訪れ、居住まいを正す私の衣摺れが妙に大きく響く。ふいに伸びた王様の指にまた顎を掴まれ、私は座ったまま、ひと月ぶりに彼の尊顔を目に収めた。くらくらとして、あたまがぼんやりとしてくる。寝不足のせいだと思いたいがきっとそれだけではない。
「王さま?」
「相変わらず雑種の見本といった顔よな」
「……ひと月足らずで顔なんてそう変わりません」
 私の返答にフンと鼻を鳴らし、彼はそのまま口元の傷へと触れた。
「我の許しなく、顔に傷を作るな」
 無遠慮になぞられ痛みが走る。抗議の言葉をあげようにも、指は唇を割り口内にまで侵入してきたためそれどころではない。
「表が変わらずとも、内はわからん。所有品も時折り手にとって管理をせぬことには……虫がわくからな」
 弄ぶよう舌をいじられ、たまらず顔を背ける。
「私は王様の所有品じゃありません」
「ふむ、忘れたか」
 いきおいのままこちらへ迫る王様に制止をかけるも、案の定というべきか、彼が思いとどまる様子はない。手首を強く抑え込まれ、あの晩の記憶がよみがえる。
「手荒にしてやれば思い出せような」
 独り言のような呟きは、目の前の私の返答や同意を得るためのものではないのだ。彼の欲望はいつだって彼の中だけで完結している。宝具として体現する、その宝物庫のように。
「王様、怒りますよ」
「世迷い言をほざくな。……それとも、もう操を立てたのか?」
「操?」
「あの狗に何度抱かれた」
「わ……私たちはそんなんじゃありません!」
 私を怒らせるためか、それとも本気でそう思っているのか、聞きづてならないことを言われ思わず声を荒げてしまう。
「離してください! だいたい王様が言ったんですよ、私とあなたはもうなんの関係もないって」
「そうだな。サーヴァントとして貴様と関係することはもう金輪際なかろう」
 ふうふうと憤る私を、彼は愉しげに、けれど私の力が入りきらないほどの威圧感をもって見下ろしている。
「だが、伽の相手くらいはさせてやってもよい」
「ふざけないで!」
「ハ、また頬を張ってみるか? 我への令呪を持たぬその右手で」
 腕を掴んでいた手のひらが首に移動したところで、とうとう私の息は大きく乱れた。あの日、夜の終わりの端っこで、彼はたしかに私を認めてくれたはずだ。道化と嗤いながらも、最後には自らの真名を教えてくれたことが何よりの証だ。それなのにどうしてまた、力任せに試すようなことばかりするのだろう。
「なんでこんな、酷いことばっかするんですか」
「決まっていようが。我のことで掻き乱れる貴様は見ていて面白い」
 それを聞いて思い出した。苛立っているときのこの人の言い分はとんでもないのだ。己の欲望の破格さを自覚した上で、曇りなき開き直りとともに他人へ向けて発散する。王だか神だか知らないけれど、その溢れ出る荘厳さを別にしてみれば彼だって一人の男であることに変わりはない。私は彼を尊敬しているし、王として英霊として、貴い者だと知っている。けれどそれとこれとは別の話だ。
「随分と余裕だな、縊り殺される一歩手前というのに」
「余裕なんかありません。……でも王様は、私を殺したりしないから」
「その自信どこから来る? 思い上がりもあまり過ぎれば可愛げがないぞ」
 途端強まった圧力に、ぐっと喉を詰まらせながらも言葉を返す。
「だって、心配して見にきてくれたんですよね?」
 訓練室での誤作動は、それなりの騒ぎとなってカルデア内を賑わせている。あれから宣告どおり私のことなど目の端にも入れなかった王様が、こうして昨日の今日で部屋まで来てくれたのだ。つまりはそういうことだろう。機械人形と私の因縁を知るのは、ここでは彼ただ一人なのだ。
 瞠目した王様は、一瞬子どものように目をまたたかせた。初めて見るその顔に、ついおかしな満足感を抱いてしまう。次の瞬間殺されたとしても、これなら割りに合うなどと思ってしまうほど。
「貴様……しばし見ぬ間にまた驕り具合に拍車がかかったな」
「ほ、褒めてますか?」
「たわけ。褒めてはおらんわ。まあよい」
 彼はごろりと横になり、拍子抜けするくらい穏やかな声でそう言った。
「刺激に慣れるのは良いことだ。……だが慣れるというなら、さらにその上を用意せねばならんな」
 恐ろしいことを言いながら、彼はスイッチを切るように怒気を収めている。やはり初めから遊ばれているところが大きいのだ。けれどそうであったとしても、人はライオンの戯れで死ぬことがあるのだから気は抜けない。
 遊びに飽きた少年の顔で肘をつきながら、王様は私を睨む。
「我に所有されるのが不満か」
 こぼされたその質問は、彼にしてはとても珍しいものだった。
 王様の問いは大抵の場合、初めから答えが用意されている。それ以外を選んだところで処断されるのが落ちだ。けれど今、彼は純粋な疑問として私の気持ちを量っているのだ。なんだか妙に強気になっていた私は、この際だからと胸の内をすべてさらすつもりで口を開いた。
「王様のものであるのが、嫌なわけじゃありません。でもそうやって我が物顔で抑えつけられると反抗したくなるんです。私は王様の宝物庫に大人しくしまわれてる剣なんかとは違うわけだし」
「まあどちらが使えるかはさておき、違うことは認めよう」
「でもだからといって、この前みたいに関係ないとか、興味がないみたいな態度をとられたら、すごく傷つくし寂しくなります」
「……貴様、我が殺気を収めたからといってよくもそこまで勝手な口がきけるものだな」
「勝手かもしれません。でも私はこれからもずっと、できればなるべく健やかな気持ちで、王様と一緒にいたいんです」
 一度ついたおかしな勢いは、止まることなく私の口を突き動かす。
「王様の目に映りたいし、声を聞きたい。できれば特別だって思ってほしい。優しくされたいし厳しく叱られたい。王様にされたいことはたくさんあります。好きなんです。あなたのことが」
「……」
「人を好きになって、わがままになるのはそんなに可笑しいことですか」
 口はまだまだ止まらないけれど、かといってポーカーフェイスを気取れるわけでもなく、私は両腕で顔を覆いながらひたすらに羞恥心と戦った。じんわりと滲んだ目尻が袖口を濡らしていく。
「王様のマスターが私じゃないって、当たり前のことを実感してすごく寂しくなりました。王様の言ったことは全部、正しい。永く生きているあなたにとって、縁のない私なんて砂つぶみたいなものでしょう」
 そこまで吐き出して、大きく息継ぎをした拍子に今度はなにも言えなくなってしまった。これはたとえ苛烈な情緒をもつギルガメッシュ王でなくとも、呆れ怒って当然の告白である。顔を覆っていたため彼がどんな顔で聞いているか、そもそもまともに聞いているのかすらわからず、私はもぞもぞと隙間から覗き見た。
「随分と情熱的なことを言ってくれる」
「……」
「だが我は、貴様の知る我ではないぞ」
 言葉とは裏腹に、王様はいつか見た戒めるような諌めるような顔をして、私の髪を掬う。
「通常、サーヴァントは各召喚時の記憶を統合して持ち得るものではない。それらの記憶は、記録として英霊の座に刻まれるが、記憶と記録は別のものだ」
 私が一番聞きたくて聞けなかったことを、彼はなんてことのない口調で言ってのけた。
「だがまあ、我は特別だ」
「特別?」
「我の目はすべてを見通す。並行世界の可能性までもを、記録を超えた実感としてな。我は識ったものを知り、視たものを見ることができる」
 すべてをみるということの意味を、私はやはり理解できない。
「新宿でのことも例外ではない。あの街の淀んだ空気の肌ざわりさえ、我は昨日のことのように思い出せる。だがな、英霊は人のように感傷を伴って思い出を心に留めることなどせんのだ。それをしていたら、いくら我とてさすがに疎ましい。心穏やかに反芻できる記憶ばかりではないからな。だがまあ──」
 王様も私と同じように息継ぎをして、それから少しのあいだ黙った。仰向けに横になり、どこか遠くへと目を向けている。
「あれはなかなか、悪くなかった。我も多くの時代と場所に喚ばれたが、貴様との数日はことに……」
 私の頭はとろとろとまた眠気をもよおしはじめる。まるで二人して同じ夢の中を漂うような、不思議なまどろみを感じていた。
「なんであろうな。おかしなものよ。あの街で起きたことなど、我の今までの経験と照らせばさほど大したことではない。特異点の中心であったならまだしも、我らは常に端にいた」
「はい。結局人々は傷つき、倒れました」
「だが結果的に貴様のしたことはこの星の文明エネルギーの持つ『業』をいくらか軽くしたのだ。貴様ら人間にはわからぬだろうが、星を取り巻く英気や霊気には量や強さとは別に、質というものがある」
「質……?」
「エネルギーは時空を超え循環する。汚され、濁ればそれだけ質が落ちる。その点では、あの街の終わり方はまあ及第点であった」
 彼の言葉は、相変わらず難しい。
「ふん、理解できぬという顔だな」
 私が素直に頷くと、王様はため息をついて長い講釈のまとめとした。
「つまるところ今この時、我と貴様がどのような関係であろうとも、それは些細な問題なのだ。時や空を超えて、我は貴様の存在を忘れ得ぬのだからな。これがいかに貴重なことであるか貴様ごとき雑種に──何を泣いておる」
 ばれた、と思い後ろを向く。ぽろぽろと溢れ続ける涙がどのようなものかは私にもわからない。けれどきっと──。
「嬉しいんです。嬉しいけど、少し寂しい」
「……」
「王様、私はやっぱり人間だから……今この時のことしかうまく考えられません。今すぐに、この場所で、王様に優しくされたいし、優しくしたい。駄目ですか?」
 尋ね終わるより先に背後から触れられ、難しい宇宙の話に、いくらか身近な落ちがつくことを知る。
「貴様は相変わらず、泣けるほど狭い世界で生きているな」
「そうみたいです」
「だがまあそれも雑種なりの長所なのだろうよ」
 王様の唇がうなじに這う。体の内が熱くしめっていく。
 すべてを見るのだと彼は言った。では彼のことは誰が見るのか。その疑問だけはついぞ口に出せず、代わりに私は振り返り、彼の頭を抱いた。
 柔らかな前髪が頬に触れる。星が巡り、水が流れ、雪が静かに降り積もる音が聞こえる。
 この人は時の流れそのものなのだ。
2017.12.17



- ナノ -