そらのうわ



「ってね、俺は思うわけ」
 ぼんやりとカーブミラーに映る自分を眺めていたら、横からそんな声が聞こえてきたため首をひねった。
「すまん、聞いてなかったわ一ミリも」
「一ミリも!?」
 こいつとこの道を歩くのも、かれこれ足し算を三回ほどしないと数えられない年月になる。小学校の六年、中学の三年、プラス高校の二年半。ちょうど十年か、と思い至りなんだがぞっとした。べつに毎日一緒に帰ると決めているわけじゃないが、部活が同じで家が近ければ嫌でもこうなる。
 よくわかんねえと思っていた、なよい見た目の近所のダチが今では立派なゴリラになり、曲がり角のミラーに映りこむほど背も伸びて、最近じゃ不本意なことにコイツのことならわりと何でもわかってしまう。
「俺が名前の話を全く聞いてなくてめちゃくちゃ怒られたって話、ちゃんと聞いてよ酷いじゃん!」
「お前ってほんとそういうトコあるよな」
 理不尽で矛盾だらけのことをガキのように主張しながら、及川は口を尖らせている。こんな男にも彼女というやつがいるんだから、世の中もたいがい理不尽で矛盾だらけだと思う。うだうだと面倒臭いなれそめでくっついたコイツとコイツの彼女は、どちらも俺のよく知る人間のためあまり詳しいことを聞きたくないというのに、ことあるごとに愚痴や相談をしてくるのだ。
「自分がされて嫌なことを人にするなよ」
 俺が学級目標のような注意をすると、及川は尖っていた口をぎゅっと引き結んで鼻から妙なため息をついた。この間の抜けたツラを他校の追っかけ女子たちに見せてやりたい。
「だってアメリカのドラマの話とかされても正直よくわからないし、俺横文字って耳をするするすり抜けるんだよね」
「じゃあお前はどんな話してるんだよ」
「そりゃまあAクイックの話とか」
「は?」
「Cも」
「それ以外は?」
「……び、Bクイック」
 それきり黙った及川を見て、お互い様だと薄目で睨む。口に出さずともコイツは俺の表情を勝手によんで反省するため楽なときは楽だ。そういえばこの前、名前のやつが「速攻の球でふっとばされて死ぬ夢をみた」と嘆いていた気がする。彼氏の夢でうなされるなんて哀れだと思いつつ、俺はつい正しいレシーブのコツなんかを教えてしまったから人のことは言えない。
「おめーらそんなに相手に不満があるなら別れればいいじゃねえか。嫌いな奴の顔毎日見て楽しいか?」
「うっ、岩ちゃんって一つの細胞で出来てるの? 俺は人間だからそんな簡単にいかないんだよ」
「誰が単細胞だこの野郎」
「いだっ」
 及川の肩を小突きながら、暗くなった下校路の砂をじゃりじゃりと鳴らす。昔は名前も一緒に帰ることがあったが、高校に入り居残り練習をするようになってからはそんなこともなくなった。
「でもあいつ、部活に関しては文句つけたことないだろ」
「そりゃ名前はバレーしてる俺が好きだからね。まあバレーしてる俺はかっこいいから当然だけど」
 仮にそれを認めるとすれば、逆にバレーをしていない時のこいつはゴミカスだ。ゴミカスは言い過ぎかもしれないが、控えめに言ってうんこだ。バレーをしていない時のこいつはバレーの話をしているか何か食ってるかぼんやりしているかだからまあ、一緒にいて特別楽しいということもないだろう。部活で頭をいっぱいにしている俺らが並行して出来ることなんて、栄養補給か体力回復くらいなんだから仕方ないとは思う。
「ほんとよく辛抱してるよな」
「俺もそう思う」
「おもに向こうがな」
「俺だっていろいろ我慢してるんだよこれでも!」
 名前は名前で素直なタイプでもないし、それはそうなのかもしれない。幼馴染み同士なんて互いに嫌なところを知り尽くしているだろうに、よくやると思う。
「でもさなんかあいつ、たっまーに可愛いときあって」
「たまにかよ」
「そういうときが、ほっんとーになんか、イイから」
「……」
「なんでもいっかって思っちゃうんだよね」
「そうかよすげえ興味ねえ」
 こうして結局のろけに行き着くから、初めから聞きたくないのだ。こんなことならやっぱり一ミリたりとも相談にのるんじゃなかった。げんなりしながら視線を上げると、及川の家の前に誰かが立っているのが見え、俺は事態がますます加速することを知る。
「徹」
「……なに、なんで待ってんのそんなとこで」
 ブロック塀の端に寄りかかっていた名前は、顔を上げると少しだけ潤んだ目でこちらを見た。
「なんかさ、喧嘩した気がして」
「……そうだっけ。べつに、喧嘩ってほどでもなくない」
「なら、いいんだけど」
 ほっとした様子でそっぽを向く名前に、及川が心の中で悶えているのがわかったが、俺もそこまで性悪じゃないため黙っておいてやる。コイツは「たまに」だのなんだの言っているが、俺から見ればたまでもなんでもない。むしろしょっちゅう悶えている。そのわりにすぐ、喧嘩をするけれど。
「ふふ、なんか二人が並んで帰ってくるの見たらおかしくなった」
「は、なんで」
「全然変わらないんだもん、小学生のころと」
「変わるだろ。ちょうど十年だぞ」
「十一年半だよ岩ちゃん。一桁の足し算しっかり」
 腹いせに及川の肩をもう一発小突いて、じゃあなと言う。二人はしばらくここでもじもじとしているのだろう。幼馴染みのあれこれなんて知りたくないし、愚痴だって聞きたくない。それでも別れられるより良いと思うのは、アイツが自慢の相棒で、十年来の友達だからだ。そんなこと、口に出して告げる日がくるかはわからないけれど。


2017.10,01
『才能とセンス』上映ありがとう

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