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理不尽なほど強い力に突き落とされるようにして、俺はある日突然恋に落ちた。
恋。恋だ。耳を疑った人のためにもう一度言うと、俺は恋に落ちた。ふざけんな笑わせんな殺すぞ、と思った人もいるだろうが勘弁してほしい。何しろ一番そう思ったのは他でもない俺自身だ。

しかしそれはまさに疑う余地のない、劇的で衝撃的な恋だった。耳元でパァンとスターターピストルのようなものが鳴ったのが俺には確かに聴こえたし、そのせいでしばらくは耳がキンキンして何も聴こえなかったほどだ。

思いも寄らない事態にどうにかこうにかその場を切り抜け、逃げるように自分のマンションに駆け込んだはいいが、玄関の鏡に写るのぼせたような自分の間抜け面を見た時は本当に死にたくなった。
誰よりもスマートに振る舞いたい相手に限ってそれが出来ないなんて、恋とはずいぶん理不尽なものだと思ったりもした。そして中学生のような感想だ、と大いに自分に呆れたものだ。

しかしこうなってくると不思議なことに、今まで気味が悪かった新羅さえ急に身近に思える。恋愛ボケした友人の生温い台詞を思い出した。
確かに、今まで他の人間に対して抱いてきたうずうずするような興味本位と違い、彼女に対するそれはもっと複雑でいて暖かいものである。自分で自分が気持ち悪くなるからこれ以上は言わないけど。

「はぁ。昔はものを思わざりけり、ってね…」
「なんなの、ウザったいわね」
「やめてくれよ波江さん。今の俺は思春期の少年のようにナイーブなんだから」

たんたんと仕事を片付けていく秘書の横で、回転椅子を右に左にゆらゆら回しながらため息をついていると、普段から冷淡な彼女がいつもよりさらに冷たい視線をこちらに向けてきた。
しかしそんな彼女だってしょせんは似たり寄ったり、いやそれ以上なのだと知っている。

「波江はさぁ、いつ誠二くんを好きになったの?」
「決まってるでしょ。誠二が生まれた時よ」
「…参考にならないなあ」

案の定、途端に頬をほんのり染めて何かを思い出すように手を止めた波江に、満足して俺は再び椅子を後ろへと向ける。
いい歳した二人の男女が、それぞれの片想いに耽るこの空間は第三者が見たらさぞ気持ち悪いことだろう。

そんなふやけた空間を正すように鳴ったチャイムの音に、若干イラっとしながら立ち上がり、モニターを確認した俺は手に持っていた恋愛ハウツー本を落とした。
どうぞ、となんとか一声絞り出しエントランスのドアを開ける。

「波江、隠れて!」
「はぁ?」
「いいから早く。二階の俺の部屋から一歩も出ないでね」

勢いよく波江の腕を引っ張り、階段へと誘導する。
わけがわからないといった顔で抗議しようとした波江を無視して急ぎ玄関へ向かった。

再び鳴ったチャイムにドアを開ければ、会いたくてしょうがない、けれど会う理由を思いつけずにいた女性がそこに立っていた。

俺は信じられない気持ちで彼女を招き入れ、スリッパを用意するため屈んだ瞬間目に入ったハウツー本を凄い勢いでごみ箱にシュートし、紅茶を煎れるためキッチンへ向かう。

「すみません、約束なく訪ねちゃったりして」
「とんでもないよ。君ならいつ来て貰ったってかまわない」
「…相変わらずフェミニストなんですね、折原さんは」

フェミニスト?違う違う、君だからだよ。そう言おうとしたはずなのに、フェミニストなんて思われてたのか、という事実に勝手に反応した俺の自律神経がいろんな能力を麻痺させ、結果何も言えずに口ごもることとなった。畜生、どうして思った通りできない。

そんな俺をにこやかに見つめる名前にまいったなと思いつつ、一つ咳をして紅茶を飲む。

「で、用件は何かい?」
「いや、用件という用件でもないんですが…。新宿来たし、そろそろお仕事も一段落付く時間かなと思って」
「え」
「い、忙しかったらすみません。あのこれよかったら」

彼女はそう言って俺の好きなケーキ屋の箱を差し出した。
用件がないって、それなのに来たって、それはなんだ、つまり、そういうことか?そういうことってなんだ?落ち着けよ折原臨也。

自分が思ってる以上に脈があるんじゃないか、という展開に俺は何故かますます余裕をなくし、気の利いた返しも思い付けない。

「や…嬉しいよ。ありがとう」

アホみたいに裏表のない言葉をぽとりと零し、そのまま力の入らない首を俯かせると、今度は名前の方が顔を赤くした。

これは本当に、いけるんじゃなかろうか。もはや据え膳、据え膳?いや、そこまではいかないが、上手くすればこのまま、今日中に俺の欲しいもの全てが手に入る可能性も無きにしもあらず、いや待てがっつくな、がっついてはいけない、落ち着けよ折原臨也。

このように邪心でいっぱいいっぱいだった俺は、何か大事なことを忘れてる気がしたがそれどころではなかった。

「ちょうど甘い物食べたかったんだ。食後に頂くよ。…なんなら君も一緒に夕飯食べていけばいい。もう出来てるから、」

ケーキを冷蔵庫に入れようと立ち上がり、そのままキッチンの鍋の蓋を開けたところでそういえば、と思い出す。
しかしそれは僅かばかり遅かった。

「冗談じゃないわよ」

二階の廊下から怒りの形相でこちらを見下ろす波江から発された言葉に、俺は生まれて初めて自分の頭をポンコツだと思った。

「なんなのよいきなり。いつまで待たせるつもり?私、あなたが思ってるほど暇じゃないのだけど」
「波江、」
「今すぐ帰るけど問題ないわよね?」
「いや、まあ」

スタスタと階下へ降り身支度をはじめた波江に、何かを言おうとしては押し黙る俺の様子を、名前はぽかんとした顔で眺めている。

おそらく俺は、自分の部屋で女を待たせておきながら他の女を口説こうとする、とんでもない男だと思われているだろう。
彼女の中で俺はフェミニストからスケコマシに転落したわけだ。死にたい。

波江は颯爽と俺らの間を横切り玄関へ向かうと、振り向きざまにむけて言った。

「それからあなた、何か不愉快な勘違いしてるかもしれないけど、私とこの性根の腐りきった男の間には一切の関係もないから。するなら私のいない所で勝手になんでもなさい」

おいおい、フォローになってないよ波江さん。


修羅場上級者からの試練


恋愛初心者の俺に、この状況をどう乗り切れと。



2011.5.29
(ストーキングの予定があった波江さんでしたが、本気っぽい臨也に免じて10分は我慢しました)


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