隣に住んでいる高杉さんは色男である。
色男という言葉が死語で昭和だということは解っているが彼を言い表すとしたらやはり色男が一番しっくりくる。
イケメンというほど爽やかでなく、ハンサムというほど甘くなく、美男というほど女々しくない。少しの陰りと色気、そして妖艶ながらも男っぽさを匂わせる彼の容姿はまさに色男だった。
そのため私はアパートのお隣さんである彼を色男と書いてイロオと呼んでいる。会社の同僚には毎日のように「イロオが色男過ぎてやばい」と零し、一度うちに遊びに来た妹などには実家へ帰るたび「最近イロオどう?」と聞かれる始末だ。本名は知っているのだが、馴れ馴れしく苗字で呼ぶほどコミュニケーションを取っているわけでもないため、芸能人を呼び捨てにする感覚でそう呼ぶ方が正しい距離感のような気がした。
そんな彼が実際は何者なのかというと、私には全く解らない。
大体朝の八時くらい、ちょうど私がベランダのルッコラに水をやっている最中に出かけて行って、帰りはまちまちのようだけれどこちらが残業で遅くなる日にはすでに部屋の灯りが付いているから、夜型の仕事ではないのだと思う。
たまに朝方ガタガタいっているのが聞こえるから、普通に飲んだり遊んだりしている二十代半ばの会社員の可能性はあるけれど、彼の通勤スタイルがノータイだったり柄物だったりジャケットを着ていなかったりすることから、普通の会社員を装った何かカタギじゃない職業の人なんじゃないかと疑っている。
一番の原因は本人の人相によるところが大きいのだけれど。
ここで言っておきたいのは、隣人をここまで詳しく観察しているものの、私は別にストーカーとかそういう類ではないということだ。彼が色男過ぎて自然と目に入ってしまうだけであって、自分から情報収取しているわけでも、また今後するつもりもない。
だいたい私の予想が当たっているなら余計な詮索や接近は身を滅ぼすだけだろう。裏社会も怖いが、とにかくモテそうだからそっち関係も怖い。誤解されてチンピラに撃たれたり元カノに刺されたりするのは御免だ。
イロオはイロオ、アイドルと同じで遠くから勝手なあだ名をつけて眺めているくらいがちょうどいいのだ。
「あの、部屋間違ってますよ」
アイドルが部屋のドアを叩いたのは、午前三時のことだった。
「あ、ちげー、知ってる、気持ち悪ぃ」
入るわけない鍵を握りしめ人の家のドアノブを壊そうとしているイロオこと高杉さんは、一升瓶で頭でも洗ったのかというくらい酒臭かった。
「さみい、死ぬ、ふとん」
初めて声を聞いた高杉さんはカタコトだった。
でもたぶん日本人のはずだ。たぶん。
私は一応チャイニーズマフィアという線も考慮に入れいろいろと危険性を考えた結果、彼を玄関に寝かせ毛布をかぶせた。
飲みすぎと寒さで著しく身体機能の低下したこの男に何かできるとは思えないし、追い出して放置して玄関先で凍死されても困る。
横になったとたん泥のように眠ってしまった高杉さんはやはり異常なくらい色男だった。
ネクタイは緩められているものの、寝苦しそうだったので上からほどいてやる。力の抜けた筋肉質な胸板はうっすらと冷や汗をかいていて、なんだかいけないことをしている気分になった。
高杉さんは細い体つきをしているが、やはり廊下に寝るとなると狭そうだった。
さてどうしたものか。
考えたところで私にできることはこれ以上なく、部屋の中央に戻ってお茶を淹れてみる。昨日一昨日と仕事の山場でろくに寝ていなかったが、せめて彼が目を覚ますまでは寝るまい。
そう決めて小さな音でテレビを付けたが、案の定次に目を開けたのは目覚ましTVが七時をお知らせした瞬間だった。
しばらくテーブルに肘をついたままムニャムニャと首などをかしげ、ハッと玄関に目をやる。
そこにイロオの姿はなかった。
「……夢?」
困惑した頭で冷たくなったマグカップに手を伸ばす。
見慣れたテーブルマットの脇に、見覚えのない四角い紙切れ──名刺だ。
まず目に入るのは勢いよく書かれた手書きの文字。「迷惑かけた」。そしてその下にあるフルネームの、一段上には少し小さなフォントでこう記してあった。「県立〇×高校 養護教諭」。
養護教諭。ようごきょうゆ。
つまりはあれだ。保健室の先生。
保健室の、先生……?
私は深夜にドンドンと扉を叩かれた時より、廊下に男が倒れこんだ時より何より、驚いて思わずお気に入りのマグを落とした。
その音は彼にも聞こえたことだろう。
私の知ってる保健医と違う
2012.1.16