※通りすがりのクー・フーリン視点です。
初めは「またやってらぁ」程度のものだった。カルデアの白い壁を背景にして、金の甲冑と白い制服が何やら言い合いをしている。言い合うといっても普段なら金ピカの一方的な横暴に、奴のマスターがしどろもどろ、ときにヤケになりながらもツッコミを入れるといったくらいのものだ。それだって随分根性があると感心していたし、よくも英雄王の逆鱗に触れないものだと思ったりもしていた。だが奴も身内には意外と甘いところがあるし、マスターにしても引き際の見極めが上手いのだろうと、呑気に捉えていたのだ。
その日のやりとりが普段と違うことに気づいたのは、ギルガメッシュの声に続き女の声までもがはっきりとこの耳に飛び込んできたからだった。
奴の声がでかいのはいつものことだが、マスターである名字名前は無闇に声を荒げるタイプではない。芯は強いのだろうが印象は柔らかく、気の強い女が好みの俺としてはもう一歩物足りない、などと勝手に思っていたくらいだ。
そんな名前が声を張り、聞く限りでは英雄王を真っ向から批難している。ひやりとする状況ではあるが、部外者である自分がわざわざ割って入るのもどうかと思い、俺は談話スペースのテーブルに座ったまま事態を眺めた。
「……取り消してください。あまりにも酷いです!」
「前言の撤回はせん。我は事実を言ったまでだ。貴様のそれは癇癪か? 見苦しい」
「か、癇癪? 私は自分の意見を伝えているだけで……」
「意見などを誰が許した。貴様は、我の日ごろの寛容を随分と曲解しているようだな。会話は許すが対話など認めぬ。反応はよいが反論はするな。媚びずとも諂え。貴様は小間使いとして常に我を貴び、頭を垂れ、傅いていろ」
四千年も昔から周囲の全てをこき下ろし頂点に君臨してきたこの王を相手に、十年二十年そこらを生きた程度の娘が太刀打ちできるはずもないのだ。ギルガメッシュの低い声は言葉通り、反論を許さない冷酷さに満ちている。
けれどその内容は悪筋だと思った。彼らのあいだに一定の信頼関係が芽生えていることは端から見てもわかったし、ギルガメッシュとてそれを自覚していないわけではないのだ。そういった関係性を根本から否定するかのような言い様は、いくら機嫌が悪いからといっていささか軽率である。
案の定、強くなじるような言葉に名前は顔色を変えている。じんわりと瞳を潤ませ、頬を紅潮させている表情を見て、これは泣くだろうなと思った。女が泣いて、男が背を向け、そこで会話は終わるものと思っていたのだ。
けれども予想に反し響いたのは、ぱんという乾いた音だった。怒りを堪えかねた彼女の手のひらが、英雄王の頬を張ったのだ。
そのタイミングで止めに入るべきだったのだろうが、俺は顔を赤くしたまま悔しそうに王を睨みつける彼女の顔に見入ってしまい、動くのが遅れた。
すぐさま、彼女の倍はあろうかというギルガメッシュの大きな手が振り上げられ、名前の頬を勢いよくはたき返す。張り手とはいえ、怒りのまま人間の女を殴り倒すサーヴァントがあるか、と呆れたときには、吹っ飛んだ名前の体が数メートル先のテーブルセットに突っ込み、廊下に騒音が反響していた。
「やめておけ、生身のマスター殴るなんざ」
「慈悲であろうが。殺しても良いのだ」
ようやく止めに入った俺に淡々とそう言って、ギルガメッシュは偉そうに腕を組んだ。素っ気ない素振りだが、支配欲にまみれた瞳孔が獣のように開いているのが見える。
大丈夫か、と倒れた椅子を足で退けながら引き起こすと、名前はぐったりと俺に寄りかかったまま痛みと悔しさでぼろぼろと泣き、垂れる涙と鼻血を拭うこともなく、尚もギルガメッシュを睨んだ。俺はまた内心で感心してしまう。根性があるどころか、これは少し心配な域だ。だが良い。かなり良いじゃねえか、と場違いな感情を抱く。
「なんだ、まだ足りぬか。次は胴に穴でも空けてやろうか」
「……」
「別の場所を貫いてやってもよいぞ。そろそろ生娘の乳臭さにも飽いていたところだ」
嗜虐欲に火がついたのか、ギルガメッシュは下世話なことを言いながら名前を見下ろしている。彼女の意地は見事ではあったが、これ以上拗れれば面倒なことになるだろう。
そう思った俺は握り締められていた名前の拳を上から抑え「医務室行くぞ」と声をかけた。
「……飼い犬に手を噛まれたな、王サマよ」
「フン、犬同士尾を巻いて退散か。似合いではないか」
「ざけんな! 誰が犬だ!」
嫌味に嫌味で返され、余計なことを言うんじゃなかったと辟易しながらその場を去る。遅れて脳震盪を起こしたのか、足取りのおぼつかない名前の体を肩に担ぎ、宣言通り医務室へと向かった。
「ああ、またやったのかい」
「また?」
昏倒した彼女を送り届け、管制室の前で散々なものを見たと話せば、ダ・ヴィンチはいつものアルカイックスマイルでそう言った。
「彼女も大概意地っ張りでね。まあ正当な主張ではあるのだろうけど、あの王様相手に正当な主張を貫こうとすれば当然、そうなる」
この女は、自ら勝手に女の姿を象っているだけあり相当に癖が強いのだが、頭の回転が早いことは確かなようでさらりと元も子もない結論を導き出している。青少年の前では努めて人道的な態度をとっているが、こうしてサーヴァント同士で話し始めればざっくばらんだ。
「あの二人は召喚したその日のうちに揉めてからこっち、定期的に暴力沙汰になるのさ。けれどいがみ合っても殺されていないところを見ると、むしろ相性は良い風にも思えるのだけどね」
「相性が良いったって、見てる分にはひやひやするぜ」
大事になるかならないかは、どうやら確率の問題らしい。今まで名前に持っていた印象ががらりと変わり、俺は呆れながらもなんだか愉しい気持ちになっていた。ダ・ヴィンチの言う通り、名前にしたって理解し合えると思っているからこそぶつかっていくのだろう。あの性悪な王を相手にどこまで根性を張れるか、見ものではある。
「直情的な王様だが、彼なりの手心を加えているんだろう。そうでなきゃとっくに存在ごと消し飛んでる」
「まあそうだな」
「だがやはり、人道上、問題ではあるだろうね」
サーヴァントが生身のマスターに手を上げる様というのは、なかなかに刺激的である。俺を含め多くのサーヴァントと親しみ深い距離感を保っているフジマルなんかとは、全く異なる関係性だ。だがまあこれという正解はないわけだし、好きなようにしたら良いとも思う。今度、見舞いがてら名前と話でもしに行こうなどと思いながら、俺は管制棟を後にした。
*
王様に吹っ飛ばされたあと、クー・フーリンが医務室に運んでくれたところまでは覚えている。
湿布を固定する頭の包帯はなんだか王袈裟に思えたが、戦闘でもないところで負傷してスタッフの手をわずらわせたことは申し訳なく思った。以前も同じ反省をした気がするが、後悔するのはいつも痛い目をみた後だ。眩む頭に、もう少し仮眠をとろうと目を閉じる。
次に意識が覚醒したのは消灯後のことだった。薄暗い医務室のカーテンの内側に、見慣れた男が立っているのが見える。私は少し顎を上げ彼と視線を合わせてから「王様」と呼びかけた。
「何か言うことはないのか」
いつからそこに立っているのか、しびれを切らしたようにそう言って王様は眉間を寄せる。謝るくらいならはじめからギルガメッシュ王をひっぱたいたりしないし、彼だって今さら謝罪など求めていないだろう。
「不公平です。私だって思い切り叩いたのに」
「貴様、言うに及んで……」
しかしそう思っていたのはどうやら私だけだったようで、和解の言葉がないことに王様はげんなりと眉を下げた。
「貴様程度の膂力で、我の玉体に傷を付けられると思うか」
私にしおらしさを求めることを諦めたのか、王様は腫れ一つ残っていない自らの頬に指で触れ、そう零す。
「貴様の方はズタボロだな」
「そうですね。幸い骨は折れていませんが、奥歯が一本とれました」
「ふはは、我に殺される前に、さっさと世界を救うことだな」
先に手を上げた私も、怪我を負わせた王様も、一向に謝る気配がないまま話題は世界規模へと広がっていく。彼はこんな言い方をするけれど、殺したかったらもうとっくに殺しているはずだ。あいまいに頷けば、王様はとうとう大きなため息をついた。
「不遜な女よ。確かに今は手心を加えているが、いつ気が変わるかは知れぬぞ」
「その時は……王様、世界のこと頼みましたよ」
冗談を言ったつもりはなかったけれど、言った後でおかしくなって少しむせる。人一人を殺すことなどなんとも思わぬ人物が、世界を救う。それはまさに英雄というものの本質である気がしたのだ。
「貴様に言われずとも、この世の全てなどとっくに背負っておるわ」
期待に違わぬ言いぶりに、あはは、と笑えば口の端が引きつって痛んだ。何がおかしいと眉を寄せながら、王様はまた怒っている。
「治るまでじっとしておけ。女の癖に顔に傷ばかり作りおって」
あなたがやったんだ、と言いたかったけれどなんだか笑い疲れてしまい、私は言われた通り目を閉じた。王様の手が頬に触れ、王様の魔力が肌にしみる。憎らしく思うことはあれど、なぜだか恐ろしいと思ったことはない。彼を召喚したその日から、防衛本能が麻痺しているのかもしれない。
他のマスターやサーヴァントたちは、どうなのだろう。今度クー・フーリンに尋ねてみようと思いながら、眠りにつく。お礼も言わなければいけない。湿布と包帯で済んだのは彼が諫めてくれたおかけなのだ。
2020.05.17
このあともう一度クー・フーリンパートを書こうとして力尽きました。また機会があれば書きます。