屋上のワルツ



 何をするともなく空を見ていた。
 何もしなくても明日は来る。そして例え何かが出来たとしても、どうせ明日は来るのだ。それに気づいてしまった私は全ての抵抗を諦めた捕虜軍人のような気持ちでぼんやりと空を見ていた。平和ボケしたこの国で捕虜軍人に思いを馳せるのはきっとこれが人生で最後のことだと思う。当たっているか外れているかは別にして、そこにはろ紙をつたって染み出るような焦燥感と、感情が膿んでしまったような熱と、圧倒的なサイズの空洞があった。

 いろんな気持ちが溢れてはその空洞に吸い込まれていく。自分の全てがどこかへ消えてしまう気がして私は息を止めた。空はとても青い。流れる雲に流れる時を感じ、たまらなく哀しくなる。昔誰かが歌っていたように、息を止めたって明日は来る。
 わっと涙が溢れた出した瞬間、後ろから声がした。

「何してるのさ。こんなところで」
「折原くん……」
「……なんだ、泣いてたの」
「いま泣き始めたところ」

 折原くんは、よくわからない男の子だった。同級生で同じクラスで、隣の席でもあるのに、私は彼のことをいまだに友達と思えない。なんというか、同じ空間にいるのに違う次元を生きているような、不思議な男の子だった。
 バイトをしているわけでもないのに妙に金回りがよく、いつも違うタイプの女の子と親しげにしてるのに女関係で揉めたような噂も聞かない。一度だけ立ち入った質問をしてみたことがあるが、その回答の八割はやはりよくわからない言語で形成されていた。折原くんは本当によくわからない。

「卒業式の前日に屋上で泣くなんて、君にも可愛らしいところがあるじゃないか」
「うん、私いま捕えられたソルジャーみたいな気持ちなんだ」
「……もうちょっと女の子らしい心境になれないの?」
「失礼だな。女ソルジャーだよ」
「君って本当よくわからないよね」

 心外だ。折原くんにだけは言われたくない。

「卒業文集のクラスなんでもランキング、不思議な人部門一位をとった折原くんにだけは言われたくない」
「俺だって二位の君にそこまで強気で言われたくはないね」

 私はその言葉を無視して空に視線を戻す。さっきと視界の構成要素が違う。青の端に映り込む、黒と肌色と赤。悔しいけれど少し気持ちが活気づいた。

「……折原くんは悲しくないの。明日で私たちの、人生で三年きりの高校時代が終わっちゃうんだよ。もう二度と制服なんて着ないんだよ」

 出来る限りの悲壮感を込めてお伝えすると、彼は横に立ったまま私の顔を覗きこみははっと笑った。何がおかしい。笑うな。一緒に泣け。睨みつければ、折原くんは全くそう思っていないような顔をしながら「そうだね」と言った。

「確かに高校生には戻れないけど、制服くらい着たけりゃまた着ればいい」
「折原くんはまったく、私の言いたいことを一ミリもわかってない」
「あはは冗談だって。君があまりにめそめそしてて面白いからからかっただけ」
「高校生活最後の日にして、折原くんのことが少しわかったよ。君は性格が悪い」
「最後にして最大の収穫じゃないか」

 彼の態度に、自分の精一杯の感情を馬鹿にされたような気がしてとても不愉快だった。涙もいつの間にか引っこみ、ほっぺただけが白けたように濡れている。折原くんのせいで私の大事な日はいろいろと台無しだが、きっとこの先も、人生なんてこんなものなんだろう。

「ところで折原くんはこんなところに何しに来たの。屋上は旅立ちを惜しむ人専用だよ」
「俺は別に旅立ちは惜しくないけど、他に惜しいことがあるから来たんだよ。つまり、」
「うん?」
「アドレス教えて」
「……は」

 折原くんの口から飛び出したその辺の男子高校生みたいなセリフに呆けていると、彼は勝手に私のブレザーポケットの携帯電話に手を伸ばし、赤外線通信を始めた。

「これでよしっと」
「なにが……」
「何が? 気になる子のアドレスくらい、卒業前に聞いときたいと思うのが普通だろ。君って本当頭の中ソルジャーなの?」

 気になる子、とかアドレス交換、とかいう色めいた言葉に反応して、女ソルジャーは女子高生に戻った。こんなのは卒業シーズンよく見られる光景なのに、当事者となるとすごく照れる。

「あ……明日だってまた会うじゃん」
「残念ながら、俺はこの後宿敵に盛大な喧嘩を売りに行くから、式にはまともに参加できないと思うよ。武運を祈っててくれ」

 なんだか折原くんの方がよっぽどソルジャーっぽい。彼は本当にどういう人なんだろう。

 一人取り残された屋上で、私は相変わらずぼんやりと空を見上げていた。彼は式に来るだろうか。メールは来るだろうか。折原くんのことをわかる日が、来るだろうか。
 明日に続く未来が、少しだけ待ちどおしくなった。




2012.1.5
卒業企画『3月9日』提出 #1

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