しろのしかく1
※タッチパロ風味


 整いきらない毛束がいくつか上を向いている。染めてもいないのに優しい色をした彼の髪だ。チャペルの白い壁にその影は美しく映え、なんだか厳かささえ感じられるほどだった。そっと伸びた指が私のベールを捲り、神父が十字架をかざす。晴れた視界にうつる彼は、いったいどんな表情をしているだろう。いつものようにあたたかく笑っているのだろうか。それとも──。こみ上げる息苦しさをなんとか飲みこんで、ゆっくりと顔を上げた。




「みかんを貰いすぎちゃったのよ」

 笑いジワが明るさをはなつ綺麗な人で、アーモンド型の茶色い目は徹によく似ていた。

「お久しぶりです、おばさん」
「ね、最近会わないけど元気にしてるの?」
「はい。バイト始めたら忙しくなっちゃって」
「そうなの、徹は相変わらず部活。なんだか妙に大きくなってきたわね」

 おばさんはそう言って自分より高い位置に手をかざし、嬉しそうに笑う。及川家は総じて私の家族より背が高いが、たしかに先月道ばたで見かけた徹は私の記憶の中の彼より二割増しで巨大だった。青城のスクールバッグを背に回し、大股ですたすたと歩く彼に声をかけようかと迷ったすえ、断念したのはそれが理由でもある。

「そうそう、それでみかんがね」

 彼女は思い出したように話題を戻し、小首を傾げた。

「なんだかんだで三箱くらいあるの。名前ちゃんち、どうかな」
「みかん、私も家族も大好きだけどいいんですか?」
「置きすぎるとカビちゃうからね。貰って貰って」

 明るく言うおばさんの後について、普段の帰り道を一本逸れる。三叉路の松林を挟んで、ちょうど反対側のところに徹の家はあった。すぐ近くだけれど用がなければ通らない道だ。昔はよく空き地を突っ切って遊びに行ったものだけれど、今ではしっかりと私有地のロープが張られている。

「あがって、ちょっと待っててね」
「はい」

 久しぶりに訪れる徹の家は相変わらずきれいに片付いていて、なんだか懐かしい匂いがした。かくれんぼや秘密基地ごっこのときに部屋の隅で嗅いでいた、木目の匂いだ。居間にいればいいだろうかと、廊下から室内に踏み入ろうとして、思わず立ち止まる。ソファーとテーブルの間を大きく陣取っている灰色の物体はたぶんおそらく、私の幼馴染だ。風呂上がりなのか頭にタオルをかぶっているが、隙間からえりあしがはみ出している。ソファーにきちんと座らずに、溶けかけた餅のような怠惰さで床からマットにもたれかかり、ぼんやりとテレビを見ている彼に声をかけようかどうか迷ったけれど、外で見かけた時と違いここで何も言わないのは不自然だ。変に間が空かないうちに「おじゃまします」と呟くと、彼は勢いよく振り向いて「うおっ」と言った。

「え、なに……どしたの」
「みかんをね、くれるって言うから」
「は、みかん?……みかん?」

 徹は二回聞き返してから「へえー」と気のない声をだし、もぞもぞとソファーに座りなおした。上下同じ色のスウェットを着ていることも相まって、彼の体はますます大きく見える。「座れば」と促され、少し離れた場所に腰かけた。急に暖かいところへ入ったため膝小僧がふわふわと紅潮している。長く伸びた徹の足は裸足だ。彼は冬でも家で靴下をはかない。テレビの中ではお天気キャスターがマスコットとたわむれており、しばらく二人、無言でそれを見ていた。何か話そうと話題を探していると、彼も同じだったのか先に口を開いた。

「数学なにやってる」
「え?」
「学校。俺のとこ、なんかフクソスウヘイメンとかいうわけのわからんものやってるんだけど」
「ああ、もう平面曲線とか入ってるんだ? 青城」
「え、お前わかんの」

 数学は得意ではないけれど苦手でもない。選択はとっていないため基礎がメインだし、一応のところ理解はできる。私の行っている高校と青城はそう偏差値が変わらないけれど、うちは部活よりも受験に力を入れている進学校なのでサボるという雰囲気でもない。

「一応ね。徹、数学苦手だっけ?」
「苦手ではないけど、三年なってからやる気出なくて記憶がない」

 昔から要領や頭が悪いタイプではない。しかし彼にとって三年の部活というものはやはり特別だったのだろうし、座標だとか関数だとかに気を向けている余裕はなかったのかもしれない。引退した後で急に追いつこうと思ったって無理な話だ。そもそも彼は学科受験ではないのだと思う。

「教えてあげようか?」
「うーん……」
「嫌ならいいけど」
「いや、彼女がね、一生懸命教えてくれるんだけど。すごい下手で」
「ああ」

 彼と会うのは久しぶりなので、こんな気持ちになるのも久しぶりだった。幼い頃からそばにいた徹のことを当たり前に好きになり、けれど私は常に失恋をし続けていたようなものだ。モテる彼は引く手数多でつねに彼女がいた。思春期をすぎる頃にはもう、そんなものだろうと慣れていたけれど、慣れていたってこんな瞬間にはいちいち傷付いた。彼と違う高校を選んだ理由はいろいろとあるけれど、彼のスクールライフを間近で見たくなかったというのが大きいかもしれない。

「そういえば、このまえお前のこと駅で見た」
「駅で?」
「男といた。彼氏?」

 徹はそこで急に目を細めて、とても冷たい顔をした。本人にそんなつもりはないのかもしれないけれど、普段愛嬌のある彼の表情がこうして急に研ぎ澄まされる瞬間があり、私は昔からそれが苦手だった。笑っていないわけじゃないのに、妙に温度が低く思えるのだ。馬鹿にしているのとは違う。どちらかというと値踏みしている、に近い。自分にとっての相手の価値を、冷静に見定めているようだ。
 その迫力に喉がつまり思わず逡巡していると、ふいに玄関のチャイムが鳴り、二人して顔を上げた。台所でみかんを仕分けていたおばさんが「はあい」と返事をし廊下へ出る。なんとも言えない間が空いて、徹がテレビのチャンネルをぞんざいに変えた。天気予報が歌番組に変わり、ちらちらと液晶が光りだす。
 途切れた会話をつづけるべきかどうか迷っていると、幸か不幸か玄関先から聞こえていた声がどんどんこちらへ近づいてきて、居間の戸が開いた。人の良さそうな中年男性が立っており、こちらを見てにこりと笑う。

「徹くん、久しぶり。メール読んでくれた?」
「あ、あー! 読みました読みました」

 いつの間にか立ち上がっていた徹が、すっかりいつもの愛想をとり戻し笑っている。お客さんが来たのなら私は帰った方がいいだろうと思い、マフラーを巻き直してコートを着るが、背の高い二人がちょうど入り口で立ち話を始めたため出ていけない。

「どうかな、休日だし、そんな時間とらせないんだけど」
「大丈夫ですよ。先週ちょうど推薦状通ったし、なんか気分転換したいなって思ってたから」

 なんの話だろうとさりげなく聞き耳をたてるがいまいちわからない。私が所在をなくし立ち尽くしていると、おばさんがすかさず助け舟をだしてくれる。

「かれ私の従兄弟でね、鳴子の方でペンションをやってるんだけど、今度ブライダルのプランを企画してるのよ」
「ブライダル?」
「泊まり先で式もあげられるってこと」
「へえ、素敵ですね」

 親の従兄弟ってなんていうんだっけと思いながらそう返すと、おじさんは嬉しそうに笑いながら頭をかいた。及川家の人間はよく笑う。

「夢は広がるんだけどなんせ費用がかさんでさ、徹くんにパンフのモデルやって貰えないかって、ちょっと前から打診してたんだよ。及川家の誇る男前の彼なら、そこらの俳優さんよりずっと見栄えするでしょ」

 それは少し盛りすぎじゃないかと思ったけれど、たしかに徹は背が高いし体格もいいので、白いスーツを着て髪をセットなんかしたら写真映えすると思う。けれどブライダルパンフの表紙を飾っている徹を想像したら、うっかり笑いそうになってしまった。タウン誌やローカルTVなどで見せる彼の笑顔は付き合いの長い者からするとおかしく見える。

「お友達?」

 おじさんが尋ねると、徹は「ああ、まあ」と曖昧な返事をした。ふーん、と頷きながら私のことをじっくりと見て、徹に目を戻し、それからまた私の方を見る。

「いいじゃない、二人。背格好」
「え?」
「ちょうど花嫁役の女の子探してたんだよ。ええと、お名前は?」
「名字、です」

 聞かれたので答えると、おじさんはまた二度三度頷きながら胸元の手帳を開いた。ちょっとちょっと、と戸惑っている徹をよそに何かを確認し、さらりと本題を口にする。

「名字さん、今月の第三日曜日って空いてるかな。徹くんのお嫁さん役やらない? 顔は写らないし、一応謝礼も出るんだけど」
「ちょ……待ってくださいよ。こいつはアレです、アレですよ」

 どれなんだろう、と思いながら徹の顔を見る。どうしてそこまで焦る必要があるのかというテンションで、必死におじさんを説得しはじめた彼に言い知れぬ不満がわく。

「名前はバイトで忙しいらしいし日曜はダメですよ!」
「そうなの? でも昼だよ?」
「だいたい照れ屋だし大根だし、モデルとか向いてないんじゃないかな!」
「モデルって言っても立ってるだけだよ。姿勢がいいから、ウェディングドレス着て徹くんの隣に立ったら絵になると思うけど」
「ウェディングドレス……」

 徹はぼそりと復唱して、それっきり今度は何も言わなくなった。確かに幼馴染み同士で結婚式の真似ごとなんて私だって恥ずかしい。けれどなぜだか、私の胸中に断るという選択肢はないように思えた。黙って状況を見守っていた徹のお母さんが、パンと手を打ち「私は見たいわ」と笑う。それにより事態はほぼ確定して、一人を除きみんながその気になった。無料でドレスを着られる機会なんてこの先ないだろうし、さらにお金までもらえるのだ。いくつかのことが胸に引っかかるけれど、やってみる価値は充分にある。
 おじさんから貰った名刺を財布の内ポケットに入れていると、徹はうつむいていた顔を傾けてたいそう悪い目つきで私を見た。そして何かを言いかけたが、遮るようにおばさんの声がする。

「遅くなってごめんね! 甘そうなの見繕っといたから」
「こんなにいいんですか?」
「いいのよ、うちは上の子たちも家を出てるし、食べ手がいないから。徹、家まで持って行ってあげなさい」
「自分で持てますよ」
「自分で持てるってさ」
「あなた筋トレしてるんでしょ! あと靴下は履いていきなさいね」

 半ば強制的に部屋から追放された徹は、玄関に座り込み無言でくるぶしソックスを履いている。不機嫌そうなつむじが怖くて私も黙っていると「いくよ」とさっさと出て行ってしまった。小走りで追いつき横に並ぶ。スウェットにサンダルという格好でみかんの段ボールを抱える彼は、とてもブライダルの新郎モデルをやる人間とは思えない。

「怒ってる?」
「……」
「徹がいやなら断るけど。付き合ってる子いるなら、無神経だったかもしれない」
「……べつにそういうことじゃないよ。てかわざわざ言わないし」

 それならどうしてそんなに浮かない顔をしているのだろう。徹の喜怒哀楽は昔からわかりやすいようでわからない。こっちが心配するようなことではケロリとしているのに、なんの気無しに言ったことで機嫌を損ねたりする。それであたり散らすようなことはないけれど、彼は一度拗ねると復活するまで尾を引いて面倒臭いのだ。

「ていうかお前はそれでいいわけ」
「……どういう意味?」
「いや、なんでもない。月末までにデブるなよ」
 
 勝手口に箱を下ろすと、徹は失礼なことを言い残し「じゃあネ」と手を振った。どうやら怒ってはいないようだけれど、彼ももう高三なのだから隠しているだけかもしれない。私は一度親に相談をして、改めて徹のお母さんに連絡を入れようと思った。その場の勢いで頷いたけれど、ドレスを着るならきちんと髪や肌の手入れをしないといけない。みかんを食べたらデトックスになるだろうか。今さら高鳴る心臓をおさえながら、一つとりだして匂いを嗅いだ。本当に甘そうなみかんだ。けれど驚くほど冷たくて、握った手がぶるりと震えた。

つづく
新年明けましておめでとうございます 2017.1.1

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