夜と与奪


 優秀と傲慢がニアイコールであるように、完璧に見えるものにはいつだって些細なほころびが付き纏う。過信ゆえの油断、油断ゆえの失態。完璧であるはずの彼が犯した失態、それこそが私だった。玉にキズをつけるよう、彼は今日も私に触れる。



「別れたり忘れたりできないなら、死ぬか殺すかしたほうがいいんだと思う」
「……いきなり何」
 私がこぼした物騒な言葉に、彼は珍しく舌足らずなあいづちをうった。眠いのかもしれない。ベッドの上にあるのは私と彼とシーツのみだ。衣服も布団も、邪魔なものは全て床へ落とした。
「なんて、極端なことを考えちゃうの。どうしてだと思う」
 膝を抱えて、自問を口にする。元から独り言のつもりだったけれど、いくら待っても応えが返ってこなかったため、自分のおへそと話しているようで悲しくなった。彼が間髪入れず返事をしないということは、そもそも応える気がないということだ。思考にダラダラと時間をかけるタイプではない。直感に近い速度で頭を回し、それが全て正確なのだから他人には魔法使いに見えるだろう。天才とはそういうものだ。
「どうしてかな」
 そう思っていたのに、彼は忘れた頃に小さく呟き、寝返りをうった。
 私はおどろいて顔を上げる。時間をかけたうえ、曖昧な物言いをするなんて本当に珍しいことだ。記憶をたぐってもそう思い当たらない。昔から自信と確信をもって私の問いに正答を返す人だった。
 彼との付き合いは長い。
 学生時代からなにかと縁があって、いつの間にかささいな日常をともにすることが多くなった。放課後やランチタイムといったありふれた交流だ。今でこそこんな生活をしている彼にだって、青春時代はある。彼はずっと私の憧れだった。
 追いかけるよう彼と同じ大学に入った自分を不出来な人間とは思わないが、一握りのそのまた一握り、そんな中にあっても圧倒的な輝きを放つ降谷零という男を、身近な存在と思えたことはない。そばにいてくれる時はあるけれど、所有しあっていると思えたことはなかった。
 私は彼の全てを知っていいほど特別な人間ではないのだ。知るということの恐ろしさに、耐えられるほどの強さもない。
「隠しきれなかったことは悪いと思ってる。巻き込むつもりは、ないんだけどね」
「……」
「けど、僕も人間としてこの歳まで生きてきたわけだから、僕という男の成り立ちを知ってる人くらい当然いるし、いて欲しいとも思う」
「うん」
「どうしてかな。荷が重い?」
「……あなたの周りにいる人ほど、私は強くも賢くもないよ。それなのにそんな大役、つとまるとはとても思えない。誰かに捕まったら多分逃げられないし、拷問されたら簡単に吐いちゃうかも」
 冗談にならない冗談を口走りながらシーツを手繰り寄せる。ホテルの寝具は清潔すぎて肌になじまない。けれど、彼の部屋を知らないことは私にとって様々な意味で救いだった。
「そんなことはさせないよ」
 そう言いながらも、彼が一番に優先するのは私でなく仕事だということを知っている。それだって随分な救いだ。
「どうしてだろうな」
 声はやはり柔らかい。小さく呟いて、彼は最後まで正解を導けないままで眠りに落ちていった。こんな夜を彼に与えられることを一つの慰めとして、この先も隣にいることは許されるだろうか。
 力の抜けた眉を見ながら、私は案外、彼のためにならあっさり死ねるのかもしれないと思った。

2016.05.17

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