非常に不本意なことだが、俺の中でモテる男の基準となっているのは隣にいるこの及川徹とかいう男だった。どこがそんなにいいのか知らないが事実コイツはバカみたいにモテるし、テレビに出てる俳優とかだって及川みたいな顔や頭をしていることが多いからつまりはそういうことなんだろう。そして、奴と自分に大した共通点がないことも知っている。あってたまるかと思う。平たく言えば俺は女と縁がなかったし、そんなもんだろうと思っていた。クラスの奴らはイイ奴ばっかりだ。女子にだって嫌われてはいないと思う。女子を女子扱いするのが苦手な俺は昔からずっとろくな口の利き方をしていなかったので、距離感も男子とそう変わらない。応援に来てくれる奴らにだって及川みたいな笑顔を返してやれたことはない。
「そういうとこが狡いんだよね、岩ちゃんは」
「ア?」
「キレるの早くない!? いたたたた」
モテ男子であるところの及川徹はそんな俺に「狡い」という形容詞だか副詞だかを使うことがある。何がだよと聞いても腹立つ顔で「えー?」とか言ってニヤニヤするだけなのは知っているので、先手を打って腰のあたりに膝をめり込ませた。痛い痛いと言っているが嘘だろう。むしろ大臀筋がほぐれているはずだ。「岩ちゃんって筋肉の名前だけはやたら詳しいよね。そんなんだからモテないんだよ」うるせえうるせえ、ほんとに痛くすんぞ。
そんな誰から見てもしょうもないやりとりをしながら向かった昇降口。制服を着た帰宅部の生徒に混じりスノコの床をがたがたと鳴らす。部活休みの月曜は体を持て余してしまうからあまり好きじゃない。帰って何するかな、と口を尖らせたところで、ガサリと指先に何かが触れた。よそ見をしながら手をつっこんだ靴箱の端から、見慣れない包みが落っこちる。
「あ、なんだ」
予想外のことに驚くことすらできず拾い上げると、俺が何かを言う前に隣の及川が「あぇ!?」とおかしな声をあげた。
「いいいわちゃん、ちゃん、いわ」
「あんだよ」
「それって、まさか、今日ってだって……」
要領をクソ得ない及川を無視してなにやらふわふわした布の袋を開けた。人のものだったら勝手に開けたらまずいかとも思ったけれど、開けないことには判断できない。中にはちらちらした色合いの缶が入っていて、その表面にメモがくっ付いていた。『いつも応援してます。部活がんばってください!』メッセージの左上にはしっかりと『岩泉くんへ』と書かれている。……綺麗な字だな。
「お」
「……」
「及川、これなんだ」
「チョコでしょどう見ても! 残念ながら!」
なにが残念だ、俺だってチョコくらい貰うわ、と言おうとしたけれど実際にこんなことは初めてだったので何も言えなかった。クラスの女子から気軽な感じで渡されることはある。今年だって大量に持ってきたらしいちっちぇえ丸いチョコの包みを何人かの女子から渡された。こんなん人数分作るのは大変だろうな、こいつらイイ奴だな、なんて思いながらお礼を言って、お返しをよろしくされてきたところだ。部活関係者とか、いつも世話になってる女バレの主将や副主将だとか、母ちゃんの知り合いのバレーファンだとか、そういう人たちからは貰ったりする。けれど今回はちょっとワケがちがう。
「なにげに結構貰ってるね!? 岩ちゃん!」
「……いやでもこういうのは初めてだよ」
「俺ですら下駄箱には入ってないのに!」
「おめーは直接ヘラヘラ貰いうけてんだろーが」
こいつみたいに、突然チョコを渡されてヘラついた対応をできる器用さは俺にはない。だからこうして下駄箱になんて入れてくれたんだろうか。それにしても、こんな古典的なことが自分に起こるなんて考えたこともなかったためいまいち実感がわかなかった。実はみんなのところに入れたんじゃないか、と思って及川や他の男バレの靴箱を勝手に覗いてみるがそんなことはないようだった。マジかよ。
「明らか本命だよ、ええ、どうすんの岩ちゃん」
「ど、どうするもなにも」
いつまでも間抜けに佇んでいてもしょうがないため、片手に持ったまま靴を履いて外へ出る。気になってしょうがないという様子で覗き込んでくる及川の視線からブツを遠ざけながら、悶々と考えをめぐらせた。
「名前がねーからどうしよもできねえよ」
「えっ無記名? けんきょ〜」
「ありがてえけど」
部活を見に来ている女子の大部分は及川目当てだ。中には純粋にバレーが好きで応援してくれてる奴もいるんだろうけど、その内の誰かだろうか。それとも元クラスでよく喋ってた誰か? いや委員会か? あいつはどうだったか、あの子はそんな感じじゃ、と下世話な予想を一通りしたところで、なんだか自分がアホみたいに自意識過剰な男に思えげんなりとした。名前を書かなかったということは必要以上にこちらが意識してもしょうがないんだろうし、ありがたく食ってそれで終わりにしよう。いろいろ考えるのも面倒くせえ。そんなモードに俺がなっていることに腐れ縁のバカは目ざとく気付いたようで、「岩ちゃん」と含ませるような声で呼びかけてきた。正直鬱陶しい。
「こんな機会もう一生ないかもしれないんだから、もうちょっとがっつこうよ!」
「うるせえな、お前はそのがっついた野次馬根性どうにかしろ」
「名前が書けなかったのは恥ずかしかったからでしょ! だいたい岩ちゃんはそうやっていつだってフラグを折ってきたくせに自分はモテないとか思っちゃってるから狡いんだよ!」
「ハア? なに言ってんだおめーは」
自分のことだけじゃなく俺のことにまで自意識過剰らしいクソ及川の言ってることはよくわからんが、とりあえずむき出しで持っているのもなんなので鞄にしまおう、と思い立ち止まる。正門を出て数メートルすぎた公道でガサついていると、駅の方へ逸れる脇道の曲がり角に女子が二人立っているのが見えた。ジッパーを閉じながら何の気なしに近づいていく。と、及川が無言で腕を上げ俺の行く手をさえぎった。
「渡せた?」
「わ、渡せなかったから下駄箱に入れてきた」
「下駄箱……!? そんなベタな……」
彼女たちの声は大きくはないけれど女子らしく高いため自然と耳につく。こんな時の俺の状況認識力はあまり高くないため、しばらくぼんやりと聞いていた。しかしさすがに、なぜ及川が汗をかきながら俺を制しているのかにはすぐ気づいた。自分の名前が聞こえてくれば当然だ。
「だって岩泉かっこよすぎて、目の前に立ったら何も言えなそう」
「……いや、仲良かったんでしょ? 大丈夫だって」
「む、むり。私絶対ただの仲良い女友達くらいにしか思われてないもん……!」
「そっから脱するためのチョコでしょうが! あんた岩泉なんてね、こっちからハッキリ言わなきゃ一生仲良い女友達だよ! あいつ世界中の女のこと仲良い女友達だと思ってんだから!」
さすがに世界中の女を友達だとは思ってねーわ、と思ったけれど、確かに今うつむいて顔を真っ赤にしている名字のことは、前のクラスで仲良くしていた気の置けない女友達と認識していたため心がえぐられるようだった。さきほどの候補に上がらないほどの大穴だ。あいつが俺にチョコを……? かわいいし普通にモテるだろうに、あんなふうに顔を真っ赤にしながら俺のためにチョコを用意してくれたというのか。信じられないことだ。
後にも前にも進めずにフリーズしていると、あろうことか及川の野郎が「ハ〜イそこまでにしたげて」といやに呑気な声をあげた。なにしやがんだバカヤローと思ったけれど状況的に殴ることもできず、仕方なく女子たちに視線を戻した。びくりと二人の肩がゆれる。目つきが悪いと言われることはよくある。
「い、いい岩泉くん」
「岩泉……!!」
ただでさえ赤かった名字の顔はもはやそのまま溶け出しそうだった。怒ってるわけじゃないけれど、それをどう伝えたらいいかわからず黙っているうちに俺の眉はずんずん寄った。及川に背中をどつかれなんとか声を絞りだす。いつもと立場が逆だ。
「名字、あれ、お前か」
なぜ詰問するような口調になってしまうのか。案の定彼女は震えながら頷いた。名字の方も友達に背を押され、よろりと一歩こちらに近づく。
「ありがとな」
「う、うん……」
「手紙も」
「うん、あ……怪しいものとか入ってないから! 市販のだから!」
「いや、それはわかる」
「名前も書かずごめんね!? 気持ち悪かったよね……!?」
「あ、あやまんな、俺だってびっくりしてんだから。気持ち悪くはねーよ」
普段学校で話していた時とは全くちがう彼女の様子に、こちらまで調子が狂ってしまう。たしかにチョコは貰ったけれど、メッセージは部活を応援するものだったし、さっきの会話だって何かのはずみで言っただけかもしれない。あいにくこんなことに慣れていない俺は、直接彼女から何かを言われるまで気の利いたリードなんてできやしない。
「名前書いてくれりゃよかったのに……つーか、直接くれよ」
「い……岩泉モテるから、直接渡す勇気はでなかった」
俺は告白なんてされたことないのに、俺の周りの奴らは俺をモテると言っている。なんだか知らないがすごく損した気分だ。俺のことを好きな連中は俺の知らない間にみんなどこへ行ってしまうのか。俺に原因があるというなら、こうして気付いた今、名字がどこかへ行く前に引き止めなくてはいけない。
「俺は全然べつにモテないし、たぶん俺の方が緊張してるし、もし付き合ったりしたら絶対俺の方がお前のこと好きになるからな」
「い……えー……なにそれ」
名字はなにを思ったのか、俺のわけのわからない言い分を聞いたとたんぼろぼろと泣き出した。さすがに気持ち悪かったかな。慌てて制服の袖でぬぐう。
「泣くな、嫌なら聞かなかったことにしていいから」
「いやじゃない、いやなわけないよ」
いつの間にか及川と彼女の友達は俺の背後に下がっていた。ぎりぎり会話が聞こえる位置から聞き耳を立てられているのがわかりやりずらいったらない。「岩ちゃんって、ほんと狡いよね」「……わかる」クソ、そっちの声も聞こえてるっつんだよ。
俺は感極まる名字の肩に手を添えながら、女の体ってのはどうしてこう薄っぺらくて柔らかくて扱いがたいんだろうと思っていた。それにどうしてこんなにいい匂いがするんだ。泣く時の顔がかわいい理屈だってわからない。及川が言うように、俺が知ってることなんて筋肉の名称くらいなんだから、お前がしっかりしてくれなきゃ困るんだよ。早く泣き止んで、いつもみたいに笑ってくれ。そうじゃなきゃ手っ取り早く抱きしめてしまいそうだ。
2016.2.15