リトルネイビー



「クリスマスっていっても俺部活だし」

 忙しい高校時代ならそんな文句も使えたけれど、時間に余裕のできた大学生活の中では練習後の時間帯がぽっかりと空いてしまう。暇なら暇で家でだらだらと野球中継を見たり、たまには座学の授業の復習をしてみたり、なんなら少し遠いけれど皇居周りのランニングコースを制覇しに行ったって良い。いつもならそうやって適当に時間を過ごすのだけれど、なんだかそうもいかない気分だった。
 上京二年目にして感じることは東京におけるクリスマスというイベントの異常なまでの脅迫感だ。右を見ても左を見ても青色LED、終わったかと思うと白色LED、駄目押しの点滅LED、街はLEDに占拠されている。宮城じゃ賑わうと言ってもせいぜいが仙台駅の周辺だが、東京はなんせ大きな街がいくつもある。そこらじゅうがショッピングエリアな上に、ホテルやイベント場も点在している。いくら気にすまいと努めたって、こうまでクリスマスツリーとのエンカウント率が高いと強制的に心の中がジングルベルだ。そしてその煌びやかな寒空の下、俺にはこれといった予定もなく、相手もいない。地元の学生ならそれでもいいだろう。同級生や家族がいるし、気の置けない友達同士で時間を潰せるならそれはそれで楽しいことだ。けれど俺は東京に出てからサークルにも入らずひたすらバレーを続けてきたため、気軽に連絡をとれる人といったら部活仲間くらいしかいない。先輩たちは優しくて頼れる人たちだけれど、なにやら派手なインカレグループで六本木に遊びに行くとか言い出したので逃げてきた。そしてこれが一番の謎だが、同期たちはみんなこの年末までにきっちり彼女を作っていやがったのだ。問い詰めてわかったことは、俺だけ誘われなかった合コンが少なく見積もっても三つはあったということ。いじめだ。不当だ。詐欺だ。つらい。「だってお前彼女いるだろ」なんて言われたって少しも腹の足しにならない。

「彼女……いない」

 小さく呟いてみると、つられて魂がずるずると喉の奥から出てきそうな気がして慌てて口を閉じた。いなければいないで気楽と思えるタイプなのに、周囲からの疎外感と年末の気の焦りが相まってなんだかすごく寂しかった。思えば俺はクリスマスという日に彼女がいたことがない。だいたい春か夏くらいに付き合いはじめ、三、四ヶ月で別れることを繰り返した結果だ。バレーを理由にするのは潔くないと思うけれど、春高の予選は夏から秋にかけて行われるためつまりはそういうことだろう。けれど今ならもっとうまくやれる気がする。やれる気はするが相手がいないので、俺は仕方なく一人でコンビニへ向かった。
 クリスマスソングとチキンの販促に後押しされながら、六缶パックのビールをぼこりとカゴに入れる。サンタ帽をかぶったかわいい店員さんにケーキの購入を勧められたが軽やかにスルーして、代わりに骨なしフライドチキンを二つ買った。店を出ようとしたところで別の客と鉢合わせたため、扉を開けて軽く避ける。「あ、すみません」と会釈をして、その子はふいにこちらを見上げた。

「あれ」
「あ」

 どこかで見たことがあるけれど、名前が思い出せない。大学? 高校? それより前? 記憶を巡らせているうちに彼女は小さく「及川くん」と口にした。

「えーと」
「あ、中学の、名字です」
「ああ! うん! わかるわかる覚えてる!」

 半分嘘だが半分は本当だ。大して喋ったこともないしこれといった思い出もないけれど、たしか一度だけ同じクラスになったことがある。中学の卒業アルバムを高校に持っていった時「この子かわいい」と指差していた奴がいたはずだ。俺もそう思って、どんな子だったっけな、なんて首を捻ったりした。

「こっち来てたんだ」
「うん、そこのね、女子大」
「俺はC大。この辺家賃いいよね」
「そうなの! 及川くんはあれ? バレー?」

 彼女は聞きながら、両手を前に出してレシーブのポーズをとった。それが妙に可愛らしくてあたたかい気持ちになるが、その拍子にゆれた袋から割り箸が二膳覗いているのを俺の動体視力が目ざとく見つけてしまう。

「あーえーと、クリスマスパーティー?」
「え?」
「これから。イブだもんね?」
「ああ、いや、べつにパーティーってほどじゃ……」

 彼女の質問にも答えずにそう聞くと、名字さんは恥ずかしげに首をすくめた。そりゃこんだけ可愛ければ上京してすぐにだって彼氏ができるだろう。部屋で彼女を待っているだろう男に対し、いいなあと正直な羨望がわいたところで、がっついてる自分が急にバカらしくなり気が抜けた。べつに恋人の有無で人間の価値が決まるわけじゃないし、ましてやこの一日二日をどう過ごそうと俺の一年の充実が薄まるわけでもない。そう思ったら今度はさっぱりしてしまい、ついおちゃらけた言葉が口をつく。

「俺は帰って寝るだけ。寂しいナ〜」
「そうなの? あ、でも、バレー大変だもんね。お疲れさま」

 変に同情することもなく、俺をねぎらってくれる彼女は本当にいい子だ。目を細めながら「ありがとう」と言うと、名字さんは少し黙ってから困ったように眉を下げた。

「かっこいいね、及川くん」
「は?」
「私ほんと……つい見栄張っちゃって。サンタの帽子で『お箸何膳つけますか』なんて聞かれると、ついさ」

 彼女の頬はさっきより赤い。返事を探しながら「あー」と無意味に声を伸ばしていると、名字さんは曲がり角で立ち止まり「私こっち」と言った。

「あ、そうなんだ、気をつけてね」
「うん、ありがとう。私も本当は帰って寝るだけなんだ。おやすみなさい」

 さっきと同じように、照れくさそうにマフラーに顔を埋め彼女は言う。俺は手を振りながら何かすごく良いことを言えないだろうかと、試合さながらの集中力をひっぱりだし考えに考えて、およそ二秒弱の後、あることを思い出した。

「名前ちゃん!」

 彼女の下の名前は名前だ。そして俺が次にすべきは彼女を駅前のファミレスに誘うこと。さっき買った骨なしチキンは無駄になるかもしれないけれどそれはしょうがない。見栄を張って二つも買ってしまったが結果オーライだ。俺はぜんぜんかっこよくなんかないし、振り向いた彼女はやっぱりすごくかわいい。今日は聖なる夜なのでちょっとだけ記憶を改竄して、実は昔から気になってたんだ、なんて調子の良いことを言ったって許されるかもしれない。

2016.12.18
MerryXmas!


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