シリアスまで




「なるほどな、おかしいと思ったんだ」


掴み上げられた襟口が大きく開いたため、私は慌てて中の襦袢を手でたぐった。

「じょ、冗談はよしてください…土方さん…!」

買い出しの帰り、屯所までの道のりをショートカットしようと裏通りへ入ったのがいけなかった。まさか自分の上司につけられているとは。

「そうだな、冗談言ってる暇はねえ。さっさと白状しやがれ」
「白状もなにも…!」

私を間者と疑う副長は、いつも屯所で見せる苦労人の中間管理職的な雰囲気をかなぐり捨て、バラガキモードに入っている。遠くから見る分には素敵だが、面と向かえば相当なものだ。田舎上がりの武装警察なんて、やはりヤクザとそう変わらない。

「待ってください!こんなもっさい女中の私が、鬼兵隊なんて物騒な連中の、しかもあの狂犬病こじらせた柴犬みたいな男直属の密偵なわけないじゃないですか!」
「ああ。確かにお前はもっさいしのろまだし、ろくに要領を得ねえ人並み以下の使えねえ女中だった。だからギリギリまで目がいかなかったが、考えてみればお前が来てからなんだよ。うちの警備ルートが漏れるようになったのも捜査の裏を突かれるようになったのも」

謙遜したのは自分だがあんまりだ。副長はフォローの名人じゃなかったのか。

「そこまで言うことないでしょう、私だってもっさいなりに頑張って働いてるのに…!もう土方さんには何も話しませんから!密偵だとしても白状しませんから!」
「テメエ今自分で密偵って認めやがったな、やっぱりそうなんじゃねえかふざけんな叩っ斬るぞ!」
「言葉のアヤじゃないですかあっ!」

ぐずぐずと言い合いをしている内に日の早い冬の路地は闇を深め、人の気配を消していく。治安の悪いここらは夜でなくても閑散としている。

「だったら、どうしてこんな所をうろついてる?この辺り一帯は昔、攘夷浪士たちのアジトが点在していた宿街だ。今じゃ大方洗われたが、廃屋になった分逢引にゃもってこいだろう。イロは、高杉晋助か?」
「私はただ、近道を…」
「………」

無言で刀を抜いた副長の瞳孔が開き切っているのは、暗がりのせいだけではないだろう。掴まれていた服を離され、私はずるずるとその場にしゃがみこんだ。怖い。

「本当に、冗談を言ってる場合じゃねえんだよ」
「そん、な…本気ですか……」
「悪いが、疑わしきは罰する、がうちの方針だからな」

冗談でないなら、本当に冗談じゃない。ピタリと向けられた刃先が、日暮れに残された最期の光を集めるようにして小さく光る。

私はへたっている足首をギュッと握り手足の感覚を取り戻してから、寄りかかっていた戸を引いてその中へ逃げ込んだ。もう使われていない広い土間には痛んだ家財道具がそこら中に打ち捨てられている。そのうちの一つに足を取られ、転倒した。這いつくばりながら振り返った私の肩に、副長の手が伸び、床に強く押さえつけられる。抜き身の刀が頬に添い、乱れた胸元に影を落とす。

「や、めて…土方さん!」

見上げて涙を零したそれが、演技なのかそうでないのかは自分にも解らなかった。ただ、彼が一瞬ひるんだのがぼやけた視界に映る。これ以上はどうする事もできないと、目をつむった。風を起こし空を切った刀が、私と反対、彼の後方へと振り上げられたことに、気づかずに痛みだけを待つ。

硬質で鋭い音が廃屋の中に響き、目を開けた。
彼が打ち払ったのは一振りの小太刀だった。

「副長さんよォ、人の女押し倒して…」

聞き慣れた、しかし懐かしい声が聞こえ、こんな時だというのに私は何故か笑いそうになってしまう。

「何してやがる?…警察官が不義密通たァ、いただけねぇな」

開け放たれたままの扉に人影が見えた。この立ち姿、そしてこのもったいぶった登場の仕方は、間違いない、

「た、高杉さ……!」
「それからお前、誰が狂犬病こじらせた豆柴だ。殺すぞ」

彼が投げたもう一つの小太刀は副長の横を通り抜け私の顔の横につき刺さった。助けに来たはずの味方に殺されそうになっている私は今この世で一番敵が多いはずだ。そして豆柴とは言ってない。

「テ、メエら……」

私の上から退き臨戦体制を整える副長の声からは、隠しきれない動揺が伝わってくる。高杉総督はそれを聞いて喉の奥で小さく笑った。

「なんだァ?疑ったのは自分じゃねェか」

刀の鞘に左手を添えながら、彼は副長の殺気を受け流すように肩の力を抜いている。

「なあ副長さん。あんたぁ鬼と呼ばれちゃいるが、コイツが最後まで刃向かわなきゃ、刃を逸らしてやるつもりだったんだろ?」
「……え?」

私は震える腕を床に付き、副長越しに総督を見上げた。

「潔白を証明するはずが、当たりを引いちまうとは思いもしめぇ。残念だったな。そいつは俺のだ」

彼の言葉を咀嚼して、やっと理解する。おそらく副長は持ち前の勘だけで私に目を付けたが、それは珍しく外れるだろうと、思っていたのだ。思いたかったのか。ツキリと胸が痛んだ。
私の勝手な罪悪感をかき消すように、再び激しい鉄の音が鳴り響く。どちらからともなく斬りかかった一太刀は、一瞬の鍔ぜり合いを経て彼らの位置を逆転させる。派手な着流しが目の前で揺れた。入れ替わる視点。入れ替わる感情。

「高杉さん……任務が終わるまでは何があっても手出ししないから、隠し通せって…」
「そうだな、そのつもりだったが、お前があまりに鈍臭ェからな」

先ほどと打って変わってピタリと正眼に刀を構えた総督は、副長の放つ殺気を正面から受け止め、次の一手を出させまいと間合いを保つ。鋭利な視線がぶつかり合い、チリチリと空気が焦げるようだった。
ガタリ、とふいに物音がし、私の意識は一瞬外へと向く。

「行くぞ」

隙を逃さず動いた総督に、肩を引っ張られよろめきながらも立ち上がった。

「っ逃がすか…!」

再び踏み込もうとした副長の足元に二発三発と銃弾がはじけ、カビ臭い塵が舞い上がる。総督がこんな時に、単体で彼と相対するとは思えなかった。とっくに囲んでいるのだろう。
彼は私の手を引くと、座敷へと上がり込み窓をなぎ倒し外へ出た。
途端に続く銃声に、思わず振り返る。

「土方さ…っ!」

彼がこんなことでやられるとは思えないが、多勢に無勢だ。無事では済まないかもしれない。遠くなる喧騒を聞きながら眉を寄せていると、ジロリと総督に睨まれた。

「……情移る通り越して、惚れてんじゃねェだろうな」
「そ、ち、ばかなこと言わないでください」
「……」

これはそういうアレじゃなくて、人として当然の、アレだ。何だ。

「寝たのか」
「は?」
「土方と」
「そ、そんな、わけ」
「何どもってんだァ?」

総督は目を細めて私を見下す。なぜ軽蔑されなければならないのか。

「だいたい、そういう可能性も含めて私を真選組に差し向けたのは他ならぬあなたでしょうが!」
「…やっぱりヤったんだな?」
「そうは言ってません!」
「どっちでもいい。溜まってんだ。来い」

抱けば、真偽は解るというのだろうか。彼は鼻がいいから解るのかもしれない。
いっそその方が気が楽だと思いながら、しばらくぶりの掌を握った。熱い。誰より、とは言わないが。



2012.12.19

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