番外-1 王と名のつくものが、人の心の機微に聡いのは当然のことかもしれない。支配者たるもの人心を掌握し、操らぬことにはなにごとも治まらない。彼ほどのカリスマ性があればある程度は力任せでもいいのかもしれないが……やはり、この男には人の情緒をよく読み、弱味を一突きにするような趣味があるのだ。 外を見れば一面の雪景色。内を見てもそこは目がくらむほど白い。そんな中で凡人の私が必死になり汗水をたらしていると、まるで自分の存在自体が場違いなシミであるように思えてくる。 「どうかな。ここでの生活には慣れたかい」 定期のバイタルチェックを終えて医務室を出ると、管制塔の共有スペースに瀟洒な赤いドレスが見えた。 「ダヴィンチさん」 彼女はなにやら見慣れぬ機械の寄せ集めをいじりながら、ふいに顔を上げそう言った。白く端正な頬に、いかにも新規発明中といった炭がついている。 「おかげさまで……快適に暮らせています」 下界とは異なる生活、システム、倫理観に目が白黒するけれど、衣食住の快適さはさすがといったところだ。薄暗い夜の街とは明度が違いすぎて、しばらくは視界がちかちかとした。けれど十日も経てば、行き届いた生活環境に体力、魔力とも充実しはじめるのを感じている。なにせここは魔術師を管理育成するための専門機関なのだ。 人理の修復以降、各界から様々な人材が流れ込み、カルデア内部はごたついているようだ。今さらはぐれものの魔術師が一人紛れ込んだところで大した負荷はないのか、それともはぐれものにこそ何らかの成果を期待されているのか、実質当機関の顔であるらしいこの天才女史に、こうして常々気にかけてもらえている。有難く、恐れ多いことだ。 「一度目の召喚も無事成功したみたいだね、おめでとう。カルデアの一マスターとして、改めて歓迎するよ」 そう、ここでは聖杯の奪い合いなどとは関係なく、魔術師による英霊召喚が日常的と言っていい頻度で行われている。既存の常識に照らせば異常なことだが、人理修復と人類史の継続という実績がある以上そのシステムを頭から批判することはできない。 これでもかつての緊急時に比べれば大分数も減り、召喚にも一定の制約が設けられたのだと彼女は言う。差し出された手のひらを握り返しながら、私は先日、数人の研究員に見守られながら行った召喚術のことを思い出した。あの夜、打ち捨てられた神社の片隅で、一縷の望みをかけ臨んだそれと比べればまるで別物のようだと思った。 それでも、青い光の中に顕れたあの英霊が私のサーヴァントであることには変わりない。彼はどうやらここでの生活をいたく気に入ったらしく、すでにマスターである私よりも馴染んでいるくらいだ。ここでは人も英霊もこれといった区別なく、部屋をあてられ、空間を分け合い、衣食を共にしている。そう考えたところで、目の前にいるこの女性すら人ではないということに思い至った。 「どうしたんだい。じっと見て」 「あ、いえ……頬が」 「頬? ああ」 誤魔化すようにそう言うと、彼女は「汚れているかな」と笑う。私はとっさにハンカチを出して、彼女の頬に当てた。透き通るような白い肌だ。碧い目がたおやかにこちらを見ている。 「ありがとう」 「いえ」 けれどこうして触れ合える生き物同士であることに違いはない。美しい人と向き合い、ぼわぼわと顔を上気させていたときだ。 いつか時空の隙間で、そのことを私へと知らしめた張本人が姿を見せ──彼女とは対照的な緋色の目をこちらへ向けた。 「何を腑抜けた顔をさらしておる」 「お、王様……」 どんな時代のどんな場所で見ても、この人は一定の輝かしさを持っているため、ある意味でわかりやすい。けれど、うまく関わり合えるかどうかはまた別の話だ。カルデア内に存在する数多くのサーヴァントの中でも、この王はやはり一線を画しているように見える。加えて、目が覚めたらここにいた私と違い、彼はおそらく特異点新宿とは関連のない霊基として、改めてこの場に喚ばれているのだ。英霊の時間軸と記憶の関連がどのように成り立っているのかはわからないし、彼がいつからここにいるのかも不明だ。けれどおそらく──。 「王様は、その」 じろりとこちらを見下ろすギルガメッシュ王に「私のことをどこまで覚えているのか」と聞こうとして、飲み込んだ。 「いつもどこの部屋にいるんですか?」 再び言葉を交わせる今が、どれほど貴重で稀有な事例かなど知っている。けれど私と王様の間にある決定的なずれを目の当たりにするのが怖く、つい当たり障りのない質問をしてしまった。 「なんだ、我の閨に呼ばれたいのか」 「いえ、他意はないんですが」 ずいと顔を近づけてきた彼に驚いて目を背ける。それがよくなかったのか、王様は私の顎をつかみ無理やりに視線を合わせた。 「そういえば」 「……」 「抱いてやったことがあったな」 あけすけなことを言う彼に、私はますます慌てふためいた。二人だけの場ならまだいい。けれど今は隣にダヴィンチさんがいるのだ。 「あれは……状況が状況だったから、不可抗力で!」 「そうであったな」 焦ったあまりに自分の口からはっきりと肯定をし、つい墓穴を掘ってしまう。 「そういうことじゃなくて、ここに来てからまだ王様とほとんど話せていないので……!」 とっさに距離をとり言うと、彼は目の中を不思議な色に揺らし、表情を消した。 「話す? 我と貴様が今さらどのような言葉を交わす」 見た目も、声も、眼差しも、少しずつ私の知るそれとは違うようで怖くなる。当然のことだ。わかっていても心が追いつかない。別と思うにはあまりに同じで、同じと思うには何もかもが違っている。 「貴様はもう我のマスターではない。我と貴様の間にはもはや何の因果も由縁もない。今や最強と謳われるカルデアのマスターの元に、最強のサーヴァントであるこの我が召喚されたのだ。意味はわかるな?」 そんな私の心を見透かすように、王様は鋭く切り込んでくる。 「貴様の踏み入る隙など一片たりともないということだ。我が貴様のような凡庸な魔術師をいちいち気にかける理由もな」 言葉を返すことができなかった。けれど今はそれすら不要のようだ。返事はどうしたと叱ることもなく、彼は一方的に告げる。 「せいぜい分相応のサーヴァントとともに、死なぬ程度の瑣事をこなすがよい」 そう言い捨て、立ち尽くす私から視線を外すと、反論の余地もなくダヴィンチさんの方へ向いてしまう。どうやら戦闘シミュレータシステムのことで話があるらしく、元から私との会話は気まぐれの暇つぶし以下であったようだ。 それにしたってあまりの言い様である。しかしどれだけ頭を凝らしてみても、彼の言葉は相変わらず一分の隙もなく正しい。あるいはそう思わせること自体がこの王の能力なのかもしれない。自室へと踵を返しながら、ずれどころか、もう私たちの間に以前のような繋がりは一つもないのだと実感をした。 私は私の道を行かなければいけない。過去に縋るべきではない。カルデアでマスターとして生きるとは、そういうことなのだ。 * 「どうしてあんな言い方をするかな、王様」 色味の失せた顔でとぼとぼと引き上げていった彼女の背に、王がちらりと視線を向けたのを見て、思わず尋ねる。 本当に興味がなければ視界から外したとたん存在すら忘れるのがこの王だ。ひどい言葉とはいえあそこまで投げかけたのだって、関心の裏返しなのではと思える。王として英霊として、千年単位で在り続けるギルガメッシュ王が、気になる子ほどいじめたいなどという思春期前の子どもの様な嗜好をもつとも思えない。 「わからぬかダヴィンチ。あの女はな、突き放せば突き放すほど、周囲にまでよい余波を生む。そういうモノだ」 それがいたいけな少女を傷つけていい理由になるとは到底思えないが、二人が特異点新宿においてどのような時を過ごしたかはわからないため、なんとも判断ができなかった。 「王様が言うなら、確かにそれが彼女の性質なのかもしれない。けど彼女は人間だ。機能でも装置でもない」 「そういう貴様こそ、あんな庶民たらしい拾いものに随分と目をかけているではないか。一体どんな算用だ?」 「私は愛と人情の発明家だからね。これといった企みなく、後輩たちの世話を焼くのは当然のことさ。そもそも彼女がここへ召集されたのは、カルデア側のミスでもあるわけだしね」 私の返事に納得がいかないのか、王は薄い目でこちらを見た。あまり向けられて気持ちのいい視線ではない。無言で促され、仕方なく続ける。 「それに……思わぬ少女が思わぬきっかけで化けることは、王様もよく存じているでしょう」 「……」 「なんだか似ていると思いませんか」 彼女を第二の伝説にしようなどという気はさらさらない。そんなことは、狙って託す様なことではないのだ。ただ大切に見守った末、彼女の才が芽吹くというならばそれはきっとカルデアにとって、世界にとって喜ばしいことだ。 「似ているとは思わんな。化けるかどうかは──」 王様はその先を言わなかった。ただ赤い目が畏ろしいほどに慈愛をたたえているのが見え、背筋が冷える。彼の愛は、一人の人間にとってすればきっと暴力のようなものだ。 少女の行く末に思いを馳せながら手元のマシンに目を向ける。モーターの回路が根詰まりを起こしているため、頬はまた汚れるだろうと思った。 |
つづく 2017.12.08 |