ありていな話



 衛生的、といえばそうである。
 けれど衣食や睡眠への依存度が低いサーヴァントたちに、どれほどの衛生観念があるのかは謎だ。カルデア内部は、今日も世界の終わりとは対極的な整然さをもって私たちを包んでいる。
「ホームズ、少し手伝って欲しいんだけど」
 個室の中央でうなだれている長身の男に声をかけるが、彼は反応を示さずに、一定のリズムで組んだ足先を揺らしていた。英霊の存在というのはたいていの場合そうだけれど、白すぎる部屋の中でそこだけ空間の密度がちがっているようで目眩がしそうになる。無菌室を思わせる簡素な室内に持ち込まれたヴィクトリア調の肘掛け椅子は、必要以上に重厚に、有機的に、意味ありげに見えた。
「ホームズ」
「……」
「あの、ホームズさん?」
 近寄り、もう一度呼びかける。彼はようやく億劫そうにため息をつき、まるで今気づいたというふうに顔をあげた。
「やあマスター。呼んだかい」
「ええと、疲れてる?」
「疲れているよ。返事をしたくないくらい疲れているが、私は一応君のサーヴァントだからね。三回に一度くらいは応えようじゃないか」
「ありがとう」
 紳士的で協力的。活発で快活。初めに受けた彼の印象はそんなものだったけれど、いくらか共に過ごすうち、彼のコンディションにはすこぶる波があることに気づいた。本人も自覚をしているらしいが、自覚をしてこれなのだからつまり直す気はないということである。
「昨日まで退屈だって騒いでたじゃない」
「昨日までは退屈だったんだ」
「今は?」
「疲れた。退屈疲れというやつだ」
 ややこしい生態に思わずため息をもらすと、彼は薄く目を細めこちらを見た。
「薬物摂取をアーキマン医師に禁じられていてね」
「薬物って、どこか悪いの?」
「君はドイルを読んでいないのか。あれは私の指南書なんだから隅々まで目を通してくれないと困る」
「……ごめんね不勉強で」
 謝りすごすごと踵を返しそうになったところで、もっぱら彼のペースに嵌りつつあることに気づき首を振った。基本的に英霊というのは自我を凝縮して固めたようなものなのだから、扱いやすい者はそういない。召喚すれば自動的に自分の手足となるわけではないのだ。相手の霊基に飲み込まれないよう、常にマスター然としていなくてはいけない。
「新しい英霊を召喚したから、種火を集めに行きたいの」
「ほう、君の召喚成功率は本当に目を見張るものがあるな」
「そろそろ部屋が足りなくなるかもしれない」
「アーチャーとの相室は御免だよ」
 前回の遠征先で数学教授と同室に放り込んだことを根に持っているのか、彼はまた頬杖を深くして顔を背けてしまった。話題の持っていき方をしくじったと肩を落としていると、ホームズはちらりとこちらに目を戻し、曖昧に眉をさげる。
「……すまない。マスターをいじめたいわけじゃないんだ。相棒をからかいすぎるのは私の悪癖でね」
 悪癖の自己申告はここのところ増えるばかりだ。相棒と呼ばれたかつての友が、そのうちのいくつを許容していたのかは知らない。けれど一緒に暮らしていたくらいだから、相当器の大きな人物だったに違いない。
「務まるかな、あなたの相棒なんて」
「充分果たしているよ。君にとって私が重要である以上に、私にとって君は大事な存在なんだ」
 彼はそう言うと、先ほどまでの気だるさを嘘のように振りはらい、立ちあがる。
「他のどの英霊以上に、私は君たちの記憶に依存してるのさ。物語が忘れ去られれば、私も消えて無くなるだろう」
 シャーロック・ホームズが実在したか否か──。その問いに彼は答えを出さない。こうして彼がここにいる以上、それは無意味な問いだからだ。
 存在と実在に、大した差異はないのかもしれない。
「さて……座っているのにも飽きたことだし、世界を救いにいくとしようか。マスター」
 探偵の暇つぶしで救われる世界だなんて、人類史とその担い手に少し同情しそうになるが、意気の戻ったこの男ほど頼もしいものはない。いち人類としてそう思う。
「その前に、まず種火」
「ああそうだった」
 私は笑いながらドアを開けた。彼の相棒であるために、この先いくつものドアを開ける必要があるのだ。かつての助手がロンドンの片隅でそうしたように。

2017.08.28

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