第二幕の叙述



「俺が君の彼氏のふりするのも、君が俺の彼女のふりするのも、そう変わらないと思うけど」

 彼の事務所に足を運ぶのはあの日以来のことだ。彼はデスクの上で手のひらを組み、にこやかにそう言った。この胡散臭い笑顔を目の当たりにするのも数ヶ月ぶりである。田舎の空の下で見たちぐはぐな光景を思い出しながらため息をついた。あの日はお天気も良くまだ暖かかった。なんだか遠い昔のことに思え、目の焦点をぼかす。窓の外には冬雲がたれこめている。

「微妙に心持ちがちがうんだよ」
「まあ、君の依頼ほど無茶じゃないよ。移動も大していらないし、数時間で済む」

 頼まれる側になり改めて、おかしなお願いをしてしまったものだと実感する。結果的にはうまくいったから良いけれど、彼じゃなければボロが出てますます面倒なことになっていたことだろう。おかげさまであれから見合いの話は一件もこない。

「危険なことじゃないんでしょ?」
「危険ではないよ。全然ね」
「全然?」
「まったく」

 これほど信用できない言葉があるだろうか。けれどどうやったって断れる状況ではなく、私は首を縦に振るしかなかった。人を利用する代償というのはこういうことだ。彼はけっきょく私の提示した見積もりもお礼金も受け取らず、私の払うべき対価は宙に浮いていた。それを回収しようというのが今日なのだろう。覚悟を決めるほかない。

「それで、具体的には何をすればいいの?」
「デートをしよう」
「……デート」
「人目につくところで、大手を振っていちゃつこう。東京中の妬み嫉みをかいに行こうじゃないか」
「一応聞くけど、無理って言っちゃいけないんだよね……?」

 彼はアハハと軽い調子で首をかしげ「言っても良いけど利子がつくよ」などと恐ろしいことを言う。この頼みを断ったら、次はさらにハードルの高い対価を求められるということだろう。人前で恋人でもない男とベタベタするなんていう生理的嫌悪感くらいは我慢するべきなのかもしれない。第一、親戚一同に囲まれながら平然と嘘をつくよりはずっと易しいことだ。

「折原臨也がプロの女にうつつを抜かしてる。そんな噂が欲しくてさ」
「プロの女?」
「プロの女」

 折原君はそう言いながら紙袋を投げてよこした。中を見ると、キャラメル色をした巻き毛のウィッグが一つ、そして私ではとても手が届かないようなハイブランドのワンピースが一着入っている。

「化粧もしてあげる。誰も君とは気付かないよ」

 大体の意図がよめ、私の身に危険が及ばない理由もわかったけれど、こんな付け焼き刃の計画でいったい彼にどんな利益が生まれるというのだろう。いくらなんでも茶番すぎやしないだろうか。

「信憑性なんてなくていいのさ。ただ、火のないところにも煙くらいは立てないとね」

 彼は愉しそうに笑って、コスメボックスの蓋を開けた。こんなものは私ですら持っていない。らくがきちょうを埋める子どものような無邪気さで、彼は私の顔に次々と手を入れていく。繊細な指の先が顎を固定するしぐさに、すごしだけ脈が速まった。彼の顔を間近に感じるのも、忘れたいあの晩以来のことだ。ほそい化粧筆が唇の上を数度すべり、閉じていたまつげが震えてしまう。そんな私に小さく笑みをこぼし、彼は「できたよ」と言った。
 掲げられた手鏡を覗くと、思いのほか出来の良い自分の顔面が目に飛び込んできて驚いた。いつも無難な化粧しかしないため、流行り廃りには疎いけれどなかなか今時の顔になっているのではないかと思う。派手ではあるものの品よくまとまっていて、つくづくなんでも出来る男だと感心する。

「どこで練習したの?」
「練習? こんなもの道具とセンスさえあれば誰だってできるだろ。素材が何であれ、それなりのものに仕上げるのは俺の得意とするところだよ」

 失礼な言葉にはもう慣れていたため、とくべつ反発するでもなく髪をまとめ、ウィッグをかぶる。洗面所で着替え、手渡された腕時計をパチリとはめると、そこには見事なまでに「夜の仕事をする女の昼の姿」といったものが出来上がっていた。プロファイリングを生業とする者なら「高級クラブ勤め、月収五十万」くらいは言うかもしれない。人の価値なんて、身にまとう衣装でいくらだって変動するのだ。

「ああ、別人だ。親だって気付かない」
「……そうかもね」

 うやうやしく差し出された折原君の手をとり、街へ出る。格好が違うだけで、行きに通った道すら違ったものに見えてくるから不思議だ。西新宿の山手通りはいつもよりも肌になじむ気がした。そもそも私に向いた街ではないのだ。

「ちょっと違うな」
「え?」

 彼はそう言うと、つないでいた手を一度離しポケットに入れた。向けられた肘の意味は、考えるまでもなくわかってしまう。今の私は私ではないのだから恥ずかしくない。そう心に暗示をかけ、自分の腕を絡ませる。確かにこちらの方がよりらしくはある。「同伴」なんていう言葉が思い浮び、ため息が出た。

「いいね。一度やってみたかったんだこういうの」

 満足げに闊歩する彼から今のところ緊張感は見られない。
 ブランドショップで適当な買い物をし、カフェテラスでお茶を飲み、いくつかの街を渡り歩く間もその様子は変わらなかった。仕事のためだなんて本当は嘘っぱちで、ただ私をからかって遊んでいるだけなんじゃないかと疑念がわく。初めのうちはいろいろな勘ぐりから浮かない顔をしてしまい、そのたび「笑って」と注意されたけれど、時間が過ぎるうちに悩むのもバカらしくなり、お昼を回るころにはごく普通にデートを楽しんでいたと思う。つくづく流されやすいと嫌になるが、彼の話す言葉は私のツボをよく心得ているし、気遣いも申し分なくどうしたっていい気分になってしまうのだ。「非の打ちどころのない恋人」を演じることが上手いことは以前から身をもって知っている。彼の横は居心地がいい。ふりだなんて知らずに出会っていたら、私は簡単に騙されて信者の一人にでもなっていたことだろう。

「足疲れた?」

 彼はふだんより幾分高い私の踵を見てそう聞くと、こちらへ向き直りいたわるように肩を撫でた。いつの間にかもう日は落ちている。街巡りのすえにたどり着いたのは見なれた池袋の路地だった。

「大丈夫」
「そう」

 優しくうなずく彼の顔が国道のテールランプに照らされている。高速道路の橋げたに遮られ、私たちはどことなく街の喧騒から隔離されていた。自然と気が抜けて、息を吐く。それを合図に、彼が私の前髪をかき分けたため思わず上を向いてしまった。

「折原君?」

 呼びかけるが何気なく目を細めるだけだ。男がこんな顔をするときがどんなときかくらいは私にもわかる。けれどその意図が読めずにとまどった。傾いた顔がゆっくりと耳元へおりてきて、これではまるで夜とともに盛り上がりつつある恋人同士のようだと思った。恋人のふりをしているのだから正しいと言えば正しいが、ここまでする必要があるだろうか。指先がまた顎へ添い、今度はごまかせないほどに鼓動が鳴る。

「気付いてる?」
「……え?」
「見られてる」

 けれど囁かれたのは愛の言葉でなく、そんな業務連絡じみたものだった。

「中目黒出たあたりからつけられてる。写真も……ああ撮られてるね」
「しゃ、写真」
「顔は写ってないよ」

 そう言ったかと思うと、折原君は私の顔を上向かせあっという間に口を塞いだ。不自然でない程度の力でがっしりと固定され、押し返すこともできない。折原臨也と思えない衝動的な行動はやはり「ふり」なのだから当然なのだけれど、私のかわいそうな心は現実にかき乱されぐちゃぐちゃになっているのだから理不尽なものだ。彼なりの遊び心なのか、しっかりと舌まで入れて臨場感をもたせている。さすがに限界と思いコートの裾をぎゅっと掴むと、彼はようやくキスをやめ私の口をぬぐった。

「こんなもんかな」

 ここで引っぱたいたら全てが無に帰すと思うとそれもむなしく、耐えるよう拳を握りしめた。その腕をふいに引かれ、ネオン街の裏側へ連れ込まれる。デートはまだまだ終わらないようだった。


2017.04.07

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