※二年の頃の話
「クリスマスどうするの?」
そう聞かれて初めて意識したのだから、つくづく向いていない。やっぱり自分から言うべきではないのだと思う。
ガキの頃はわくわくしたし、小学三年生くらいまでは確かサンタも信じていたはずだ。けれどそれ以降はこれといった思い出もない。街がいつもよりきらきらしてるな、とか隣を歩く及川野郎が浮き足立ってやがんな、とかそういうことは思うけれど、自主的に何かをすることはなかった。そもそもクリスマスって何日だ? 二十五日な気がするが二十四日の方がメインな気もする。そういうところもよくわからない。俺としてはその前日、二十三日祭日の部活の予定の方が気になった。一日練に間違いはないが正門が開くのは何時だったか。
「岩泉、今日もやろうぜスリーオンスリー」
「おー、ちょ、面談票出してから行くから体育館とっといて」
「オッケー」
いつも通りにクラスの奴らとつるみながら昼休憩を潰す。最近は無駄に体力の余った運動部員数人で、バスケ部とのスリーオンスリーに挑むのがブームだった。一人借りても全然歯が立たないのが悔しくて、密かにムキになっているが今年中に白星をつけることができるだろうか。二学期はあと三日で終わる。職員室に寄り三者面談の予定票を提出してから廊下を歩いていると、見慣れた髪型が目に入りなんとなく同じ方向へ歩いた。放課後以外にこいつと過ごすことはあまりない。毎日嫌でも顔をつき合わせるのだから、わざわざ日中までこいつのニヤけづらを拝みたくはない。
「二十三って朝からだっけ?」
「そーだろ。何時に行く?」
「一時間前かな。最近サーブ練足りてないんだよね」
「うち寄って起こせ」
よく意外と言われるが、朝は及川の方が強い。中学の頃は無駄に早く起きたこいつがいちいち俺の家に寄るもんだから、母ちゃんが合鍵を渡したこともあったくらいだ。バレーに夢中になる及川に引っ張られるようにして飛び込んだ世界だ。こいつとの出会いも、バレーとの出会いも、感謝してはいる。
「ところで岩ちゃん、クリスマスはどうすんの? なんかするの」
「なんかってなんだよ」
「なんかはなんかだよ。デートしたり、プレゼントあげたり」
「は? 誰に」
「え……付き合ってんじゃないの?」
「だから誰と」
「名字さんとだよ!」
その名前を出されようやく思い至った俺は、なんとなく居心地が悪くなり目を逸らした。「あー」と適当に返事をしながら言葉を探す。しかしよく考えたらこいつ相手にごまかしたところで仕方がない。
「付き合ってねえよ」
はっきり言うと、及川はじっと目を細めこちらを見た。うちの猫が何かを訝しんでるときにする目と同じだ。餌の缶に触れておいてなにもやらなかったりするとこんな顔をする。けれどやらんもんはやらんし、ないもんはない。
「うそお。難攻不落の名字さんをなぜか岩ちゃんが落としたって、一時期騒がれてたじゃん!」
「ただの噂だろ。ねーもん。なにも」
名字と仲良くなったのは文化祭の買い出しがきっかけだ。部活ばっかでろくに準備に参加できなかった俺は、空いてる時間で好きに動ける備品の補充班に回された。買い物メモを持って付いてきてくれた名字は、教室では物静かな印象だったけれど、二人で出歩いてみれば意外にも気さくでいい奴だなと思った。そんなこんなで親しくなり数ヶ月、普段おとなしい名字が俺とはよく喋るため、周りがなんだかそういう事実を期待し始めているのがわかった。なんだって他人の色恋にそこまで興味を持てるのか不思議だが、生温かい視線を受けることも増えた。「なんかあるだろ」という雰囲気は俺のような神経の太い人間にはうるせーな程度のものだったけれど、彼女にとってはそうじゃなかったらしい。急に態度がそっけなくなったのが面白くなく、ならば今度はと、俺から話しかけることが増えていった。ぎこちないなりに名字も応えてくれていたと思う。カノジョを作る余裕がないというふりをしていたって、逃げられると追いたくなるのは本能だから仕方ない。
そして先週の昼休み。委員のことで話があったらしいクラスの男が、なにやら長々と名字に話しかけているのを、ほとんど無意識に睨んでいたときだ。
「なんだよ岩泉、気になんのか?」
やたら声のでかいそいつに尋ねられ、否定するのも嘘くさいと思ったため「だったらなんか文句あっかよ」と開き直ったのがいけなかったらしい。こちらに背を向けていた名字の耳が赤くなっているのが見えて、悪いことをしたかなと思った。彼女はきっとこんな雰囲気が苦手だ。けれどそれから上手いフォローができることもなく、噂だけに尾ひれがついて今日に至っている。
「つまり流れ告白みたいな?」
「べつに付き合ってくれとか言ってない」
「ふーん?」
「……」
「まあ、岩ちゃんのことだから部活と両立できないし〜とか殊勝なこと考えてるのかもしれないけど、そんなのやってみなきゃわかんなくない? せっかく可能性あるのにもったいないよ」
「やってみてボロクソふられてるおめーに言われたくねえよ。だいたい好かれてるかもわかんねえし、面倒くせえんだよそういうの」
「うるさいな! てか面倒くさいとかハッキリ言っちゃう? ひどくない?」
相手の突っ込みどころを逃さないのはお互い様だ。こいつがだらしなければ俺がハタくし、俺の大雑把さをこいつは突つく。
「ほんとに好きなの? 言われた方だってそのつもりで心の準備してるのにさ、放置した上面倒くさいとかただの言い逃げじゃん」
「うるせーな!」
元来及川の方が口が立つのだから、俺に負い目があるときは手強く感じる。そういうパターンは多くないというだけで、こいつだけは敵に回したくないと俺はいつも思っているのだ。が、そんなそぶりを見せたら調子に乗るので跳ね除ける。及川徹は俺にとって理解者であると同時に一番の強敵だ。
そんなことを話しているうちに、校舎脇の第一体育館に到着する。
「なんだ、及川もかよ」
「混ぜて混ぜて〜」
「お前ら無駄にコンビネーションいいから腹立つんだよな」
「付き合い長いからね!」
「まあスポーツ限定だけどな」
「スポーツ以外でこいつと息合う気一ミリもしねえ」
なにを、とボールを投げつけられするりとかわす。結局その流れで及川とは別チームになり対戦が始まった。バカ笑いする周りと、息巻く腐れ馴染み。こういうのが好きだし、楽だ。ボールがあって、得点があって、結果がある。わかりやすくていい。
*
そんなふうにして逃げていたから、バチが当たったんだと思う。
シューズを忘れて戻った教室で、目の当たりにしたのは漫画のようなシーンだった。向き合う男女と放課後の鐘。話している男の声は相変わらずでかい。あれは奴なりの威嚇だったのかと思った時には、まさに本題の言葉が発されていて、名字の耳があの時みたいに赤く染まった。俺はそれを見て自分の視野がするすると狭まっていくのを感じた。一点に視線がいき、遠くのものがよく見える。視野は閉じているのに周囲の情報は驚くほど感知できた。試合中たまに感じるこの感覚は、おそらく何かを仕留めるときに発揮される狩猟のための能力だ。それを感じた時にボールをミートし損なったことはない。
「彼氏いんの? 岩泉と付き合ってるって、ほんと?」
「……」
「付き合ってないなら、いいじゃん」
そこまで聞いたところで体が自然と動いていた。半分だけ開いていたドアをガラガラと引き、二人の方へ歩み寄る。彼が何かを言う前に口を開いた。
「付き合ってねーけど、駄目だ」
「はあ? ……なんだよそれ」
「名字がいいなら止めないけど、俺は嫌だ」
急に割り込んだ上に、ものすごいわがままを言っている自覚はある。けれど駆け引きとか牽制とかそんなうまいことは出来ないのだから、ストレートにぶつけるしかないと思った。それで嫌われるならしょうがない。
「私は……ええと」
名字は突然の事態にしばらくの間呆然とし、それから言いづらそうにためらったあと、男の方を向いて「ごめんなさい」と頭を下げた。精一杯という顔をしているけれど、どこかほっとしているようにも見える。
「岩泉お前ほんと……」
クラスメイトは眉を寄せながら俺の方を見て、怒るかと思いきやむしろ呆れ顔でため息をついた。
「実はめんどくせえよな」
「そうだな、わりい」
邪魔をしたのはすまんと思っている。俺もこんなのは本当は面倒くせえし、面倒臭いと思ってしまう自分が一番面倒臭いということにも気付いている。けれど見過ごせず動いてしまったのだから責任くらいは取るつもりだ。好きかどうかとか、付き合いたいとか、クリスマスにどうしたいとか、そんなことはやっぱりよくわからない。でも他の男にかっさらわれるのは無しだ。こいつの耳が赤くなるのは今後一切俺の前だけでいい。とりあえずもう一言、言うべきことを言ってから何もかもを考えようと思う。年の越し方から、新年の迎え方まで。
2016.12.24
MerryXmas!