ごっこ遊び



 臨也は私の存在に気付くと、標的を見つけたいじめっこのような顔で笑った。
 普段習性のように猫を被っている彼としては珍しい。しかし私に対しては昔からこうなのだ。今さらその性格の悪さを隠すつもりはないらしい。隠さずとも表立っていじめられる相手だと思われているなら、成人も過ぎた女の身としては心外だった。
 私たちはもう、男の子が女の子に意地悪をして泣かせるような年齢ではないのだ。男はできる限り紳士的にふるまって女の気を引こうとするし、女はかわいこぶってそれを値踏みする、駆け引きの年頃なのだ。

「久しぶり名前。相変わらず間抜け面」

 こんな挨拶、どう考えてもおかしいんだ。

「臨也だって相変わらず、相変わらず、ろくでなしの馬鹿」
「名前、もう小学生じゃないんだからそういう悪口やめなよ」
「そっちこそ!」
「お前の間抜け面は悪口じゃなくて事実だ。でも俺は馬鹿じゃないから、名前のは単なる誹謗中傷。大人とは思えないよ」

 辟易したように言う男に、心底辟易する。

「……大人は女性に優しいはず」
「あはは女性」
「おかしくないし」
「なに、無理してでも女扱いしてほしい?」

 臨也はそう言うと ニコリと胡散臭い笑みを浮かべて私の肩に手を回した。ので、もちろん振り払った。

「気持ち悪い」
「ほら子供だ」
「事実」
「なわけない」

 腹が立つ。臨也はとにかく腹が立つ。遠慮容赦なく腹が立つ。それこそ子供同士の喧嘩のように、純粋に腹が立つ。

「それで名前、実家には帰ってるの?」
「え……」

 唐突に問われ、寄せていた眉の力が抜けた。窺うように彼の目を見る。鋭い目が愛想なくこちらに向けられていて、少し怖い。
 私が臨也に怒り以外の気持ちを向けるのは久しぶりだった。というのも、臨也が怒らせるため以外の言葉を私に向けるのが久しぶりだったからだ。私は昔から、あまり家族と仲が良くなかった。臨也と出会った小学生の頃からそうだ。とくに複雑な家庭環境や因果関係があるわけではない。全員紛れもなく血の繋がった肉親だったけれど、それでも人には相性というものがある。血縁というのは愛情に対し万能ではないのだ。

「たまに帰ってるよ。ほんと、たまにだけど」

 目を逸らしぼそぼそと答える。最後に帰ったのは昨年の冬だった。大した思い出もないからもうよく覚えていないけれど。帰る先はいつも他人の家のようで、私を除く家族四人はとても仲がいいため、ますます他人事のような気持ちになる。理想の家族写真をディスプレイ越しに眺めているようだ。そこに怒りや悲しみはないが、少しだけ切なくなる。

「かわいそうに」

 臨也はふっと薄ら笑いを浮かべ息を吐くと、ポケットに手を入れて歩き出した。私は黙ったまま後ろを付いていく。なんとなく幼い頃を思い出した。人に同情されるのは好きじゃないが、臨也にそう言われるのは不思議と嫌いじゃなかった。あの臨也がかわいそうと言うのだから、本当にかわいそうなのだろう。素直に受け止められる。それもこれも、私が臨也を自分よりかわいそうだと、心のどこかで思っているからだろう。世界中から嫌われているようなこいつと比べて、家族と折りが合わないくらいなんだ。

「くるりちゃんとまいるちゃん、元気?」
「知らない。死んだって話は聞かないから元気なんじゃない?」

 言い方は酷いけれど、彼ら兄妹の方が私よりまだ健全な家族関係であることはわかっていた。憎まれ口を叩きつつ、いざとなったら見捨てられないのが家族だ。こんな異常な兄と妹たちの間でさえその愛情は成り立つのに、私は何がいけなかったのだろう。みんな普通にできているのだ。自分に非があることくらい、わかっている。

「臨也、焼き肉食べに行こう」
「焼肉? なんで」
「いいから。行こうよ」

 ねだるように、前を行く臨也の手を握った。何故だか涙が出そうだった。と思った時にはもう、ぽたぽたと垂れていた。

「……焼肉ね。はいはい」

 割り勘だからな、と手を引く背中は昔と何も変わらない。私たちはずっとこうだ。

「奢れ馬鹿」
「お前が馬鹿」

 臨也が、兄妹ならよかった。


2012.4.27

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