ナインティーン




「名前さ、もし俺が超極悪人だったらどーする?」
「極悪人? たとえばどんな……?」
「んー、たとえば、コイツならいっかとか思ったら人バンバン殺しちゃったり」


 広い港町。その町の淵に座り海を眺める。
 コンクリートで固められ、整備された真っすぐな海岸線は、まさに町と海とを断絶するがけっ淵だ。自然と呼ぶにはあまりに無機質な景色なのに、ここが都会の癒しスポットなどと言われるのだから人々の危機感が伺える。夜になればコンビナートの明かりが連なって、それなりにロマンチックではあるのだろうが。
 広い木製のデッキにポツポツと並ぶベンチ。二人はそのうちの一つに座りながら、よく晴れた冬の空の下で、何をするでもなく佇んでいた。寒いので手はポケットに入れたままだ。柔く吹きつづける海風が頬を着実に冷やす。彼女はコートの上に羽織っていた茶色いカシミアをギュッと握った。

「べつに私は、自分が殺されるんじゃなければ構わないかなあ。伸二さんといると、なぜか落ち着くし」
「マジで?初めて言われたわ」

 ハハッと軽く笑い飛ばすと、何故かじっとり睨まれたので頭を撫でてやる。目をそらしながら名前は言った。

「私は、こいつならいっかって思われないように気をつける」
「ああそれは、例えな。べつに日常でそう判断して、殺す訳じゃねーから」
「じゃあいつ判断するの?」
「……引き金引く瞬間?」

 俺がそう答えると、名前は「イヤ聞かれても」という顔をした。確かにいつだろうか。もしかしたら出会った瞬間にその判断は下されていて、実行する場合だけ意識するってだけの話かもしれない。

「それにしても寒ィ」

 フーッと唇の隙間から煙草の煙を吐き出す。名前の口からはふかしてもいないのに同じくらいたくさん白い息が出ていておかしくなった。

「やっぱ冬は室内で会うか?」
「でも、私と伸二さんが二人でカフェってのも何かおかしいじゃない」
「確かに」

 会ったからっていつも、なにをするわけでもないしな。それなら空があった方がいい。そう思い、ぼんやりと空を眺め回していると、平らに見えていた青が急に立体感を持った。

「……雪だ、晴れてるのに」

 名前が小さく声を上げる。

「天気雪か。なんか嫌なことでも起こるんじゃねぇ?」
「うーん。何かの前ぶれだとしても、良いことじゃないかな。だってなんだか、綺麗だもの」
「吉兆か」
「たぶん」

 確かにまあ、お前にとっちゃ吉兆かもしれない。そう、心で呟いた。いま自分の周りに起こり始めている出来事はどれもこれもヘドが出るような事ばかりだが、俺がコイツの前から姿を消すとしたらそれはコイツにとっての幸せだ。なんせ俺は、極悪人だからな。

「ね、もう少しそっち寄ってもいい?」

 無言の俺から何かを感じとったのか、名前は遠慮がちにそう言った。俺はおいで、と片手を広げる。ぴったりと寄り添ってきた彼女の腰に腕を回し、頭に唇を寄せる。伺うように上を向いたのでそのままキスをした。雪の味がする。

「ずっと冬ならいいのに」
「嫌、寒ィよ」
「始まりの季節なんて、大嫌い」
「後ろ向きだねー」
「だって良いことばかり始まるとは限らないし。それに始まるってことは……何かが終わるってことだ」
「……若い子が何言ってんの」

 茶化すと、睨んでくると思った名前は顔を上げずに俺の手を強く握った。震えている。コイツの勘の鋭さはどこから来るのか。気付かれない程度にため息をついて、俺は自分の黒いコートに落ちた雪があっという間に水に変わるのを眺めた。俺まで感傷的になってどうする。

「春んなったら、桜でも見に行くか。……ってコレ完全に死亡フラグ?」

 独り言のように呟くと名前はやっとくすくす笑った。

「笑いごとじゃないよ」
「お前が笑ったんだろ」

 二人の目の前でクルーザーが海から河口へと入っていく。尾のように後ろへ続く水のしぶきは見ているだけで寒くなるが、太陽にチリチリと照らされて綺麗だった。名前が大きな目を細めたのは、光の破片が眩しかったからだろう。そういうことにして、俺はまた空を見た。


シルベリア19


 うっすらと白くなりつつあるデッキを、駅に向かって歩きながら、数歩前の名前に尋ねた。

「積もるかねェ」
「積もるといいね」
「積もんないといい、と思って言ったんだけど」
「雪好き」
「犬かよ」
「明日の最高気温、2℃だって」
「マジかよ……」
「うん。積もるよ」

 笑いながら振り返り、彼女は改札にカードをかざす。
 ──じゃあな。
 別れを告げる代わりに、俺は右手を軽く上げた。



2010.2.2
・寒い日に、こんなくだらない日がずっと続けばいいなぁと思うような話
というリクエストと、前にアンケートから頂いた
・大人しめヒロインをからかう西園
というご意見を混ぜて使わせて頂きました。


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