異星間交遊



「牛島くんのこと好きなの?」

 ロッカーにつっこんだうす紅色のメガホンを見て、友達が聞いた。見に行くと言っても予選は平日に行われるため、公休をとれない一般生徒は授業のあとに駆けつけるしかない。当日は運良く午前授業のため、アクセスがうまくいけば二試合目には間に合うだろう。

「えっ、あー、うん。そうなんだよね」
「へえ、でもあの人バレー以外のことに感情動くの?って感じだよね」
「そんなロボットじゃないんだから……それに、べつに感情動かしてほしいとかじゃないし」
「あそうなの?恋愛感情じゃないんだ」
「じゃないってこともないけど……」
「まどろっこしいなあ、好きなの?嫌いなの?ファン?ミーハー?」
「ちがうよ!好きなの、恋愛的な意味で牛島くんが!」

 こんな一から十まで説明するような言葉を、大きな声で叫ぶなんて今思えばどうかしていた。言いきってふうと顔を上げようとすると、周囲がわずかに陰った気がして首筋があわだつ。こんな時に振り向けばゴジラや恐竜が立っているのはパニック映画の常套だが、このパターンは同時に恋愛映画の王道でもあると思った。おそるおそる後ろを見る。そこにはやはり牛島くんが立っていて、思わず腰が抜けそうになった。この飛び出しそうな心臓の鼓動がパニック映画のそれなのか恋愛映画のそれなのかわからないのは彼の持つ天性の威圧感のせいであり、こちらをじっと見て何も言わない牛島くんを確かに好いているはずなのに、こんなにおそろしいデザインの男子高校生にこんな演出をあてるなんて全米が泣くぞというわけのわからない気持ちになる。

「席に、」

「着いてもいいか」と彼が言い終わる前に、私の隣、牛島くんの椅子に座っていた友達は飛び退いてどこかへと逃げていった。逃げる場所のない私はとりあえず崩れ落ちる前に自分の席へ着席し、一限目の教科書を広げてみる。指におかしな力が入っているため上手くページをめくれず、咄嗟に開いた「図解・都道府県のお雑煮事情」というセンター試験には絶対に出ないであろうカラーページを凝視した。だいたい朝練でぎりぎりに教室へ来ると思っていた牛島くんが、なぜこんな早い時間に教室にいるのだろう。運命のいたずらとしか思えない。

「課題かなにか、出てたか」

 私があんまり熱心に教科書を見つめていたせいか、珍しく少し戸惑ったような牛島くんの声が聞こえてきた。びっくりして勢い良く教科書を閉じてしまう。

「でてないよ」

 首を振ると、だよな、という感じで彼も頷いた。さっきの言葉は聞こえていなかったのだろうか。あの距離で聞いていなかったのだとしたら、私はどれだけ彼の眼中にないのだろうとそれはそれで少し悲しくなる。もちろんあんな告白はなかったことになるのが一番だが。
 そのまま無為に時間は過ぎ、放心しているうちに一限目のチャイムが鳴った。お雑煮事情はもちろん飛ばされ、北九州の社会福祉の充実からみる市政の重要さをじっくり一時間かけて語った公民教師が、終業のチャイムとともに教壇を下りる。その間ぴくりとも横を見られなかった私は、彼のいる左の視界がちかちかとハレーションを起こすのではないかというほどに意識してしまい、正直授業の内容など全く耳に入っていなかった。

「……ところで」
「へい!?」

 二限目は移動教室だと、油断していた私の後ろ髪を引き止めたのは彼の落ち着いた声だった。思わず声帯が裏がえる。

「さっきの言葉が聞き間違いじゃなければなんだが」
「……」
「何か言った方がいいのか」

 まさにど真ん中から切り出され、いよいよ逃げ場のなくなった私はこのまま教室の床が抜けてどこかへ落ちていけないだろうかという生産性のない妄想に思いを馳せた。というかもしかして、彼は一限目の間ずっとそのことを考えてくれていたのだろうか。左半身にびりびりとした圧力を感じていた私の自意識は、過剰でもなかったということになる。
 言葉がでなかったので、音楽の教科書を抱えたままぶんぶんと首を振った。すべてを聞いていたらしい前の席の前野がにやにやと振り返ったためリコーダーで叩きたくなった。

「お前の、」
「牛島くん!ば、ばしょ、変えていいかな」

 時間稼ぎと逃避をかねてそう提案する。了承したのかすっくと立ち上がった牛島くんのその大きさに言ったことを後悔しそうになったけれど、このまま衆目の面前で振られるよりはいくらかいい。急ぎ足で教室を出る私を前野が「南棟の屋上階段がおすすめ〜」と茶化したため、クラスの大半がこちらに注目してしまった。前野のことはシャーペンで刺そうと思った。





 しかし、たどり着いたのは結局南棟の屋上階段だった。生徒の出歩く休み時間に二人だけになれる場所など私はよく知らず、悔しいながら足が向いてしまったのだった。

「……ごめんね、私が変なこと口走ったせいで嫌な思いさせて」
「別に嫌じゃない」

 いつでもどこでも堂々としている牛島若利十八歳は、運動部員がコーチの話を聞く時のように後ろに手を組み、私を見下ろしていた。

「嫌じゃないの?」
「嫌じゃない」
「……私が牛島くんと付き合いたいって言っても?」

 自分の大胆さにおどろいた自分が、遠くから叱咤激励してくる。なんてことを聞いているの!でもよくやった!追いつめられると思いがけない好セーブが飛び出すのは、バレー部時代唯一のとりえでもある。

「嫌ではない」

 三回目の否定をした牛島くんが、真っすぐだった視線を少しだけ右にやった。つられて私も階段の手すりを見る。

「でもおそらく、お前が思ってるような付き合い方はできない」

 振られているのかオーケーされているのか、判断できずに混乱した。今さら汗がおでこに滲んで、気を抜けば背後の階段から真っ逆さまに転がり落ちそうだ。

「つまり……?」
「つまり、俺にデメリットはないが、お前にメリットがあるとも思えない」

 告白からお付き合い、というごく一般的な流れを彼が理解していることがまず驚きだったけれど、きっと白鳥沢のバレー部員はみんなモテるのだろうから周囲に浮いた噂はあふれているのかもしれない。その中でも、彼に告白する人というのはおそらく少ないだろう。だってこの返答からしてやっぱり変わっている。私たちは今なんの話をしてるんだっけ。シャンプー?

「……メリット、とかよくわかんないけど、それなら私にだってデメリットはないよ。好きな人と付き合えるんだし」

 予想外の流れに緊張が若干とけた私は、そう言ってもう一度彼の顔に視線を戻した。牛島くんは後ろで組んでいた手を前で組み直し、近かった目と眉をすこし離す。

「好きなのか」
「……す、すきだよ」
「…………」

 穴があくほど見つめられ、なんだか耳鳴りを起こしそうだった。遠くで響く生徒たちの笑い声は水の中で鳴っているように聞こえる。これは夢なのだろうか。

「……わかった」

 牛島くんはしばらく黙って考えた後、なにがわかったのかそう頷く。むしろ今までわからずに話を進めていたのかとつっこみたくなったけれど、何にせよわからないよりはわかる方がいい。区切りを見計らったようにチャイムが鳴る。屋上に近いせいか妙に大きく聞こえるその音が私の頭をすべてリセットしていくようだった。
 時間に正確な運動部員である彼は競歩か、という速さであっという間に遠のいていく。結局、話し合いの終着点はどこだったのか。謎なまま、私はリコーダーを吹き鳴らすしかないようだった。





 一日が過ぎ、次の日が終わり、何ごとも進展をみせないまま一週間が経った。私はその間、約束通りメガホンを持って彼の勇士を応援しに行ったのだが、危なげなく勝利を収めたエーススパイカーと個人的な接触などできるわけがなく、ただ眺めていた中学の頃と変わらない距離を保ちながら、家路に着いた。教室では毎日顔をあわせていたけれど、試合がすぐそこに迫った彼の気迫は普段の比ではなく、朝の挨拶すらおぼつかないのだった。
 そんな初戦突破の、翌日。
 意を決した私は体育館へと向かった。練習を見に行くなんて野暮なことをするためではない。ひとまず話し合いの約束を取り付けないことには、どうにもならないと思ったのだ。

「あれ、どなた?マネ希望?」
「彼女だ」
「へえー……エェ!?」

 しかし私の決心は、またもやストレートな彼の第一声に打ち砕かれた。部室から歩いてきた牛島くんは同時に近寄ってきた天童くんに向けて、いつも通りのはっきりとした声でそう言った。

「彼女って!?」
「恋人のことだ」
「わかるけど!恋人って付き合ってるってこと!?」
「質問の意味がわからん。それ以外あるのか」

 私が聞きたかったことをすべて聞いてくれた天童くんに土下座をしたい気持ちだったけれど、その前に顔の火照りをとめなければいけない。校舎と体育館との連絡通路に突っ立ったまま、私は唾を飲み、息を呑み、その他もろもろの歓喜の言葉を飲み込んだ。

「若利君に彼女なんて……親が決めた許嫁とかそういう?」
「いや、自主的なものだ」
「自主的な!?」

 ありがたいけれど、これ以上私の心を刺激するのはやめてほしい。充分すぎるほどの返答を流れにまかせ受け取った私は、赤くなっているだろう耳たぶを髪の毛で隠しもごもごと出すべき声を探す。

「自主的って若利君から言ったの……?」
「さっさと練習に行け。名字は先に帰ってろ」

 ぴしゃりと会話を終わらせた牛島くんに、私の名字知ってたんだな、と別の意味で感心した。基本が命令形な彼の言葉は一見すごい迫力だけれど、怒っているわけではないのだと思う。彼の立ってきたコートにはきっと生まれながらの絶対王政が敷かれていたのだ。考えてみればこの人類平等の時代にすごいことだ。

「今日だけ、待っててもいいかな。明日からは先に帰るから」

 やっとのことでそう言った私に、彼は無言で頷いた。無言で頷く彼の仕草が好きだと思った。





 遅いとは思っていたけれど、予想より長いバレー部の練習に驚きをとおりこして尊敬を抱きはじめたころ、部室の電気がぽつりと消えた。校舎は当然すでに閉まっているため、裏門近くの用務員室前でひたすら空を眺めていた。
 ぞろぞろと引き上げていく運動部員に彼の姿がないか探す。暗くてよく見えないけれど、背の高い集団はおそらくバレー部員だ。裏門の脇にいてもよかったのだけれど、さっきみたいに牛島くんが冷やかされたら悪いと思い、ストーカーのように建物の側面から様子をうかがっていた。

「オイ」

 いきなり後ろから肩を叩かれ思わず鞄を落とす。牛島くんは自分のもつ迫力をもう少し自覚した方がいい。

「お、おつかれさま」
「今日は早く終わってよかった」
「これではやいの!?」

 驚くべきことだった。しかし、よかったということは、私を待たせていることを多少なりとも気にさせてしまったのだろうか。やっぱり待つのは今日だけにした方がいいようだ。

「今日、天童に」
「うん?」
「あのあと散々驚かれた。俺に彼女がいるのは相当おかしいことらしい」
「おかしいっていうか……」

 私だって、まさか付き合えるとは思っていなかったから意外に思う気持ちはわかる。

「牛島くん、バレーがあればそれでいいって感じするから。もちろん、いい意味で」
「まあ、間違いではないが」
「でしょ」
「とくに断る理由もない」
「そっか」
「……気に障ったら謝る」

 彼は彼なりに、周囲の人間のことを理解したいと思っているのかもしれない。彼くらいになると、誰に何を言われても気にならないんだろうな、なんて私は勝手に思っていたけれど、そんなことはないみたいだ。人が新たな関係を求めて誰かを欲するなんて、本能に近い欲求なのだから彼が持っていても本当はなにも不思議じゃない。

「大丈夫だよ。牛島くんのその声、好きだな」
「そうか」
「私振られたのかと思ってた」
「なんでだ」
「メリットだとかデメリットだとかで、話終わっちゃったし」
「そうか」
「私もあのあと話しかけられなかったしさ」
「どうして」
「なんか、緊張しちゃって」
「そうか」
「……ね、手繋いでみようか」
 
 疑問と納得をくりかえすウシワカロボットに、なにか人間らしい反応をしてほしくてそう言ってみた。彼はとくに躊躇うことなく大きな手をさしだしたので、手を繋ぐという動作は割と浅いところにプログラミングされているんだなと思った。私の手のひらをまるごと握り込んだ牛島くんが、もぞもぞと二回、握力の調整をする。

「扱いに困るくらい柔らかいんだが、これが普通なのか」
「い、いちおうこれが常態ですが」
「なんで手の甲がそんなに柔らかいんだ。骨がないのか?」
「骨がないわけないでしょ」

 珍しくはっきりとつっこんだ私に、彼は少しだけ瞠目しそれはそうだと頷く。

「牛島くん、私と手繋ぐの楽しい?」
「……楽しいというより」
「……」
「なんだ」
「……?」
「これは」

 彼の言葉はそこでとまり、結局バス停に着くまで続きが聞けることはなかった。彼との意思疎通は地道なものになりそうだ。でも最初のきっかけや今日の進展のように、急にマスを飛び越えてくることもあるのだから油断はできない。別の星の人間だと思っていた牛島若利がこうして隣を歩いていることの不思議を、噛み締める間もなく明日にはどこかへ転がっていくのかもしれない。なんだかそれは、とっても楽しそうじゃないか。


2015.4.29


オマケ
〜とある青城生の会話〜
「そういえばこの前、ウシワカが女子つれてるの見た」
「えっげっ、なにそれ!」
「彼女かな」
「あいつ彼女とかいんの?想像つかないんだけど。なにすんだろ」
「なにってウシワカだって24時間スパイク打ってるわけじゃないんだからいろいろするでしょ」
「いやあいつは布団の中でもスパイク打ってるようなやつだよ」
「なにそれ下ネタ?」
「ちがうよ!ていうか想像したくないそういうの!」
「彼女そうとう度胸あるよな」
「たしかに。俺ウシワカに押し倒されたりしたらチビるんだけど」
「想像させないでってば怖い!」
「お前ら牛島をなんだと思ってんだよ」

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