アンチフォーマル




「なに臨也、就活でもするの?」

マンションを訪ねれば、内側からドアを開けてくれた彼がスーツなんて着ていたものだから、私は思わずふき出しながらありえない質問をした。

「なにその笑い方、感じ悪いなぁ。大体これがリクルートスーツに見える?」

シングル3つボタンのブラックスーツに、シルバーのネクタイなんかしてる臨也は見るからに晴れ晴れしいが、その顔色は冴えない。

「何かおめでたい席でもあるの?」
「ちょっとね。面倒なんだけど顔出さなきゃいけない所があって」

いつもの格好ってわけにもいかないからさ。
そう言って彼は結び途中だったネクタイをきゅっと整えた。
折り目正しい格好をした臨也は悔しいが非の打ち所のない好青年だ。型に嵌まった格好をすることで、その端正な造りがかえって際立って見えた。

「そうだ。パーティーに男一人っていうのも格好付かないから、名前も来なよ」
「はぁ!?」
「ドレス、あったかなー。ちょっと待ってて」
「ちょ、臨也!」

楽しいことを閃いたという顔で、一転して笑顔になった彼は軽やかに中階段を上っていった。子供のような行動力に着いていけず、私は呆れながらリビングへ入る。

くつろぐ場所を見つける間もなくパタパタと下りてきた臨也は、予告どおり一着のドレスを携えていた。

「これ前に波江が着たやつなんだけど。……名前じゃねぇ」

彼はハンガーを片手に掲げ、私とドレスを交互にしげしげと眺める。
黒いドレスは胸元が大きく開いていて、身体のラインがピッタリと出る、いわゆるマーメイド型のイブニングドレスだった。自分で引っ張り出しといて躊躇いがちにニヤニヤと笑う臨也は殴りたいくらいムカつくが、彼の言いたいことはよく解る。

こんなものを着こなせるのはアカデミー賞にノミネートされるような女優か、ミスユニバースのような日本人離れしたスタイル(それこそ波江さんのような)を持つ限られた女性だけだ。そもそも入る気も、足りる気もしなかった。何が、とは言わないが。

「ていうか、行くなんて言ってないし!」
「アハハハ拗ねるなよ!まあ途中で買えばいいさ、まだ時間あるから」

……この男、相変わらず人の話をまったく聞いてない。

「あのねぇ臨也。いくら春だからって、私は裏社会デビューなんてしたくないの!あんたなんかと一緒にいたら、誰に目を付けられるか解らないし」
「大丈夫大丈夫、今回のは健全だから」

彼はそう言って大手企業の名前を挙げた。確かにそこは、クリーンなイメージが売りの金融会社だ。

「それに君みたいな金にもコネにもなりそうにない奴に誰も目を付けたりしないって。さあ行くよ」

高そうなハーフコートを羽織りながら、彼は私の返事も待たずにタクシー会社に電話をかける。知ってたけど、こいつ本当にウザいな。





タクシーが停まったのはとあるブランドショップの本店前だった。
当然のようにエントランスへ向かう臨也と、立ちすくむ私。臨也は不思議そうに振り向く。

「どうしたの。この店嫌い?」
「どうしたのって臨也、時間大丈夫なの?遅れるよ」
「あんまり長い間居たくないからちょうどいいよ」

スタスタと入っていく彼は場に相応しい格好をしてるからいいが、知り合いの家に遊びに行く程度の服装の私はどうしたって片身が狭い。そもそも普段外から冷やかす程度の店に、購入目的で入るとなるとそれなりに覚悟がいるものだ。

そんな私の気も知らないで臨也は奥に控えていた店員に気軽なそぶりで声をかける。

「すみません。そこのマネキンのドレスと、あと向こうのネックレスと、そうだな、この靴の色の薄い方と、外のウィンドーに出てたハンドバッグ見せて貰えますか」

臨也は適当に言ってるんじゃないかってくらいの早さで必要な物をパッパと指差すと、それらを店員に持たせ"さあ"と私の方を見た。
もう従うしかないようだった。

諦めて、やたらと広い試着室に入る。ふかふかなカーペットの敷かれたそこはうちのバスルームより広い。そそくさと服を脱ぎドレスをかぶり、ネックレスをつけ終えた私は店員に合図し、靴を用意してもらう。
コトリと置かれたヒールを履いて外に出ると、正面の鏡にすっかり小綺麗になった自分が映っていた。

他人が直感で選んだにも関わらず、どれも驚くほど私の体に合い、なおかつ見事にコーディネートされている。
こうして臨也の無駄な才能を見つけるたび、私はいつも感心すると同時にぶん殴りたくなってしまう。
どうして彼は人の役に立つ仕事にも付かず、あんな迷惑な大人になってしまったのか。まったく嘆かわしい。大体情報屋ってなんだ情報屋って。そんな冗談みたいな仕事本気で自称して恥ずかしくないのか。

下りたままの髪をどうしようかと触っていると、少し離れた場所で携帯をいじっていた彼がこちらに気付き近寄ってきた。

「ああ、いいじゃない。全部タグ切って下さい。会計はコレで」

いつの間にか代わっていた年配の店員(おそらく店長)にカードを手渡すと、臨也はにっこり笑ってかわいいかわいい、と言った。

「……本気?」
「なに疑うの?俺は得しない嘘はつかないよ。名前にお世辞言ったって1円にもならないからね。本当にかわいいって」
「そうじゃなくて!」
「ああ、お金は気にしなくていいから。俺の都合だし」

どうやら冗談みたいな仕事は相当に儲かるらしい。臨也が高所得者なのは知っていたけど、改めて思い知り頭がくらくらした。
とにかく、このドレスが綺麗なお金で買われたのでないことだけは確かだ。そんな男と私は今からどこぞのパーティーに洒落こもうというのか。

「ああ、大事な物忘れてた。すみませーん、そこのコートも一緒にお願いします」
「……」

拝啓、お母さん。
娘の体が着々と汚いお金にまみれていきます。


略礼服のデートスポット
2011.4.14

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