わからずやの恋人



 決死の覚悟で告おうと思い、最後の最後で逃げ腰になった臆病な私を、彼が見つけ出してくれてからひと月が経つ。
 まさか実るとは思わなかった恋が予想以上にたわわに実ってしまったものだから、あれからずっとお腹がいっぱいだった。恋なんて専門外、という顔をしていたのに、付き合ってみれば彼の愛情表現はまっすぐでためらいがない。ぞんざいながら惜しみなくくれる。今まで機会がなかっただけで、岩泉一の恋愛キャパシティは意外と広いようだ。そこに私を招き入れてくれたことは、考えれば考えるほど奇跡でしかない。どんな女子からの好意も、すべて友好的に受け止めてきた彼の圧倒的な鈍さに感謝しながら、今日もその横顔を見ている。

「岩泉って、照れ屋なのかと思ってた」

 素知らぬ顔でキスをして、満足したのか手元のスマートフォンに目を戻した岩泉にそう言うと、彼は虚をつかれたように私を見た。虚をつかれたのは私の方だ。赤い頬をごまかそうと、読んでいたファッション誌で顔を隠す。

「なんだよ」
「私ばっか照れてるみたい。平気な顔でこういうことしてくるし」
「おう、だってお前、付き合ってんだから……」

 目だけで彼の表情を追う。岩泉はポチリと画面を暗くして、やはり当然という顔をしていた。

「遠慮しねえぞ。俺は」

 人前でベタベタするタイプではない。こうして部屋に二人でいるときだって、必要以上にくっついて甘え合うこともない。ただ思い立ったように私に触れ、そこにあまりに躊躇がないものだから、この人実は女慣れしているんじゃないかなんてあらぬ疑いをかけてしまうのだ。

「探り合いとか面倒くせえし。駄目なら駄目、良しなら良しって言ってくんないとわかんね」

 そんな犬のしつけのような事を自ら言い始めた岩泉は、やはり私にとって未知の生物だ。未知の生物に触れたり触れられたりするのだからドキドキしないわけがない。つまりは女慣れと対極にあるぶっきらぼうさが彼の武器なのだと、最近ようやく気付いたところだ。
 たとえば男らしさの中にもどこか女性的な感性を匂わせる及川君のような現代っ子と、彼は根本的に違っている。異性に対する繊細な歩み寄りなんていうものは一切感じられない。俺は俺。お前はお前。違う生き物。よくわかんねえ。彼の女子に対する基本スタンスはそれだ。相互不理解と呼ぶにふさわしい。

「平気な顔っつーけど、べつに全然平気じゃねえし、ぶっちゃけ、お前のことは今でもよくわかんねえ」

 そんなある意味で無敵の生き物である岩泉一は、ぶつぶつと言葉を区切りながらそう言って、太いジーンズにスマートフォンをしまった。

「……から、教えてください」

 急に敬語になった彼のかわいらしさに、思わず吹き出してしまう。突き放したような言い方になってしまったことを気にしているのだろう。そう言われちゃあしょうがないと、私も雑誌を置き彼へ向き直った。

「なんでも聞いて」
「そう言われると思いつかねえけど」
「好きな食べ物はチーズケーキ、好きな飲み物は薄いカルピスです」

 私が面接のような態度でそう言うと、彼は「そういうことか?」と首をかしげながら笑った。首をかしげながら笑う彼の仕草が好きだ。

「うそ。可愛子ぶってみたけど、本当はイワシのさつま揚げが好きです」
「うまいよな、さつま揚げ」
「岩泉は?」
「俺はあれ、豆腐じわーって揚げたやつ」
「揚げだし豆腐?」
「そう。あと肉全般」

 お豆腐とお肉でできているらしい岩泉の体は、どこもかしこも太く厚い。Tシャツの襟口が少ししおれていて、お気入りのものなんだろうなと思う。私への質問を真剣に探している彼の眉間を、じっと見つめた。キュッと上を向いたまっすぐな眉毛も好きだ。

「なんで肩ふよふよしてんの」
「筋肉がないから?」
「なんでいい匂いすんの」
「女性用のシャンプー使ってるから?」
「……俺だって母ちゃんが買ったなんか赤いの使ってるけど」
「髪が長いから匂いが篭るんじゃない?」
「適当言ってねえ?」

 ベッドに背をあずけ、だらしなく姿勢をくずしている岩泉の姿がなんだか新鮮で楽しくなる。同じように私もだらけて、へらへらと笑った。目を細めた彼の優しい視線を正面からうけ、また少しずつ体温が上がる。ふいに伸びてきた大きな手のひらが、私の頬をすっぽりと包み、二人の温度が腕をつたい伝染した。こんな時なによりも強く、自分は岩泉のものなんだなと感じる。私はものじゃないし男に所有されるなんてまっぴらだと思っていたし、今だってそんな傲慢なことを口にされたら反論してしまう自信はあるけれど、こうして彼の心の中にすっぽりと包み込まれている時、ごく自然にそんな気持ちになるのだ。少し怖いけれど、それはきっと幸せすぎるからにちがいない。

「触られんの嫌か」

 彼の手の内側で小さく首を振る。指先が耳に触れこそばゆい。

「嫌じゃないけど、恥ずかしいの」
「恥ずかしいけど、したいんだよ」

 俯きそうになった私を逃すまいと、岩泉の口が私の口に触れる。押し付けながら軽く食まれ、キスって食欲と一緒だ、なんてぼんやりと思った。

「私だって同じ」

 二人してベッドに顔を乗せながら、お互いの心に思いを巡らせる。自分の望むものは何で、相手の望むものは何か。それらはぴったりと合わさるのだろうか。恋をすればいつだって不安だ。

「わからないわからないって言うけどさ、たぶんおんなじだよ。私と岩泉」

 彼の胸が厚くたって、私の肩が柔くたって、考えていることはだいたい同じだ。違っているけどそっくりで、そっくりだけど別々だから、二人はこうして触れ合うことができる。


2016.6.10 岩ちゃんお誕生日おめでとう!

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