自己紹介。席替えタイム。LINE交換。お持ち帰り。俺が合コンにもつイメージはざっとそんなところだ。どれもこれもテレビや雑誌で得たような付け焼き刃の知識でしかないし、そんな絵に描いたような合コンが今どき存在するとも思っていなかった。しかし俺はいま、自分の知識があながち間違いでもなかったことを体感している。東京に出てきて早二年、さまざまなカルチャーショックを受けてはきたが、まさか本当にこんな爛れた事態が自分に起こりうるとは思わなかった。自己紹介で好感を持ち、席替えタイムで隣合わせ、LINEのIDを交換した女の子が今、バスタオルを持って俺の目の前にいる。
「大丈夫? 及川くん」
「へーき……ごめんね」
一つイメージと違うところといえば、持ち帰られているのが彼女じゃなく俺というところだ。いたいけな二十歳ちょうどの男子大学生である俺は、一体これからどうなってしまうのか。期待と緊張にドキドキと心臓が高鳴ったが、それに合わせむかむかと胃がもたれた。浮かれている場合じゃない。
そもそもの出だしがよくなかった。メンバー合わせで呼ばれたはずの合コンで嫌に注目されてしまい、どうにも戦況が思わしくないと悟った先輩方がとった行動は、後輩の俺をひたすら酔わせ盛り上げるという最悪の手段だった。「メンバー合わせで及川呼ぶとか何考えてんだ!」ハタかれる幹事を横目に薄いんだか濃いんだか、何味なんだかもわからない劣悪なサワーをジョッキであおり、気付いた時には酔いというよりもおかしな甘味料にあてられ気分が悪くなっていた。
二次会へむかう一行からよろよろと離れ、一人肩を落としているところに声をかけてくれたのが彼女だ。ぱっと目をひくタイプではなく、二番目か三番目に目をやって、よくよく見ればかわいい顔してない? とかそんな感じの女子。たしか一個上だと言っていたけれどはじめから終わりまで俺は敬語を使っていなかった気がする。彼女が俺をタメもしくは年上と勘違いしていたからだ。まあいいか、と思い「連絡先教えてよ」なんてちゃらけた口説き方をしたのがついさっき。グラス交換のため余った酒をひたすら胃に流し込んでいた俺は、後半だいぶヤケになっていた。IDを飛ばそうとスマホを振った彼女にしても、俺の馴れ馴れしい態度に相当テンパっていたようで、すっぽ抜けたそれが俺のグレープなんちゃらサワーを倒し大惨事になった。甘いだけで美味しくもなかったので俺としては助かった。ごめんなさいごめんなさいとおしぼりを持って這いつくばる彼女を見ておかしな劣情をもよおしたことは言わないでおこう。
とにかく、夜の繁華街で背を丸めやさぐれていたところに、救いの手を差し伸べてくれた彼女が俺には天使に見えた。
「アレ名前ちゃん……にじかいは?」
「カラオケ得意じゃなくて」
「ふーん……」
「及川くん、目が」
「んー」
「しんでるけど」
心配そうに言って、彼女は腕時計を見た。女の子が腕時計を見る仕草って好きだな、とか呑気なことを思いながら、俺はコートの袖からのぞく白い手首を見ていた。
「終電、とっくにないよ」
「え゛っ!!」
叫んだ拍子によろめいて電柱に手をつく。本当に呑気している場合じゃなかった。明日は休日だが午後から部活だ。
「名前ちゃんは……? どーすんの」
「私、中央線ですぐ隣の駅だから」
「……あぶないよ、一人でかえるの」
苦し紛れに呟いたその言葉のチャラさは相当なものだったと思う。自分でもこれはナイかな、と思ったけれどアルコールの力が俺の恥や外聞をどこかへすっ飛ばしていた。さすがに見捨てられるかと思い、つい甘えるように伸ばした手を、彼女はゆっくりと握り返しそのまま引っぱってくれた。線路沿いのフェンス脇をふわふわとと歩きながら、やはり彼女は天使なのだと思う。それともこんな顔して、意外とこういうことに慣れているのだろか。それはそれでイイ。もうなんでもいい。手を引かれるまま数分歩いた先に、彼女の小さなアパートがあった。
部屋へ入り大きく息を吸う。その場に座り込みそうになった俺をあわてて止め、彼女は「及川くん、重たくて動かせないから」とベッドへ促した。その日会ったばかりの女の子のベッドはとても甘い匂いがしたけれど、これはおそらく俺の口から吐きだされる人工甘味料の匂いだ。のたくたと横になったままコートを脱ぎ、枕を抱えうずくまる。重力が普段の数十倍はあるようで、俺の体はあっという間にベッドマットと同化した。いろいろ言わなきゃならないことがある気がするが、うう、という唸り声にしかならず、あきらめて目を閉じる。パチ、パチと彼女が洗面所あたりの電気をつける音が聞こえた。
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もう朝か! と慌てて起こした頭が、ガンガンと痛む。
部屋は明るいが朝日ではない。薄い色の蛍光灯だ。目の前には名前ちゃんの姿があり、目を丸くしながら俺を見下ろしていた。大丈夫? と聞かれ適当な言葉を返す。
「いきなり起きるからびっくりした」
「寝坊したかとおもって……」
「まだ、二時だよ」
「まじで」
朝どころか一時間も寝ていないようだ。酔っているせいで時間感覚や空間感覚がにぶって、自分がどこでなにをしているのかがうまく身に馴染まない。風呂上がりなのか、彼女は髪を一束ねにしてバスタオルを携えていた。なんだかリアルな状況に急にびびってしまい、俺は咄嗟にコンドームのありかを思った。財布の中ポケットに、たしか一つ。そんな自分が嫌になって顔をこする。体調は万全ではない。どころか最悪だ。
「いま、ベッドどくから」
「え?」
「名前ちゃんつかって。俺床でへーきだし」
「でも明日、部活あるんでしょ?」
「あるけど。なんで知ってるの?」
「さっき『部活あるから昼には起こして』って寝ぼけながら呻いてたよ」
「……」
実家の母親に言うような言葉を、初対面に近い女の子に言ってしまう自分の無防備さが心配になる。なんだか全てがおっくうになり、俺は抜けないアルコールのせいにしてまた彼女に甘えてしまおうかと思いめぐらせた。いっそストレートに誘ってしまおうか。あからさまな態度をとったって、彼女は許すか諌めるかしてくれそうな気がする。
「一緒にねようか」
思ったよりも喉がかすれて、しょうもなさが増してしまった。俺の言葉に顔を赤くして、彼女は唇を引き結んだ。怒っているのだろうか。追い出されるかもしれない。彼女の親切心を無下にしてしまったことを、すぐさま後悔する。
「ごめ、」
「及川くん」
「……」
「ちょっと無防備すぎるよ」
「は」
「私及川くんのこと……狙ってたんだからね。今日初めて見たときからずっと」
うつむきタオルを握りしめながら、彼女は泣きそうな顔をしていた。俺の胸も、再びどくどくと高鳴る。顔がたちまち赤らんでいくのがわかる。湿ったインナーがぴったりと背中に貼りついていた。
「……席隣になったとき、死んじゃうかと思った。どうしたら仲良くなれるかって、下心いっぱいなのに、もう、馬鹿じゃないの。そんな気抜いた顔して!」
「は、あ」
「及川くんは自分がどれくらい魅力的なのかわかってない! もうやだ! 寝る! おやすみ!」
お持ち帰りされた女子になぜか激烈に怒られながら、俺はやはり東京というのは怖い街なのだと思った。唾をのみ立ち上がる。よろめいた足にまかせ、小さな背中を抱きしめた。きちんと最後までできるだろうか。低下するコンディションを恨めしく思いながら、財布の場所をたしかめる。俺なりに精一杯頑張るから、どうかこのまま甘やかして、うぬぼれて、めちゃくちゃにしてくれ。
2016.01.29