とびきりやさしいリグレット



バタン、とドアの開く音がして顔を上げる。
入ってきたのは紛れもない、我らが総督さまだったため私はわけもなく謝りそうになった。休憩所で休憩をしていただけで、特にやましいことはないのだけれど。

彼は顎を上げ部屋の中を一望すると、入口近くの長椅子にどかっと座った。羽織が空気を含み、その余波が私にまで届く。少しきな臭い匂いがした。

部屋の中央でむしゃむしゃと饅頭をむさぼっていた私に対して何のコメントもないところからして、私のような平隊員は彼にとってモノの数にも入らないのだろう。部屋の備品くらいにしか思っていないのかもしれない。一服しようと適当な部屋に入ったら、なんか居たが気にするほどでもない、といった風だった。

私は少し悲しくなり、茶筒を持ってさりげなく彼のそばに寄った。総督は私をチラリとも見ずに煙管に火を入れ、深く息を吸い込む。喉仏の下がゆっくりと沈み、戻る。ちりちりと草が燃える音がして、辺りに甘いような苦いような香りが広がった。
私は二人を隔てている机に、すすすと茶菓子のカゴを手繰り寄せる。静かだ。総督は何も言わずに饅頭を手にとり、パッケージを少し眺めてからまた元の場所に戻した。自然体か。それとも何か気に食わなかったのだろうか。

彼は決してお喋りな方ではない。無口というほどでもないが、基本的には寡黙の部類に入ると思う。興が乗れば自分から話すし、そんな時は意外と普通の兄ちゃんぽいのだが、黙っているとただただ怖かった。目付きも居住まいも不敵すぎるのだ。

私がじっと眺めていても、総督が意に介する様子はない。その辺りが彼の器だと思う。
総督はいつも何を考えているのだろう。私はなんとなく、すごく難しいことか、すごくくだらないことのどちらかに違いないと思っている。難しいことというのは今後の日本とか組織の利害とかそういうことで、くだらないことというのは酒が飲みたいとかあそこの女は良かったとかそういうことだ。どちらにしてもすごく総督らしい気がする。

「総督、今何を考えてますか」
「あ?別に何も考えてねェよ」
「何も考えてないって……何もですか?」
「何も」

そう言って、私の淹れた茶をズズッと啜る。無我の境地。やはり総督は私なんかの想像の及ばぬ場所にいる。何も考えないというのは一番難しいことだと以前、禅寺の和尚さんが言っていた気がする。

「すごいですね総督」
「フザケてんのか?」
「いえっとんでもない」

ピリピリしていて話しかけられない時はもちろんあるが、それ以外の時はわりと、私なんかにも気軽に接してくれる。名前を覚えてくれているかはわからないが。

「ちなみに、今はいろいろと考えてるぜ」
「ほほう。例えば…?」
「この女舐めてやがるなァとか、そういうことだな」
「な、舐めてませんてば!」
「そうか」

総督は目を細め親猫のような感じで笑った。今日の彼は穏やかに見える。チャンスかもしれない。

「あの、総督の好きなものってなんですか?」
「なんだ、やぶからぼうに知りたがって。親戚の子供かお前は」
「総督のことが知りたいんですよ!私、イメージだけで入隊しちゃったところあるから」
「親が泣くぞ」

彼は唇の端で煙管の吸口を軽くはみ、くく、と喉を鳴らす。私は少しくらくらとした。

「そォだな、まず酒」
「はい」
「旨いもの」
「はいはい」
「それから、綺麗な女だな」
「綺麗な…例えば?」
「こう、腰とかがキュッとなっててだな、乳と尻がでかくて、顔はまあ、とにかく美人だ。それにこしたことはねえ」
「…それ、綺麗な女っていうよりいやらしい女じゃないですか」
「そうとも言うな」

なぜか満足げに頷く彼はその辺のしょうもない男のようで、私は常連をたしなめるホステスのような気分になった。

「でも総督、意外と平和な嗜好です」
「なんだいそりゃ」
「もっとなんかこう、血とか殺戮とか敵の悲鳴とか言うと思って」
「そんなイメージでここへ入ったならお前ェの精神の方が心配だな」

この人に精神状態を心配される私は病院に行った方がいいのだろうか。カツンと茶碗に落とされた灰が、水分を含みじわじわと崩れる。

「まあ、気に入らねえ奴はぶっ殺してやりたいとは思ってるが」

比喩でもなんでもなく、彼はそれを実行しているのだからやはりとんでもない。でも彼の『気に入らない』にはいつもそれなりの理由があるし、誰よりも冷静に状況を見てもいるので、ただの切れやすいチンピラとは違う格好良さ、そして怖さがあるのだ。落ち着きと鋭さ、と言い換えてもいい。信じていれば裏切られないが、目を付けられれば逃げられない。鬼兵隊なんて、私を含め皆病院に行った方がいいような連中なのだった。まともな神経の人間が宇宙相手に喧嘩などできまい。

「終わりかい。詰問は」
「詰問だなんてそんな」

部下の戯言に怒りもせず付き合ってくれる彼は意外に気が長いと思った。彼くらいになると、わがままな女を甘やかす楽しみというのを知っているのかもしれない。
そんなことを他人事のように思い、横顔を見つめていると、思いがけず目が合った。幅の薄い蛇のような目は、少し笑っている。総督は懐から手を抜くと、無造作にこちらへと伸ばした。その指先が触れるまでの間を、私はなぜか永遠のように思う。

細いと思っていた指は意外とたくましくごつごつとしていた。刀を握りしめ分厚くなった手のひらの皮が、ざらりと頬に触れる。彼の歴史をあらわしているようだ。

「尽くせよ、これからも」

その一言が、どれほど私を熱くするか。自覚して言っているなら、やはり総督の器だ。
どこまでも尽くそう。



2013.1.17
デビュージャンル企画『secret act』提出


- ナノ -