「子供は苦手だよ。理屈が通じないから」
「子供だって臨也みたいな人間は嫌いだと思うよ」
「嫌いとは言ってないだろ」
名前と都内の神社外苑を散歩していたら、迷子に出くわしてしまった。
年のころは二、三歳だろうか。興味を持って子供を見たことがないからそれすらよくわからなかった。言葉は覚束なく、わんわんと泣いてばかりいるからしょうがなく近くの交番まで連れてきたのだが。
「お巡りさん、いないね」
「パトロール中だって。最近こういう交番多いよね。治安維持の目的を果たしてないよ」
俺は交番の中に幼児を放置してさっさと帰りたかったけれど、そんなこと彼女に言ったら間違いなく人間性を疑われるだろうから仕方なく道端のベンチに腰を下ろす。
名前はどこか楽しげに膝の上の幼児を揺り動かしていた。幼児の方も、俺が手を引こうとした時とは違い、じっと彼女の顔を見つめてはにこにこと笑っている。小さくても男だ。
「迷子じゃなくて捨て子なんじゃないの」
「…臨也、なんでそんな嫌なこと言うの」
「だってこんな大通りではぐれないだろ普通。なんか生意気そうな顔してるし、車から放り出して逃げたのかもね」
「臨也…!」
子供の前でなんてこと言うんだというように、名前は幼児を俺の座ってる側から遠ざける。
組んだ足に肘を着いてちらりと見やると、小さな目と視線が合った。
「いやや!」
「?関西の子なのか?」
「いやーや」
「…臨也って言ってるんじゃない?」
「…呼び捨てかよ」
うげっと思い顔を背ける。が、いやや、いやや、と馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返されるのが鬱陶しくてずりすりと名前に近寄った。
「いややあ!」
「いややじゃないよ。臨也さん、って呼ぼうね」
「いやや」
「…なんか馬鹿にされてる気分だよ」
やっぱり子供は苦手だ。意思の疎通もはかれない生命体に一体何の価値があるというのか。
「あはは、臨也は悪い人だから近寄っちゃダメだよー」
「いやや、わるい、めっ」
「そうそう、臨也はめっなの。賢いねーきみは!天才だよ」
「めっいやや、めっ、めっ」
「…うるさい」
勝手にやってろ、と思ったがつい苛々して幼児の気味悪いほど小さな頬を両側から押しつぶしてしまった。
当然だが、すごい声で泣き出した。
「あうわあー!! わああうえー!!」
「何やってるの!? 大人げないにもほどがある!」
「子供だからって何言っても許されると思って生きてると、将来ろくな大人にならないよ」
「ろくでもない大人代表に言われたくないよ!百パーセント臨也よりはまともな人間になるから!」
「それはどうかな、見てみなよこの凶暴性。ゆくゆくは大量殺人犯にならないとも限らない」
両手を振り回し俺を攻撃しようとする幼児に冷たい視線を向ける。
言葉は通じなくとも友好的か否かは伝わるらしい。俺が自分を甘やかしてくれる対象じゃないことを浅ましくも嗅ぎ取っているのだこいつは。無垢な顔して油断ならない。
だいたい俺でさえ無断で触ったら怒られる名前の胸に、なんの権利があって顔を埋めているというのだ。
「よしよし、大丈夫だよー。お姉さんが怖い人から守ってあげるからねー」
完全アウェイな空気に居心地が悪くなって二人から少し距離をとる。
どうして久しぶりのデートだというのに、俺が見知らぬ子供に邪魔者扱いされなきゃならないんだ。納得いかない。
大の大人がぐちぐち言っても子供のわがままに勝てないことは解っていたので、しばらくベンチの背もたれに腕を投げ出し名前と幼児を眺めていた。
しかしやっとご機嫌を取り戻したらしい幼児を抱え直し、彼女はとんでもないことを言う。
「臨也、ごめん私ちょっとお手洗いに行きたくなっちゃったから、見ててくれる」
「は!?」
「すぐそこ。なるべく早く戻るから!」
幼児を俺の横にくっつけるように座らせ、名前は遠くに見える公衆トイレの屋根を指差した。
「いじめちゃダメだよ」
「……」
止める間もなく小走りで行ってしまった彼女の背中に手を伸ばしかけた格好で静止する。我ながら間抜けなポーズだと思う。
ふと横を見下ろせば、幼児はすでにすごく嫌そうな顔で俺を見ていた。まったくかわいくない。
まあなんもしなけりゃ騒ぎ出すこともないだろ、と俺が体を一ミリも動かさない覚悟で前を向いていると、こっちの気も知らずに幼児はきょろきょろと首を回し、重すぎる頭のバランスに揺さぶられるようにしてベンチから転げ落ちた。
……やれやれだ。
「ぶわあうわああー!!」
「はいはい、はいはいはいはい」
「あうおううーうわうー!!」
「わかった、わかったから」
じっと見下ろしている俺に何かしてもらうまで泣きやんでやるものか、と決意しているような泣きっぷりに負けて、しょうがなく地面から抱き起してやる。
さっきまであんなに敵視していた癖に調子がいい。わあわあと鼻水や涙を擦り付けながら抱き着いてくる。嫌がらせか。
名前がさっきやっていたのを思い出し、ぽんぽんと体を軽く叩きながら揺すってやると、だんだんと声を小さくし、ついには電池が切れたように大人しくなった。
死んだんじゃないよな、と思い顔を覗く。もう落ち着きましたが何か?とでも言うように見つめ返され、俺は大きな溜息をついた。子守ってもんはなにかと割に合わない。性にも合わない。
「あ、うー。とりさ」
「はいはい。鳥さんね」
「ぶーぶー」
「ぶーぶーじゃないよ。車だよ。大抵の人間はあれに轢かれると死ぬ」
「しう」
「そう。まあごくたまにかすり傷一つ付かない化け物みたいな人間もいるけどね」
この世には君の常識じゃ考えられないようなことが存在するんだと、今後のために教えてやろうとしたが、彼にはまだよくわからないみたいだった。当たり前か。
「おそあ」
「そう、空だ。ねえ、君は天国ってあると思うかい?」
「そあ!」
「空」
「そあー」
「そ、ら」
一音ずつ区切りながら幼児の顔を見ると、体をのけ反らせるようにしてきゃあきゃあと笑う。何がそんなに楽しいんだか。俺はこのくらいの歳の頃、もう少し落ち着きがあったぞ。……たぶん。
「意外と面倒見がいいじゃない、お父さん」
後ろから突然声をかけられ、危うく幼児を落とすところだった。
「…いたの」
「私の気配にも気付かないなんて、子供の力は偉大だね」
やっと懐いたかと思ったのに、戻ってきた名前に必死に手を伸ばす幼児に少し納得がいかなかったが、そんなことは態度に出さず彼女に小さな体を引き渡す。
春の気配漂う並木の中で小さな子供を抱える名前を見て、こんな光景もありかもしれないなんて思ってしまった。俺の子供ならこいつより頭もいいだろうし、素直なところは名前に似てくれれば申し分ない。
「ちょっと情が移ったみたいだね」
「まさか。子供なんてこりごりだよ」
「ふふ、さっきと全然顔が違うよ臨也くん」
人の痛いところを突く性格は、どちらに似ても変わらないだろうが。
いやや!
はいはいはい
2012.01.10