ゼッタイ



 連絡が取れない。当然かもしれない。
 なぜ出て行った時すぐ追わなかったのかと言われれば、とにかくまず自分の体勢を立て直す必要があったからなのだけど、こんなことならがむしゃらに追いかければよかった。俺は判断ミスを順調に繰り返している気がする。このペースじゃ最速でバッドエンドだ。それだけは避けたい。

 繋がらない携帯に何度も着信を入れつつ、今さらながら家を出た。無事でいるのだろうか。あんな状態で新宿の街をふらふらしていたら格好のカモだ。くそ、やはり追えばよかった。
 自宅に戻っていることを祈りながら、彼女のアパートを訪れる。しかし悪いことに部屋の明かりは付いていなかった。合鍵を使い中へ入る。真っ暗な部屋のベッドがこじんまりと膨らんでいるのが見えた。とりあえずホッとして近くに寄る。

 彼女は動物のように丸くなって寝息を立てていた。頬に触れると、まだしっとりと湿っていて普段よりも体温が高かった。泣き疲れて寝てしまったのだろうか。感情の露出の明快さに愛しさがこみ上げると同時に、ちょっと洒落にならないくらい心臓が痛くなった。冷静に考えて、何故俺はこんな軽はずみに彼女を傷付けたのだろう。今となっては謎だ。この世の浮気男が皆こんなに考え無しなら、男という生き物は一度ネジを締め直した方がいいかもしれない。
 とにかく傷付いたまま寝ている彼女を一刻も早く慰めたくて、柔らかい肩を擦った。

「……ん」
「名前」
「……!……い、臨也」

 目を開けた名前はびくりと肩を跳ねさせ、起き上がる。乱れた横髪が無防備に頬に貼りついている。

「な、なに、勝手に、」
「泣いてたの?」
「……」
「ずっと泣いてた?」

 それを指で払いながら聞けば、名前は俺を真っ直ぐに見つめ、唇を震わせた。

「……臨也は私のものなのに」

 相変わらず声は小さいし、心なしか体までいつもより小さく見える。

「うん、そうだね。ごめん」
「他の子に触るから」
「ごめん」
「すごく嫌だ……悲しい」

 傷付けたのは自分だというのに、誰が彼女にこんな顔をさせているんだと腹が立って、抱きすくめた。彼女は抱きしめ返してくれたけれど、そのまま衝動的にキスをして押し倒すと、顔を曇らせうつ伏せになってしまった。背中に頬を乗せて聞いてみる。

「嫌なの?」
「……ん、なんかくるしい」

 ぎゅっと体をこわばらせ、シーツにじわじわと涙を染みさせている。俺の中にいつになく溢れている愛情を注いでやりたいのに、名前はそれを望んでいないようだ。横に倒れ込み、後ろから抱きしめた。手のひらをいくら深く絡ませても全然足りない。もっと全身で愛したい。でも俺は他の女とそれをしたから、今名前にすることは出来ないようだ。彼女は俺を生理的に拒んでいる。自業自得だ。純粋な彼女はセックスを愛情表現の一つとしか思っていない。ルールをめちゃくちゃにしたのは俺だ。

「きないで、」
「え?」
「わたしに飽きないで」

 名前は怒りや悲しみで泣いているんじゃない。不安で泣いているんだ。そんなことにさえたった今気付いた俺は、確かに名前を抱く資格はないと思った。

「飽きるわけないだろ」

 そろそろ俺の心臓はつぶれてしまいそうだ。名前の髪は相変わらずいい匂いがする。吸い込むたび胸が締め付けられる。こんなに傷付いてしまった名前が、俺の隣でもう一度にっこりと笑うことなんてあるのだろうか? 無かったらどうしよう? いやだ。彼女が俺から離れることをちらりと想像して、いやだいやだと駄々を捏ねたい気持ちになった。自業自得とか知るかよ、そんなの絶対にいやだ。俺は名前を好きなんだから。

「好きだよ名前」
「臨也は誰だって好き」
「ちがう」

 ちがうちがう、と名前の肩に顔を擦りつけながら繰り返す俺は本当に子供みたいだ。なんだか、心が辛すぎて眠くなってきた。

「俺を捨てないでよ……」

 押し付けて呟いた声は名前の体の中に響いた。気がした。これが愛ってもんだと思う。あんな入れて出すだけの行為に、愛どころか意味だってあるはずがない。名前を裏切るつもりなんてこれっぽっちもなかった。なんて言い訳は到底できないけれど、本当にただのストレス解消感覚だったのだ。罪悪感もクソもない。そこにある飴玉に手を伸ばすような安直さだ。

「臨也がわたしを捨てたんだよ」

 そんなのは認めたくない。名前に対する贖罪の念は本物なのに、もし彼女が俺から離れると言うなら、どんなに酷い目に合わせてでも縛りつけておきたいと思っているのも本心だ。謝り慰め労りつつ、一方で最終手段を模索してる俺は性根の腐った人間だと思う。どうかこの邪な気持ちすら馬鹿だったと思える日まで、俺の隣で笑っていてくれよ。少しずつでも、良い人間になるって、約束するから。


12.06.04

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