二つのセントエルモ



弱味を見せれば寝首をかかれる。
そんな危うい均衡の取り引きが一つまとまり、高杉が甲板へ出ていくのが見えた。

もはやどこぞの大幹部と黒い腹を探り合うことに慣れたうちの総督も、さすがに疲れたのか夜風にあたり腹の底を冷ましていた。

この人は将軍も軍師も足軽も、全て一人で出来るんじゃないかと時々思う。体がもつかは別にして。

船の淵に前屈みに両肘を乗せ、眼下を眺める高杉を隣から眺めた。
室内で張っていた不敵な虚勢が嘘のように、ぼんやりと前髪を風に揺らしている。
確かにいろいろ出来るは出来るし、偉そうにしているのも嫌いじゃないのだろうけど、一番向いているのはやはり実戦なのだろうなと、こういう顔を見て思う。
数々の重鎮と渡り合ってはいるが、彼はまだ二十代そこそこの若者なのだ。

「高杉、顔が子供みたくなってるよ」
「…は」
「なんとなく」
「…んだそれ。舐めんな」

そう言ったものの腕にぺたりと頬をついた高杉は、相当お疲れのようだ。もしかしたら得意なだけで好きじゃないのかもしれない。どろどろした大人同士の腹芸やハッタリなどは。

「無理しないでよね」
「無理をしないで生きれる世の中かよ?」
「……」

確かに無理をしなければとっくに死んでいるだろう。人に殺されるか、自分に殺されるかして。

彼は悪い姿勢のまま火のついてない煙管をくわえ、ため息をついた。口寂しいのか。

私も隣に並んで下を見る。不規則に、時に規則的に散りばめられた光の粒が、船の速度に合わせてゆっくりと流れていく。江戸のビル群はもう見えなかった。

「昔に戻りてェなんて言うつもりはねえよ」

大した明るさでもない郊外の夜景を眩しそうに眺めながら、彼は言う。

「時代が変わったなんて、理解してんだ。そんなことは。お前にはそう見えないかもしれないけどな」

じゃあどうして、とは聞けなかった。
聞いてもいつもみたいに薄く笑うだけだと思ったから。うん、とどっち付かずの返事をする。彼はやはり笑った。私が想像した笑みとは少し違う、透明な顔で。

「…いつもそうやって笑えばいいのに」
「全部が終わったら、いくらでも笑ってやるよ」
「終わりってなによ。いつよ」
「決まってんだろ。俺が納得した時だ」

あんたが全てを納得するのなんて、死ぬ二秒前だ、と言ってやりたかったが堪えた。
堪えてばかりだ。全部全部、私よりあんたが解っているせいだ。

「帰ったら林檎でもむいてあげるよ」
「頼まァ」



2012.3.27



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