正しい贅沢



 いい機会だと思い、枕を買い替えた。いつの間にか綿がしぼみカバーの端が余るようになってしまっていたけれど、替えどきがわからず使い続けていたものだ。新しい枕はふかふかと心地よく、大きくて幅も広いためいくら寝返りをうってもはみ出さない。二人で寝たって余るくらいだ。彼がこの部屋に顔を出すのは週に一度ほどだったけれど、枕一つにしたって生活水準が上がるというのはいいものだった。

 体の相性、というといささか語弊があるかもしれない。彼と私が一緒に寝るようになってからかれこれ半年が経つ。
 初めにそうなったのは大学の飲み会帰り、どうにも自宅へと辿り着ける気がせず、彼の家へなだれ込んだ日のことだ。とにかく一刻もはやく横になりたかった私たちは、色っぽい雰囲気になることもなくベッドへ倒れ、そのまま二人で朝を迎えた。薄掛けの毛布は半分ほどベッドから落ちていたけれど、私を抱きしめる彼の体がぽかぽかと湯たんぽのように温かかったため冷えることはなかった。鍛えられた厚い胸は横になっていると意外にも柔らかく、なんて心地がいいのだろうと蕩けながら埋まっていたのを覚えている。
 それからというもの、酔っ払って人恋しくなったり、明日は冷え込むらしいと予報が出たり、ただなんとなく一人でいたくなくなったときなんかに、私たちは身を寄せ合うようになった。最近は彼の方が私の家へ来ることが多い。枕を買った翌晩も、ちょうど寝巻きに着替え終えた夜中の十二時過ぎごろにチャイムが鳴った。

「……いい?」

 彼は玄関口で遠慮がちに聞いて、私を見た。背が高いのに、マフラーに顔を埋めているせいで上目使いのような顔になっているのがかわいい。そんな風に頼まれて断れる人なんていないだろう。私は部屋が散らかっていないことを確認し、彼を通すと暖房の温度を一度下げた。「この部屋暑すぎる」と彼はよく言うし、実際に及川がいると体感温度が一、二度上がったように感じるのだ。時間からして飲み会帰りなのだろう、彼はよろよろとベッドへ直進して倒れ込む。

「お酒って、具合が悪くなるからあんまり好きじゃない」

 及川は青い顔でそう言ってうつぶせのまま片膝を曲げた。回復体位。弱った人間がとる姿勢だ。

「飲む量抑えればいいのに」
「その場にいるときは、なんか楽しくて飲んじゃうんだよね」
「まあ、わかるけど」

 以前置いていった部屋用のスウェットを放りながら返すと、彼は脱皮するセミのように猫背のまま服を脱ぎ「着替えいいや」と言った。

「裸で寝たい」
「……冷えるよ?」
「この部屋暑い」
「寝るときは暖房消すし」

 風邪を引いたら困ると思ったけれど、それっきり返事がなくなったので諦めて隣にもぐりこんだ。すぐさま吸収するように彼の内側へとりこまれ、素肌の温かさに包まれる。無性にほっとして深く息を吐いた。彼もそうなのか、胸板が大きくふくらんで、しぼむ。
 本当に、相性がいいとしか言いようのない関係だった。恋のときめきも身内の情愛も、あるというほどは無いのに、抱きしめられると気持ちがいい。彼の腕の付け根から胸へと続く胴のラインが、私の体にぴったりと沿うのだ。かつて一つの大陸だったユーラシアとアメリカのように、私の体のくぼみやでっぱりが、彼の体のへこみやとんがりに寄り添って一つになる。前を向いても後ろを向いても不思議と変わらずそうだった。どんな姿勢をとっていても、触れている部分がしっくりと彼にフィットする。体の奥はどうなのだろうと、気にならないこともない。けれど今は試す時ではない気がした。

「流行りのソフレってやつでしょ。添い寝フレンド」

 彼はいつだか、なんてことない顔でそう言った。「彼女いないの?」という私の確認に対してだったと思う。

「いないよ。俺ヤるよりくっついてる方が好き。けどそれだと付き合うの申し訳ないし。女の子ってなんだかんだセックスしてないと不安になるでしょ」

 それは人によるんじゃないかと思ったけれど、確かに付き合ったらそういうことをしないと円満でない、というプレッシャーがあるのはわかる。

「名字はセックス嫌いなの?」
「嫌いじゃないよ。普通に好きだと思う」
「じゃあ俺以外の誰かとしてるんだ」
「してないよ、今は。彼氏がいればするけど」
「ふーん」

 聞いておいて興味がないのか、眠いのか、及川は私の頭を抱いたまま適当な相槌を打った。この部屋にいるときの彼は大体において眠いのだ。
 そんな会話を思い出しながら、同じように頭を抱えている及川の顔を見上げる。すでに半分寝かけていたのか、彼は「んん?」とくぐもった声を出し、腕をゆるめた。

「ねぐるしかった?」
「ううん。寝心地いい」
「……そ」
「及川、私たちがセックスするとしたら、どんなときかな」

 寝ぼけた頭で考えを整理しているのか、私の言葉を聞いて無言になった及川はたっぷりと間を置いてから一言「したいの?」と聞いた。

「そういうわけじゃないんだけど、ちょっと気になって」
「んー……俺が名字とするとしたら」
「うん」
「シラフのときがいいなあ。そんで名字が生理のときに、生でめちゃくちゃにやりたい」
「……及川、性欲がないわけじゃないんだね」
「あたりまえでしょ」

 一変して極端な願望をぶちこんできた及川に呆れていると、彼は「冗談だよ」とやはりふやけた声で言って、私の頭を抱き直した。私も彼の腰に手を置いて、目を閉じる。いつでもできる。しなくてもいい。そんな関係がこれほど贅沢だなんて、今まで思いもしなかった。来ないかもしれないその日が来るまで、私たちは寄り添って子どものように眠る。深く、深く。どこまでもやさしく。


2017.2.2
ゆるリクエストボックスからいただいた
『及川とソフレ(添い寝フレンド)』という設定で書かせていただきました!
素敵なシチュエーションをありがとうございます!

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