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 人には警戒心を抱かせる者とそうでない者がいる。その基準は外見の美醜や性別の差異ではなく、流行りの言葉で言えばオーラ、つまりは身に纏う雰囲気であり、生まれ持った性質のようなものだ。
 例えば今隣にいる四木は……いや、粟楠会の面々など明らかにカタギじゃない人間を例に出すのはやめておこう。何しろ彼らは生まれながらの威圧感を武器に成り上がったような男達なのだ。そもそも警戒心を全く抱かせないヤクザなんてものが存在したら、それはそれで問題だろう。
 そう、例えばあの情報屋──。
 彼は一見礼儀正しそうな優男だし、服装だってどこにでも行けそうなラフな格好をしている。しかしどこか気の許せない、非の打ち所のないはずの表情や仕草の裏に引っかかる刺のようなものがあった。それは大抵の場合、説明のつかない不快感として心に浮かび上がり、彼を警戒する理由になる。若い女性などによってはその危なさが魅力的に映ったりもするのだろうが、悪目立ちせず円滑に人を動かしたい時、彼の雰囲気は両刃の剣だろう。
 彼を引き合いに出し、私が何を言いたいかというと、私自身はどうやらその正反対に位置する人間らしいということだ。どんなに策略を練ろうと、表面だけで取り繕おうと、概ね柔和な印象を与える。警戒心を抱かせない。逆に言えば精一杯悪ぶってみたって、所詮一般人止まりなのだ。かといって内面が清廉な訳でも潔白な訳でもない。どちらかというと計算高い。小器用でもある。度胸も、まあ人並み以上にはあるだろう。だからこそこんな仕事をしている。

「今度の舞台の流れ、大体こんな感じでいきたいんですが、どうですかね?」
「ああ……ちょっと待て、今見る」

 私の、組織における役割を一言で言えば、一般人を装った情報操作係のようなものだ。ある時は通行人、ある時は居合わせた客、ある時は誰かの偽姉妹肉親として。偶然を装い何食わぬ顔で舞台を演出し、目的の取り引きやその場の流れをスムーズにする。大勢でやる場合は「劇団」などと呼ばれる詐欺グループにあたるのだが、まあそれのソロ活動のようなものだった。場合によっては諜報的な活動、いわゆるスパイ行為のようなことも引き受ける。

 正体を隠すのが仕事とはいえ、一応現場寄りの人間だ。それも社会の裏側に足を突っ込んでいる訳だから、いざという時のため護身術を習っていたりもする。手練れの男相手に敵う実力ではとてもないが、これも持って生まれた才能か、大抵は相手が油断してくれることが多いので今まで致命的な事態に追い込まれることもなく、この仕事を続けてきた。ずっとフリーでやってきたのだけれど、一つの組織──この粟楠会と深い繋がりを持つようになったのは、一年ほど前からだった。ある仕事を介して目の前の男、四木と知り合い、あくまで仕事上の仲間として気に入られ、いつの間にか時間を共にすることが多くなった。
 寝たことは、何度かある。どれも流れに任せてのことだったので、彼が私に求めてるのが性欲の処理なのかそれ以上なのかはわからない。私の差し出した書類に目を向けている四木を、サイドデスクから見つめる。

「……どうした?」
「いえ」

 彼が私に敬語を使わなくなったのはいつからだろうか。聞いている分には、その温度の低い紳士ぶった敬語口調が私は好きだったのだが、距離を感じさせない砕けた口調で相槌などを打たれるのは、やはり嬉しい。

「そういえば」
「はい」
「赤林には気をつけろよ」
「……え?」

 突然出た名前に、後ろ暗いところがないわけでもない私は内心でギクリとする。

「奴は根っから粟楠の直参って訳じゃないからな。オヤゴロシを疑われた過去もある。お前も既に粟楠の内側に入り込んでるんだ。利用されない保障はない」

 四木はそう言いながら私の作っている台本書きを覗き込んだ。止めていたボールペンを再び動かす。

「なんだ、そっちですか」
「……他に何かあるのか?」
「……まさか。ありませんよ何も」

 そう言いつつ、先日赤林がこの部屋でとった行動を思い出しため息を吐きそうになった。しかし、当の四木は拍子抜けするくらいそのことには触れてこない。気にするほどのことじゃなかったのかもしれない。
 赤林は四木が私を好いていると言ったが、私はそれすら怪しいと思った。この人はガキ臭い所も確かにあるけれど、大人の付き合いが出来るくらいには大人なのだ。私に対する独占欲も、好いた惚れたの類ではないのだろう。一方の赤林は、恋愛に対しては結構誠実なんじゃないかと思っていた。ただの勘だったが、近頃彼が誰かに操を立てている、という噂を聞いてなんとなく納得した。私は彼のそんな所に好感を持っている。赤林はあの情報屋と同じように笑顔の下に何かを隠してる風だが、不思議と警戒心を抱かせないところがある。トリッキーな格好も、行き過ぎると逆に馴染みやすいのだ。
 そんなことを考えていると、コンコン、とドアの鳴る音がして顔を上げた。そうだ、そういえば──。

「ああ、お待ちしてましたよ。折原さん」

 今日も呼んでいたんだっけか。思ったよりも長引いたデスクワークにすっかり忘れていたが、私はこの情報屋の青年が苦手だから、今日は早めにビルを出ようと思ってたいたのだ。そんな私の思いをよそに、部屋へ踏み込んだ彼は私の方をじっと見て言った。

「そういえば……前回お会いした時、どこか覚えのある方だと思ってたんですが」

 まさか自分が話し掛けられるとは思っていなかった私は、驚いてかたりとペンを倒した。

「名役者の名前さんだったんですね。後から思い出しました。ご挨拶が遅くなり申し訳ありません」

 私に向かい軽やかに歩み寄ると、彼は笑顔で掌を差し出した。名前を知られていることに戸惑いつつも、とりあえず握り返す。名役者、とは私のような詐欺を得意とする人間の業界語だ。その様子を少し離れた場所から見ていた四木は、僅かに眉を寄せている。情報屋もそれに気づいたのか、いやだなあ四木さん、と大袈裟に肩をすくめた。

「警戒してるんですか? 赤林さんのいい人に、僕がちょっかい出すわけないじゃないですか」
「……は?」

 爽やかな声で紡がれた言葉に、私は思わず空気の抜けるような声を出してしまう。

「あれ、違いました? 先週の……金曜日だったかな? 西口の裏通りでお二方を見かけたからてっきりそういう関係かと」
「ち、あの、それは……!」
「ああ、人違いだったらすみません」

 ニヤニヤと口角を上げる情報屋の口を今すぐ永久に塞ぎたい衝動に駆られたが、私は立ち上がるどころか言い訳の一つも出来なかった。人違い? 赤林のような人間がこの街に何人もいてたまるか。

「ほう、そうなんですか」

 四木はそう言ってにこりと私に外交用の笑みを向ける。こんなにも丁寧語に威圧感をこめられる人間が未だかつて居ただろうか。私にアドリブを求めないでほしい。舞台の下じゃてんで大根役者なのだ。


2010.11.5

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