夜の街角に黒い影。
木橋のたもとに立ち俯いていた人物は、近寄る私の足音に顔を上げた。
「久しぶりでござるな」
「そう?定期的に会ってるじゃない」
そうじゃないと、お互いいろいろと立ち行かないんだし。
そう言って、密会の相手である鬼兵隊幹部・河上万斉を見る。彼は相変わらず軽装なんだか重装なんだか解らないような変わった格好をしていた。長いライダースコートは闇に溶けている。
彼と私は表の世界で知り合い、裏の世界で仲良くなった。互いに複数の顔を持つもの同士、今ではコネクションの一つとして繋がりを保っているに過ぎない。
私はいくつかの書類とディスクを手渡し、軽く説明を加えた後、彼からも同等の物を受け取り懐にしまう。一通りの交換と共有が終わると、一番最初の会話に付け足すよう口を開いた。
「それにもう、私たち付き合ってないんだし。以前のようにはいかないでしょう」
「それはそうだが」
別れたのはもう半年以上も前だけれど、私たちがその話題に触れるのはこれが初めてのことだ。
自然発生し自然消滅していったような爛れた恋愛だったため、下手に蒸し返すのは躊躇われたのだ。
「必要以上の接触は、もはやリスクでしかないはずよ」
「随分とビジネスライクでござるなあ、名前は」
「ライクというか、純然たるビジネスなのよこれは」
自分に言い聞かせるようにキッパリと言い放つ。
彼はふむ、とだけ言ってコートのポケットに手をつっこんだ。長身の彼が猫背になると、影までゆらりと傾くためとても裏ぶれて見える。
それきり何も言わなくなった万斉は、かといってその場を離れる気もないようだ。そして相変わらず、耳にかけたままのヘッドフォンを外すつもりもないようだ。その飄々とした横顔に苛立たないと言えば嘘になる。
暗がりに微妙な沈黙が漂い、私は何か声をかけようかと思ったが、馬鹿らしくなってやめた。
サングラスで目を、ヘッドフォンで耳を覆った彼はなんというか、自分をさらけ出す気ゼロだ。人と正面から向き合おうという気概が少しも感じられない。そのくせ人にばかり大事なことを言わせようとする。
それはもしかしたら彼なりの高度な交渉術なのかもしれないが、元カノに対する態度としてはいかがなものかと思った。だから私も一貫して事務的な態度をとるしかないのだ。
最も、いくらアイテムを身につけたところで、私には彼が何を考えているのかくらいなんとなく解る。それなりに私たちは濃い時間を過ごしてきたし、理解しているつもりだ。
彼はきっと、私にまだ未練がある。
「そろそろ行くね」
「ああ、気をつけろ。また連絡する」
「私今月から新しい職場に行くから、ちょっとしばらく、会えないかも」
「……そうなのか」
万斉の眉が僅かに寄る。
私はとくべつ未練を持っている訳ではないけれど、彼の目を見る機会がなくなってしまったことにだけは寂しさを感じていた。
私は彼の瞳がとても好きだった。
「じゃあね」
軽く手を上げ、川向こうへ足を踏み出そうとしたところで、はしりと掌を握り込まれた。
思わぬ行動に少しだけ恋心が戻ってくる。次の言葉次第で、それが完全に復活する可能性もなくはない、と思った。
「せ、」
「せ?」
「……拙者の心に今流れている音楽は、京都慕情でござる」
「……ご、ごめん。意味わかんないや」
√遠い日は
二度と戻らない
ああ
夕闇の高瀬川
何か言いたいことがあるのなら、グラサンとヘッドフォンを外して、自分の言葉で愛を語って。
2011.4.6