星の餞別-10
 侵略者の類ではないのだと思っていた。確かにそれは間違いではない。彼は人として人を支配する将でなく、高みから人を断ずる王なのだ。

 けれど今、その裁定を受け入れるわけにはいかない。私は右手の甲を左手の指でなぞりながら、なんとか心を整えた。
「欲望欲望って……強い欲のみが叶えられる道理はないでしょう」
「わけのわからぬことを言うな。戯言なら他所で吐け。不快だ」
「平穏を望む心だって、立派な人の欲です」
「ふん、だが力無き者に与えられる物などないぞ」
「それなら代わりに、私が振るう。それが力を得た者の責任です」
 あの路地で夜を過ごす彼ら、彼女らは、まさに私そのものなのだ。取り残され、無力感に苛まれてなお善良であろうとする凡人の群れだ。一体それの何がいけない。
「力だと? 随分と思い上がるな」
 王様は私を社殿の軒へ追い詰めると、それまで下方の住民に向けていた嫌悪感の塊を、すべて私へと転嫁した。肌が粟立ち、喉が乾く。
「貴様の力ではない。我の力だ」
「あなたは私のサーヴァントです」
「……ぬかすではないか」
 私はなんとか足を踏みしめ、硬い漆喰にぴったりと背を預ける。
「バグだろうと初期不良だろうと、私はあなたを召喚しました」
「だからといって、貴様の戯言を最後まで訊く義理はない。マスターを殺し座に還ることもできる」
 彼の言うことは畏ろしいが、ここで目を逸らすわけにはいかない。これは人である私のなけなしの意地だ。唇を引き結び王を見る。
 彼はそんな私をしばらくじっと見定めたのち、ふいに視線を緩ませ、口元に笑みを浮かべた。
「貴様よもや、我に二度抱かれたくらいで、いっぱしの位を得たつもりでいるわけではあるまいな」
「……そ、」
 小馬鹿にするよう顎を持ち上げられ、全身がかっと熱くなる。
「そういうことじゃないでしょう! 馬鹿にしないで!」
 これはマスターとサーヴァントの意志の問題である。そんなところに話をすり替えるなど卑怯だ。手を振り払い睨みつけると、王様は怒りとも高揚ともつかない熱を滾らせて、私の腕を掴んだ。
「吠えよるな、その意気はよい。だが……」
「王さま」
「貴様先ほどから、口が過ぎるぞ」
 乱暴に引き倒され、体勢を立て直す間もなく跨がられる。風雨にさらされた軒板はあちこちに棘が立っており、肌にきりきりと食い込んだ。
 その口ぶりからして、王様は私の不躾さに腹を立てているのだろうと思った。けれど彼の目に享楽の色が浮かんでいるのを見て、そうではないのだと悟る。王様は怒っているのではない。反抗的な下僕をねじ伏せ、征服することを愉しんでいるのだ。
「いや! こんなの強姦ですよ!」
「ふん、何が強姦。自分の所有物をどう扱おうと文句を言われる筋合いはない」
 彼の言い分はめちゃくちゃだ。そう思えるのは私が人間で、その中でも一際凡庸な存在だからなのだろうか。けれどたとえ彼がどのような神であっても、私は所有をされた覚えなどないし、この先だってそうである。棘に擦れて血の滲んだ私の肩に、彼は嬉々として舌を這わせた。そうして顔を上げた一瞬、その目があまりに傲慢に光っていたものだから、私はつい勢いよく手を振り上げてしまった。
「あ……」
 乾いた音が鳴り、手のひらにじんとした痛みが残る。ほう、と怖いほど穏やかに感嘆した王の声が耳に入り、我に返る。
 王様は自らの頬に指で触れながら、世にも珍しい生き物を見るようにくっきりと瞳孔を開いていた。
「王の頬を張るか」
 貞操の危機は、瞬時にして命の危機へと変わる。彼から発せられる異様なほどの威圧感は、それだけで私の感覚器官を麻痺させた。息がうまく吸えない。くらくらとして目がかすむ。
「れ……令呪をもって命ず」
 なんとか喉の奥からその言葉を絞りだして、右手を翳した。
 早く言わなければ最終手段を封じられ、それどころかここぞとばかりに反撃に出られるだろう。令呪による命令を試みるとはそういうことだ。本能をもってわずかに身をこわばらせた王様の目を見ながら、口を開く。
 けれどどうしても、その先に続く言葉を発することができない。
「なんだ、こけ脅しか?」
 かわりに一滴涙がこぼれ、耳元へつたった。泣くなと肩を撫でた大きな手が、今は私の首を掴んでいる。痛くしたり優しくしたり、助けたり殺そうとしたり、本当に酷い男だ。
「令呪は……サーヴァントとの絆を補強するためのものです」
「……」
「これを使うのは、フェアじゃない」
 私がそう言うと、王様は手のひらの力をわずかに緩めた。少しひねれば私の首など簡単に折れるのだろう。本気で無礼を断ずるつもりがあるならばとっくに殺されている。
 けれど彼はそうせず、かわりに心底呆れたという溜息を吐いた。王様の怒気は急速に鎮まり、つられて私の涙腺も緩む。
「元より、我と貴様が公平であるものか」
「……はい」
「そのように震えながら、何故そこまで驕る」
「何故って、言われても」
「何故だ」
「わかりません」
「考えろ。無い頭を振りしぼり我を納得させろ」
 私の涙をぬぐいながら王様は無理難題を投げかける。けれどこんなことは初めてではない。答えられなければ詰み、などという状況は彼との関係につきものだったし、そもそもの出会いからしてそうだった。
「に、人間だからです」
「わからぬ。説明せよ」
「お……王様が、人間すべてに向けている嫌悪感を、私で発散しようとしたから」
「……」
「私はマスターとしてじゃなく、愚かで偽善にまみれた一人の人間として、あなたと向き合わなきゃ」
 この人が怖い。けれど媚び諂うことはしたくないし、支配だってされたくない。
「そうじゃなきゃ王様は、この先ずっと人を蔑むはめになるでしょう」
 自分の言っていることに、どれだけの妥当性があるのかはもう自分でもわからない。とんでもなく自惚れたことを言っている気もする。けれど一番に思うのは、私は彼を憎みたくないし、彼に憎まれたくないということだ。理解をし合いたい。そしてできれば慈しみ、愛おしみたい。
 王様はそれ以上何も言えなくなった私をまたじっと見下ろすと、「萎えた」と言って上から退いた。
 そうして背を向けて、大階段の方へ歩んでいく。私はその姿を目で追ったけれど、完全に遠ざかる前に霊体化してしまったためそれも叶わなくなった。
 長く生きたという彼の心を推し量ることはできない。彼も本当は、世界など壊してしまいたいと思ったことがあるのかもしれない。そんなことを聞いたらまた怒られるだろうか。
 けれど理解をし得ないからといって、理解することを諦める必要はないのだ。傲慢な王を、傲慢に許すのもまた私の勝手なのである。
2017.11.09



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