夜に棲む日日
※えみやごはん軸です。


 ブラウスに包まれた肩は見るからに華奢で、未だ少女の骨格をしている。
 けれど彼女の存在は一つの星のように重厚だった。光と熱を閉じ込めた高密度のエネルギー体。サーヴァントの全てがそういった存在感を放つが、彼女に秘められた光は一際眩いようだ。
 あらゆる財宝を手中に収めた、かの王からもそう見えるのだから本物だ。

「名前、今日は随分早いのですね」
「セイバー」
 商店街から住宅地へ向かう坂の途中で、彼女はそう言って振り返る。私は白い歩道をかけのぼり、涼しげな彼女の隣に並んだ。
 冬木の街は坂が多いが、駅から衛宮邸へと続くこの急勾配の坂が私は好きだった。新都から西の御山までを一望でき、川下から吹く海風が肌に心地いい。とくにこんな初夏の日中には、坂をのぼる全身運動と相まって高揚感すら感じた。
「午後の講義が休講で、時間が空いちゃって」
「そうですか。私は士郎に頼まれて夕飯の食材を買いに出ていたところです」
「最近は買い出しも分担してるんだね」
「ええ。私もよい食材の選び方がわかってきました」
 彼女はそう言うと得意げにスーパーの袋を掲げて見せた。中にはつやつやのナスとキュウリ、そして大玉のトマトが入っている。袋の底にはハムのパック、そしてごま油が見え隠れしていた。
「もしかして今日のお夕飯、中華麺?」
「冷麺です。おや、名前が持っているのは」
「大学のベランダ菜園で大葉がたくさんとれたんだ。実はちょうど、衛宮邸に持って行くところだったの」
「それは良い偶然です。冷麺に乗せて食べましょう!」
 こと献立に関して、良い偶然が重なるというのは嬉しいものだ。セイバーもそう思ったのか、ぱっと表情を明るくして少しだけ歩調を早めた。克己的な彼女の、食に対するこうした奔放さはいつ見ても愛らしい。私たちは少し汗ばみながら坂道をのぼり終え、住宅街を抜け、まだ高い日から逃れるように衛宮邸の瓦屋根へと逃げ込んだ。
「今日は二人とも、部活で遅いのです。具材を切っておいたら喜ぶと思うのですが」
「私も手伝うね。薄焼き卵も作っておこうか」
 ナス、キュウリ、それから白髪ネギを細く刻み、トマトはくし切りにして皿の上に並べていく。衛宮邸のキッチンはリビングとの対面式で作業台が広く、複数人で立っても余裕があるため、こうして協力して料理をするにはもってこいだ。ごま油を多めに敷いて、薄焼き卵を幾重にも焼き重ねる。士郎くんがやるように上手くはできないけれど、フライパンに溶き卵を回し注ぐ私と、焦げないよう菜箸で掬い上げるセイバーの息はなかなか合っていたと思う。大葉は刻もうか、そのまま添えようか迷った末、半分は刻み、白髪ネギと和えた。大方揃った具材を並べ、料理本を頼りにスープを作り、後は麺を茹でるだけ、というところで一休みの提案をしたセイバーに同意して、私たちはお茶を淹れた。
「この家のリビングは、なんだか不思議と落ち着くね」
「皆、そう言って集うのです。日本の座敷といったものに馴染みのない私ですらそう思う。まるで家族と食卓を囲んでいるようです」
 セイバーはそう呟いて、少し眩しそうな顔をした。私はそれが眩しくて目を細める。彼女の魅力を知るとき、私の胸は少しだけ軋む。そしてなぜだか、同時にほっとするのだ。他愛のない話をしながらお茶を二杯飲むうちに、玄関の方から耳慣れた男女の声が聞こえてきた。外はいつの間にか暮れなずんでいる。
「名前さん、来てたのか」
「なんだか既にいい匂いがしますね」
 制服姿の士郎くんと桜ちゃんは、部活の後だというのに疲れた様子もなく朗らかな顔をしている。二人ともこう見えてとても体力があるのだ。
「お邪魔してます」
「具材は刻んでおきましたよ、シロウ、サクラ」
 誇らしげに告げるセイバーに礼を言い、並べられた皿を見た士郎くんは青々とした葉の色を見て「良い大葉だな」とこぼした。
「麺は私が茹でますね」
 エプロンをした桜ちゃんに生麺の袋を渡しながら、私は不思議な気持ちで座敷を眺めた。ここにいると本当にみんなが家族のようになる。境遇も年齢も、存在すらも異なるいささか訳ありの私たちが、細い糸でなんとなしに繋がるのだ。それはいつでも抜けられて、またいつでも入れるやわらかな輪っかだ。
 生きるために物を食べ、食べるために手間をかける。生活とはそういうものだ。出来上がったものが美味しければ、生きることが少しだけ楽になる。


「この具材、少し貰っても良いかな」
「もちろん。手伝ってくれてありがとうな」
 おかわりをして、それぞれのお腹が満たされてもまだ残っていた具材を見てそう聞けば、士郎くんは快くタッパーに詰めてくれた。
 タッパーの入った手提げバックをゆらゆらと揺らしながら、昼にのぼった坂道をくだる。なんとなく空気がそわついている今日は、きっと早めに帰るのが正解だろう。夜になる手前の薄ぼんやりとした闇の中に、男の影を見つけたとき、私は自分のそうした直感を褒めたくなった。
「なんとなく、今日は来る気がして」
 私は小走りで勝手に合流し、彼の横を並び歩いてみる。街灯の下で見るこの男はより一層非現実的だ。手足が長く、けだるい雰囲気を纏うわりに姿勢がやたらといいため、なんだかマネキンと一緒に歩いているような心地になる。
 私が合流したていをとったが、彼の足取りはやはり私と同方向だ。部屋に入るまでは気が向かなかったのか、彼は一言も喋らなかったけれど、私が自室のエアコンを除湿に切り替える音を聞いて「随分と蒸すな」とこぼした。どうやら機嫌が悪いわけではないらしい。
「もう夏ですね。そういえば衛宮邸で、冷麺を作ったんです。王様も食べますか?」
「貴様、我に雑種共の残飯処理をしろというのか?」
「残飯じゃなくて、わざわざ貰ってきたんです。それに具材はセイバーと一緒に刻んだんですよ」
「ほう」
 途端に反応をよくしたギルガメッシュ王を見て、まあ現金なものだと思う。けれど今さらそこに言及しても疲れるだけなので、私はとくに態度には出さず湯を沸かし、冷麺を茹でた。商店街のスーパーで安売りをしていたものだが、先ほど衛宮邸で食べたものとそう品質は変わらない。王様が市販の食材を褒めることは極めて稀だが、かといってこうした加工品を無闇にけなしたりはしない。
「良いも悪いもない庶民の味だが、わが妻の花嫁修業と思えばこそ味わい深い」
 王様はできあがった皿に着々と箸を伸ばしながらそんなことを言っている。相変わらずぞっとすることを言う人だなと思った私は、今度は流さずに口を出した。
「妻でもない女の部屋で言うことですか」
「なんだ、悋気か。くだらん」
 終始物事を都合よく解釈するその自己肯定力の高さは羨ましくもあるが、一歩間違えれば大惨事である。しかし今回に限っては、あながち外れてもいなかったため、私は視線を壁へずらした。
「セイバーは、私から見ても眩しい」
 目を閉じて、彼女の横顔を思い出す。凛とした眉、潔白な鼻筋、高貴な金髪に、伸びやかな背筋。
「一緒にいると眩しくて、話しているとほっとするのに、心がそわそわするような不思議な気持ちになる。王様の気持ちがわかる気がします」
「我と貴様の視点を一緒にするな。我から見るセイバーと貴様の見るセイバーは異なる」
「……そうですか」
 言いたいことはわかるけれど、そんな言い方をすることはないじゃないかと眉を寄せていると、彼は反対に愉快そうな顔をした。
「フン、拗ねるでないわ」
「拗ねてないですけど、もうシャワーを浴びて寝ます。食器自分で下げといてくださいね」
 拗ねていた私はそう言い残し、洗面所のドアを閉めた。体感温度は夏場ほどではないけれど、春とは違う湿度の高さに肌がしっとりと汗ばんでいる。なんだかもやつく気持ちごと洗い流そうと、強めのお湯を浴びてリビングへ戻れば、王様は先程とさほど変わらない姿勢で呑気にテレビを見ていた。
 珍しく言われた通り自分で食器を下げている。彼は意地が悪いが、素行はそこまで悪くない。生活のことも、家事のことも、王というわりには器用にこなした。
 私は宣言通り、一緒にテレビを見たりスマホをつついたりすることなく、速やかにベッドへと入った。まだ明るいリビングに背を向けて、少しだけ足を丸める。眠れるだろうか。目を閉じるとやはり彼女の顔が浮かび、眩しいものを近くで見すぎたときのように目蓋がじんと滲んだ。彼女の形が焼き付いて離れない。王様もそうなのだろうか。王様はなぜ、今日この部屋に来たのだろう。
「貴様よもや、己をセイバーの代替などと思っているわけではあるまいな」
 私の心を読んでいるのか、テレビを見ていたはずの王様がぞんざいにそう言って、ベッドの端に座った。
「思い上がるなよ」
「わかってますよ」
 どうして追い打ちをかけるようなことを言うのだろう。やっぱりこの人は底意地が悪い。そう思いため息をつくと、吐いた息を掬うように背後から王様の手が伸びて、私の頬を掴んだ。
「貴様は貴様だ。この黒髪も、象牙の肌も、従順なようでいてこの上なく生意気なその態度も……他の女と比べるべくもないわ」
 これは褒めているのだろうか、慰めているのだろうか、それとも物扱いして貶めているのだろうか。見上げれば、王様は眉をひそめていた。けれど口元は笑っていて、やはりとても性悪そうに見える。
 王様は私の隣にどかりと横たわり、それから一つ大きく呼吸をして、寝返りをうった。彼は時おり私を抱くが、こうして横で眠るだけのことも多い。何をしに来ているのかは知らない。王様にも誰かと一緒に夕飯を食べたいときがあるのだろう。きっと違うけれど、そういうことにして目を閉じる。教会の神父と食卓を共にすれば良いのに。もしくは彼のサーヴァントと……そこまで考えたところで眠気が押し寄せ、意識を手放す。
 この街にはおかしな住民が多くいる。食べなければ死ぬ人も、そうでない人も、様々なものを口に運び、息をする。生活とはそういうものなのだ。

2020.06.28

- ナノ -