仮装らばーず
※下品注意



「いまだにあるんだねえ、こういうの」

池袋東口の繁華街を汚い方汚い方へと進んだ所にある、雑居ビルの密集地。
その中でも一際古い、元の壁の色もわからないほど薄茶けた建物の二階に、その看板は掲げられていた。

「覗き部屋や夜這い倶楽部と同じで、こっちの世界ってのは時代遅れと言われるものにも一定の根強い支持があるらしい。一種のフェティシズムだよね」

臨也はそう言って私を見た。
『カップル喫茶』と書かれた電光看板の文字は一部のネオン線が切れ、誘うようにまたたいている。このような喫茶店は昔から池袋の裏側に存在しており、過激な風俗店に押され数を減らしてはいるものの無くなることはないディープな商売である。『喫茶』と付くも名ばかりで、近年流行りのメイド喫茶や猫カフェのような明るいサービス性はそこにない。あるのは人前で淫らなことをしたいという性癖を持つ複数の男女が、互いを刺激としちちくり合う根暗なセルフサービスだけだ。ある意味では低燃費である。

そんなバカップルの巣窟の前に、なぜこの男と立っているのか。それにはもちろん込み入った事情があるのだが、その事情を全て反故にして逃げ去ってしまいたかった。

「そうかまえるなよ。こういう所って乱交や寝取りは禁止されてるらしいし、薄暗いから適当に誤魔化せるって」

疼く興味本位を抑えきれないといった調子で彼は私を鼓舞する。
潜入操作と言っておいたからか、臨也はいつものファー付きフードコートではなくジップアップのカジュアルなブルゾンを着ていた。ビームスのショーウィンドウからそのまま抜け出て来たような男に訳のわからない苛立ちを感じるが、悪目立ちされるよりはいい。

「君から言い出したんだから早く入ろう。いやあ、実は一度行ってみたかったんだよね。中でどんなカオスが繰り広げられているか観察しようにも、さすがにこんなとこ一緒に入ってくれるような駒は持ち合わせてないからさ」
「そう…。ちょっと今お腹痛くなりそうだから静かにして」
「何言ってんの。急がなきゃまずいんだろ」

そう言われ腕時計を見る。20時45分。私は覚悟を決め、軋むエレベーターのボタンを押した。





店内は臨也の言う通り、文化祭のお化け屋敷のように暗く狭くごちゃごちゃとしていた。受付でショバ代がわりの馬鹿高いドリンクを頼み奥へ進む。間取りは普通の喫茶店に近い。各席には仕切りがあり、備え付けの小さなテーブルにはルールの書かれたパネルがラミネートされていた。トレード禁止、とかカードゲームのような言葉が羅列されている。造りは鈍行列車のボックス席のようだった。

私たちは入り口近くの席に腰を下ろし、上着を脱ぐ。
すぐさまドリンクが運ばれてきて、さあどうぞ、といった雰囲気が出来上がってしまった。

「……」

臨也は何も言わない。が、さりげなく周囲に眼を走らせ楽しそうにしている。もう目が慣れたのだろうか。猫のようだ。
客の入りはそんなに多くなく、20席ほどの店内にぽつりぽつりと4、5組のカップルが点在しているのが見て取れる。しかし顔の判別はまだ無理そうだ。とりあえず落ち着くために、カルピスサワーを一口飲む。と、臨也が向かいの席を立ち上がり、隣に座ってきた。

「解ってると思うけど、何もしないと怪しまれるよ」
「わか、わかってるよ」

私は10秒ほど目を瞑ってから、臨也の腰と肩に手を回し正面から抱きついた。

「大胆だね」
「黙ってて」

肩から顔を出し、いちゃついているフリをして店の奥に視線を向ける。思った通り、一番隅の席には大柄な男と短いワンピースを着た女が座っていた。直視するのが憚られるくらいに絡み合っているが、こちらの視線に気付かないという意味では好都合だ。
彼らと一つ仕切りを隔てた所にもう一組の男女を見つけ、私は覗き込むために少しだけ体をずらした。椅子に乗り上げていた膝から上を、臨也がゆっくりと撫でていく。

「ちょっ」
「なに。抱きつかれて何もしなかったら俺が馬鹿みたいだろ」

耳元に唇を寄せられ、一気に我に返った。なんだこの体勢。死ねる。

「いいから君は自分の仕事に専念しなよ。俺が精一杯カモフラージュしててあげるからさ」
「楽しんでない…?」
「楽しまなきゃ損だ」

ワンドリンク30分。その間にターゲットの情報を集めるのはもちろん、自分の身もある程度守らなくては、と唾を飲んだ。

私が冷や汗をかいている一方で、斜向かいに座っているカップルたちは大分盛り上がっているようだ。子猫の鳴くような喘ぎ声と、聞きたくもない粘膜の音が聞こえてくる。
10分20分と経つ内に周囲の客も増え、そこらじゅうから衣擦れや水音が聞こえ始めた。据えた匂いが広がり、室温は高くないのに妙に蒸したような空気が充満する。

「……これは、思ったより、」

さすがの臨也も妙な気持ちになっているらしい。私はもう羞恥心が振り切れそうだった。いたたまれない。

「…興奮してるの?」
「興奮っていうか…っ」
「体熱いよ」
「だって……やっ」

耳を食まれおかしな声が出る。臨也と密着している部分から火が出そうだった。私もそうだが、彼の体も相当に火照っているのがわかる。この状況じゃしょうがない。外部の情報に刺激され、否応なしに体が反応するというヒトの習性を、この風俗はよくわかっていると思った。廃れないわけである。
腰をさまよっていた手のひらは何時の間にか服の中に入ってきている。いい加減にしろ。もう無理だ。出たい。ターゲットにも目立った動きはない。

「だめ…待って」
「演技うまいね」
「演技じゃない!」
「ははっ、本当に感じてるんだ」
「臨也、これ以上は仕事の邪魔…!」

小さく叫べば、奥の客がこちらを見た気がして、慌てて胸に顔を伏せた。
彼らの様子は明らかにさっきまでと違っている。周囲に神経を張り巡らせているのが解る。私は臨也の指がブラジャーのホックを弄んでいるのを感じながら、息を潜め彼らを伺った。臨也、後で覚えてろよ。

男の手がさり気なくポケットに差し込まれ、そこから取り出した何かを隣の席の男に渡す。一瞬の出来事だった。
男たちの手は何ごともなかったようにそれぞれの女へと戻り、高まっていた緊張感もあっという間に消え失せた。
…やはりこの店で違法ドラッグの取引が行われているというのは事実だったようだ。店の関与や客のルートなどを調べる必要はあるが、ターゲットの黒は間違いない。
ふう、と止めていた息を吐いたところでホックを外された感触がして、臨也を睨む。

「なんだ、もう終わったの?」
「…おかげさまで」
「まだ10分くらいあるけど」
「出る!」

上着を掴み、席を立つ。
ホテルにでも行くのか、我慢しきれなくなったカップルが店を出て行くのは珍しくないようで、私たちも目立たずに脱出することができた。

「楽しかったね。また行こう」
「馬鹿言わないで……。お嫁に行けない…」
「大げさだな」
「大げさ?やりすぎだよ…!」
「俺としてはかなり頑張って我慢したんだけど。っていうかさ…」

臨也は笑いながら私を睨む。

「もしかして、このまま解散なわけ?」
「他になにかあるわけ?」
「ホテルとは言わないけど、せめて責任とってくれよ。協力したんだから」

ガシッと掴まれた手首が熱い。アウター長くて良かった、とほざく臨也が、どんな状態かなんて想像したくもなかった。だいたいこんな道端で、どう責任を取れと言うんだ。スイッチの入った男の考えることは短絡的すぎて怖い。

「無、無理。いつもの冷静な臨也に戻って」
「無理だね。出すもの出すまでいつもの俺には戻れないから。だからほら、ちょっと」
「ちょっとって、ちょっと待って!」



文字通り手を貸した私は、もう本当にお嫁に行けないかもしれない。責任を取ってもらうのはこっちの方だ。
スッキリしたらしい臨也の、素っ気ない横顔を見てそう思った。

「さて、帰ろう」

何がさてだ。平和島静雄を召喚してやる。



2012.9.25
システム・ルール・内装等などは作者の妄想です。


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