こころのかなた




「伸二……?」

東京の街で擦れ違った女に呼び止められ、人違いだと謝られてから三カ月が経つ。
その女と一つの部屋で会うようになってから二カ月と一週間、俺が彼女に触れることを許されてから一カ月と半分。

彼女は西園伸二が死んだことを知っていた。それでも擦れ違いざま、自然と口から零れたと言う。
そして何も知らないとも言った。「伸二が死んだこと以外は、何も知らない」と。

元恋人を街のチンピラ程度に思っていた彼女に、俺はあえて何も教えなかった。アイツが教えなかったことを俺が教えても意味がない気がしたし、名前も特に知りたがらなかったからだ。
名前はおかしな癖もイカレた趣味も、ましてや目ン玉にバーコードもない普通の女だった。西園伸二が何故彼女を特別に思ったのか解らないくらいに。

ただ、勘という点でいえば超人的とも言える。なんせあのゴミみてえに人が集まっては散っていく大東京のスクランブルで、俺の中にある一滴の西園伸二を見つけ出したんだからな。

「似てるってよりね、あなたの中のどこかに、伸二がいた気がしたの。…うまく言えないんだけどね」

彼女は少し恥ずかしそうに言う。大正解だ。俺の中には雨宮一彦がいる。西園伸二は雨宮一彦の影だ。彼女の使う文学的な表現は、これ以上ないくらい事実に近い。

「弖虎、なんか会った時より背え伸びた?」
「せいちょーき」

近頃少し厚くなった俺の肩に触れて、名前は眩しいものを見るように目を細める。
そういや最近夜になると関節が痛い。去年着てた冬物も全部替えるハメになった。

「男の子はめまぐるしいね」
「遅いって、俺にとったら」
「そんなに急いでどうするの」
「さァね。まあいろいろあんだ。思春期だから」
「思春期ってより発情期だね」

柔らかい腹に手を回し、ずるずる引き寄せながら言えばくすくすと笑われた。
年下扱い、もまあ嫌いじゃねえけど。

俺は名前にアイツの話をしなかったが、名前は俺によくアイツの話をしたがった。あまりに少ない「知ってること」を大事に思い出すように、繰り返し。でもそれは俺からしたら「誰も知らない西園伸二」だった。
やはり彼女は特別だったのだ。

アイツが名前を好きだった理由なんて解るわけがない。俺が名前を好きな理由が解らないように。

「伸二はね、いい男だったよ」
「俺はアイツよりいい男になるけど」
「そうかもね」

今の関係に不満はない。ただ、俺の奥を見つめる彼女の目が少し哀しい。
能力を使えば、丸っきりあの男として名前に触れてやることだって出来るかもしれない。まあそんなイメクラみたいなこと、してやらねえけど。

俺がアイツに銃を向け、アイツが俺に銃を向け、全てが変わってから随分と経つ。

俺が俺に見える暗示を、俺にしか見えない暗示を、いつか彼女にかけようと思う。



2011.11.3

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