星の餞別-11
 あれから彼はこの社に戻っていない。

 萎えた、というのは言葉通り私そのものに対してなのだろうし、もしかしたら人間、そしてこの隔絶空間すべてに対してなのかもしれない。

 どの道、一人になってもやることは変わらなかった。私は壁に面した避難区域の際端に陣取って、影の侵攻を阻み続けている。結界は破られていないが、濃く黒く吹きだまった部分から、やはりじわじわと染みている気がした。そしてその総量はだんだんと増えてきている。
 街の中心部は昨夜からキナ臭い。傭兵部隊の連射銃や、装甲車のエンジン音がひっきりなしに反響している。王様の言う通り、向こうはいよいよ大詰めらしかった。ここで戦いながら残りの時間を過ごし、街の隅で影とともに消えるのなら、それはとても私らしい終わりだと思う。
 ひとつ心残りがあるとすれば、宝剣を返す機会を失ってしまったことだ。手渡され、よろめいたときからこの剣の重さは変わっていない。私の腕で振るうには長すぎるし、退魔の力だって使いこなせてはいないのだろう。けれど、手には馴染んでいる。あれから毎日握っているのだ。この身にあまる宝物が、少しずつ私を受け入れてくれていることはわかる。
 握り込み、振り上げて、足元から絡みつく元世界の残滓を散らしていく。ごめんねと心で謝りながら刃を立てた。
 友人だったものかもしれない。家族だったものかもしれない。そのすべてが混ざり合い、どこへも行けずさまよった末、壁の内側へと這ってきたのだ。無念のまま現世界を侵食し続けるこの哀しいエネルギーを、滅することしかできない自分が不甲斐なかった。
 気づけば怪我を負ってもいないのに頬からぽたぽたと雫が垂れ、私は自分が泣いているのだと気付く。人形を斬っていたときと同じだ。人を守るつもりで、人だったものを殺している。救うつもりで傷つけて、やめどきを失い意地を張るなどもはやエゴでしかない。剣を置いてしまおうか。もう叱る人は誰もいない。口だけかと、いつでも突き落とすように背を押してくれた、手厳しい王もいないのだ。
 そう思い、地面に突き立てた宝剣から手を離しそうになった。けれど、何かとてつもなく大きな気配を上空に感じたことにより、私はまた本能的に剣を取る。
「うそ……」
 仰ぎ見た黒い空に迫るのは、巨大な光の塊だった。
 見たこともない場所に浮かんでいるそれは明らかに、一つの星と言えるものだ。けれど後方にある月と違い、その光は少しずつ大きさを増している。宇宙規模のエネルギーを携えた火と岩の塊が、この街をめがけ降り落ちようとしていた。
 世界の救いにせよ、終わりにせよ、そこに合図はあるのかと不安だった。そしてこれはあまりにも分かりやすい終焉の合図だ。隕石に砕かれるならば仕方がないと、思わずせいせいとしてしまうほどの──。
 そんなふうに呆然として、終わりにしようと思っていたのに、私の耳はやはり誰かの悲鳴を拾ってしまう。救いがたい偽善者だと彼は笑うだろう。でも笑われたっていいのだ。なにせ私は、一流の道化師なのだから。
 結界の中で空を見上げていた人々を、容赦なく飲み込む黒い影が見える。
 とっさに駆け寄り、断ち捌く。慌てて壁を振り返り、私はあの彗星が当然ながら、自然現象などでないことを思い知った。迫る星に引き寄せられるようにして、世界を囲う壁が崩れ始めている。
 裂け目からなだれ込んだ影の波は今までの比ではない。結界はあっという間に侵されて、中の人々を襲いはじめる。
「神社の方へ逃げてください!」
 そう叫んでみても、もう私一人で食い止められる量ではなかった。目につく人たちを守ってみるも、逃げ遅れた端から飲まれていく。私は撃退をひとまずやめて、でき得る限りの防衛魔術を人々の背後に立ち上げた。
 ただでさえ効きが悪い相手のうえ、範囲を広げているため強度は脆弱だ。それでも今はこれしかない。突破されれば区域は一息に飲み込まれるだろう。あの大階段の戦いで、どこかの箍を外してまで放出したように、神経の端々から魔力のすべてを総動員する。
 横暴で尊大で、暴力的なまでに慈しみ深いあの王様が、行け、足掻け、と言ってくれたことを思い出し私はそこに踏み留まった。
 隙間から滲み出た影たちが体中に絡みつき、肌を裂いていく。あまりの痛みで頭がくらくらとした。痛みだけじゃない。煮詰まったような哀しみや虚しさが、体の内側に沁み込んでくる。気が狂いそうなほどの負の感情が傷口からじわじわと入り込んで、心身の内で渦巻いた。
 私が守れなかった、見捨ててしまった者たちの痛みだ。そしてまた、目の前の人たちをも喪おうとしている。カルデアの少女に憧れた。多くを救い、誰かのために魔力をふるう強い姿に。
 届かないなりに頑張れただろうか。世界の痛みを減らせただろうか。塗り潰されかすんでいく令呪の紋様を見ながら、真っ暗な闇に埋もれる覚悟をしたときだ。
 私にのしかかる影の一部が、わずかに押し返され少しだけ息がしやすくなる。
「おうさま?」
 無意識にそう呟いていた。
 けれど必死に伸ばされたその腕は、彼にしてはあまりに細い。
「そっちに回れ! 」
 そうしてなんとか顔を上げた私は、そこにいるのが一人や二人ではないことに気付く。
「いま、動ける奴らを集めてくるから!」
 見ず知らずの女性が作業用のスコップを振り上げて、私の体から影を切り離そうとしていた。
「う、うごけるひとは……にげてください」
「逃げる? 命の恩人を見殺しにしてまで、生き延びるなんてできません!」
 手に取れる作業具や廃材を持って、影を押し戻そうと奮闘しているのはあの日、避難区域の中で力を失くしているように見えた大勢の人々だ。
「戦わせてくれ!」
「でも……」
「私たちにも、この世界がもう終わることくらいわかる」
「最後くらいは、抗いたいんだ」
 結界の破られたところへ、数十人が束になって武器とも言えない物を打ちつけている。侵攻を食い止めたそのなけなしの反撃が、私の体を一瞬自由にした。抜け出て、立ち上がり、宝剣を突き刺す。影は怯んだように退いて、結界の向こうで蠢いた。
 集まった人たちは皆私をじっと見ていた。
 俯いている人はいない。協力して逃げ切ろうと、夜の街を横断したときと同じだ。それならば、私に言えることは一つしかなかった。
「この世界は、もう終わります」
「……」
「それでも一緒に戦ってくれますか」
 誰もがごくりと息を飲み、そして小さく、確かな意思をもって頷いている。自分の心のみを信じるときとは違う、温かな活力が体を満たすのを感じた。
 はじめ数十だった人たちが、百もしくはそれ以上の勢力となり影に向かっていく姿が見える。地表が明るいのは上空の炎がゆらいめいて反射しているからだ。不幸中の幸いだが、隕石はそれだけ大きさを増している。
 しばらくは保った人海戦術も、影の濃い場所から次々乱されていく。どんなに人がいようと、まともに戦える武器がないのだ。逃げるなら、きっとここが瀬戸際だろう。もう私の魔力も底をついている。目の前で男性が倒れ伏し、その背を守った隙に魔術の一端がほつれたのがわかった。あっという間に結界が解けていき、ぞくりと背筋が粟立つ。
 全員飲まれる、という絶望に息を止めた一瞬──光ったのは星でなく、星のように降る幾本もの剣だった。
 上空から降り注ぐ金色のそれらは、闇を打ち払い影の霧を晴らしていく。
「剣を取れ」
 彼を知る私でなくとも、その声は神の啓示のように聞こえた事と思う。崩れゆく壁からこちらを見下ろす王様は、地表に突き刺さった数え切れないほどの武器を指してそう言った。
「生意気にも──我が祖国を思い出させるではないか。雑種ども」
 彼はあの日と同じ顔をしている。鳥居の中央から私を見下ろし、剣を授けた不敵の笑みだ。民を導き、鼓舞する王、そのものである。
2017.11.11



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