踊り場のドア



 コートの中で見る天童くんは、いつもと全然違うようで怖かったことを覚えている。
 背は高いけれど威圧感なんて全然なくて、ひょうきんだけど面倒見のいい天童くんに私は恋をしていた。全国級の有名人である牛島くんを見に行くという名目で、体育館に足を運んだことも何回かある。練習試合に精を出す天童くんはいつもより精悍な顔つきをしていたけれど、飄々とした雰囲気は変わらずにそこにあった。しかし、インターハイ予選の準決勝を見に行ったとき、彼の選手としての本当の顔を知った。長い手足をいかし縦横無尽にコートをかける天童くんから立ちのぼる、相手をねじ伏せるための執念は凄まじく、圧倒的な存在感をはなつエーススパイカーにすら引けをとらない迫力だった。それを見たあの日から「恋をする私」とべつのところに「怯える私」ができあがってしまい、彼とのコミュニケーションにますますの不自由さをみせているのだ。

「名字さん、ごめんごめん、俺のノートそっち」
「あ……これ?」
「ちがうちがう、その隣よ、コレ」

 午前授業の終わりがけに政経のノートを回収しようと教室を巡回していると、廊下で友達とだべっていた天童くんが私の元にやってきた。運動部員なのに猫背気味の彼に前に立たれると、なんだか顔をのぞきこまれているようで直視できない。手渡してくれたノートを受け取って小走りで教室を出た。
 最近は彼と話していると呼吸が重くなる気がして落ち着かない。彼の試合を見てからというもの、好きな芸能人が夢に出てきたあとのような、勝手な臨場感が私の身にせまってしまい近くにいられないのだ。なんだか変態じみていると思い、溜め息をつきながら職員室を出た。しかし、出た先の階段で天童くんが長い足を折曲げて私を見上げていたため、思わず後ずさった。上履きのかかとが職員室のドアに激突してガタンと鳴る。私よりもさらに長い溜め息をついた彼は、立ち上がりちょいちょいと手招きをした。頭はいっぱいいっぱいでも恋をする身だ。嫌われることだけは避けたかったため、屋上階段へと踊り場を曲がっていく彼の背中を追いかけた。
 鍵のかかった鉄のドアに寄りかかり、天童くんは私を見る。

「ねえ、名前ちゃんって俺のコト好きだと思ってたんだけど」

「ちがった?」と首を傾げる天童くんに、思わず「違いません」と首を振りそうになったけれど、なんとかおさえる。見透かすような目にぞくりと腰のあたりが浮いたような気がした。

「なに、いきなり」
「いきなりはこっちの台詞。なんで最近避けてくんの?」
「避けるっていうか」

 避けてはいるけれど、そんなにあからさまだっただろうか。と思ったところで、彼の強みは観察眼なのだと女バレの友達が言っていたことを思い出した。ならば私ごときが取り繕ったってしょうがない。正直に白状するしかなかった。

「だって、試合中の天童くん怖かったんだもん」
「こわっ……エ、引いた?ってこと?」

 ショックを受けて屋上のドアに激突している彼に、これじゃただの悪口だと慌てて訂正をする。

「わかんないけど……たぶん、もっと好きになっちゃったんだと思う」
「え?怖いのが好きってこと?」
「……う、うん?」
「……名前ちゃんのことよく見てたつもりだけど、そういう子だったのは予想外だわ」

 私は今どういう子だと思われているんだろう。変態的なことなら否定しなければいけない。さらっと告白してしまったけれどこんなのただの自爆だ。再び査定するように私を眺めた天童くんに「変な意味じゃないよ」と言おうとしたけれど、その目が試合中の緊張感をまとっていたため何も言えなくなってしまった。また背筋が泡立つ。もしかしたら、変な意味なのかもしれない。そういう子なのかもしれない。私は変態なのだろうか。だとしたら、私は彼に何を求めているんだろう。

「イジメてほしいってコト?」

 ストレートに、少しためらい気味に聞いてきた天童くんに頭が真っ白になる。これじゃ引いているのは彼の方じゃないか。怖いのは隠された自分の性癖の方だ。でもよく見れば天童くんだって少し頬を紅潮させている。私たち二人は、今この瞬間どこかの扉に手をかけているのかもしれなかった。

「ちょ、ちょっとだけ……」

 さっきからもうずっとお手上げ状態の私は、正直な気持ちを垂れ流すしかない。彼はその言葉に思ったよりも平然と、大きく頷き、また手招きをした。

「わかった。ちょっとだけイジメてあげるからこっちにおいで」

 長い腕の先で大きな手のひらが揺れている。いつも容赦なくボールを叩き落としているその手が、私を優しく抱き締めて、少しだけ乱暴に上を向かせる。

「ちょっとずつ、ね」

 天童くんの重たいまぶたは愉しそうに垂れていた。ちょっとずつ、私は何をされてしまうのだろう。気になりすぎて体がばらけてしまいそうだ。


2015.5.24

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