特殊コマンドVBC



 とある昼休みのことである。
 部活の公休により受けられなかった健康診断を補うため、保健室前の廊下に集められた俺たちは学校指定のジャージに身を包みだらだらと座り込んでいた。

「松っつんどうだったー?」
「なんかぬるった」
「あれ気持ち悪ぃよな心電図」

 部活用のジャージやユニフォームと違い、学校ジャージを着ている時というのはなんだか気が抜けてしまう。皆同じ心境なのか、いつも後輩の前ではそれなりに引き締まった顔をしている三年のメンツは一様に腑抜けきった表情で暇を持て余していた。あの岩ちゃんでさえ、なんでこんなことしなきゃいけないんだという顔でつまらなそうに胡坐をかいている。「確かに岩ちゃんの心臓は今さら確かめるまでもなく馬鹿みたいに健康だよね」と笑えば「馬鹿は余計だ」とぞんさいに蹴られた。上履きの跡がうっすらと膝に付いたが払う気にもなれない。いつもよりげんなりと力を無くしている岩ちゃんは、もしかしたらこんな心電図なんていう医療検査が苦手なのかもしれない。動物的本能の強い彼ならあり得ると思った。俺だって好きではない。

「おい、アレ」

 そんな緩んだ空気を打ち破ったのはマッキーだった。俺たちが緩慢なしぐさで彼の方に顔を向けると、マッキーの目はいつの間にか部活時のようにピリリと引き締まっており、伸ばされた腕の先、上方を指し示す人差し指はどこまでも真っ直ぐに伸びていた。美しさすら感じるそのフォルム。ただごとならぬ気配に息をのみ、指の先を辿る。そして、俺たちの目は瞬時に鋭くなった。敵コートから返ったボールを一斉に見上げるあの目だ。猛禽類のように瞳孔を窄め、極限までフォーカスを合わせる。突き当りの階段上、踊り場に立ちこちらに背を向ける女子生徒のスカートは、えもいわれぬ角度で俺たちを挑発していた。「マッキーナイス」「さすが青城の誇るウィングスパイカーは違うぜ」「お前ほんと目いいな」狭い廊下に賞賛の嵐が巻き起こる。しかしへらへらと笑っている者は一人としていない。これは遊びじゃないのだ。暇を持て余した男子高校生に課せられたスクランブルもとい聖戦である。

 彼女が上体を屈めて笑うたびにスカートは揺れ、太ももの付け根があらわになった。「攻めてんなーあの丈」「もうちょい長い方が好みだけどな」「てかあれ三年じゃん」「やらしー脚」「見えそ」「けしかる」ああだこうだと文句を付けつつも、目を逸らす者は一人もいない。それどころか少しずつ背中を傾け、対象との角度を浅くしていく。そして本懐に辿りついた者からピタリと動きを止めた。日頃から体幹を鍛えておいて良かったと誰しもが思っていることだろう。「白」「黄色でしょ」「アイボリー」「小花散ってる」「花巻ほんと引くほど目いいな」品評会の末辿りついた答えは『アイボリーの小花柄』で、俺の知らないファッション用語を駆使するチームメイトを尊敬しつつ、付き合っている彼女のパンツと見知らぬ女子のパンツはどうしてこうも趣が違うのだろうという命題に想いを馳せていると、保健室の中から「次どうぞー」という声が聞こえてきた。悔しさを滲ませつつ戦線を離脱するマッキーに、敬礼を送る代わりに軽くふくらはぎを叩く。お前の武功は忘れないよ。

「お前らほんとしょーもねえな」
「そう言う岩ちゃんだってガン見じゃん」
「視線の先にあったら見るだろ」

 立てた膝に手と顎を乗せじっと前を見据える彼の顔は、とてもパンツを見ようとしているようには見えない。こんな時ばかりは俺と対照的な、武骨で硬派な彼の顔つきが羨ましくなる。どうやら先ほどまでさいなまれていた医療アレルギーもどこかへ飛んでいったようだ。顔に締まりが戻っている。しょうもないと一喝する彼が一番いい位置を獲得していることに不満を感じながら胡坐を不自然に傾けていると、アイボリーの小花柄は突如視界から消え、聖戦は終わりを告げた。「あ」「やべ」「おお」それぞれの心の声が聞こえた気がした。お喋り相手に指摘されたのか、彼女は指の先でスカートの両脇をピンと引っ張り、顔を赤くして振り向いた。

「……及川、おまえ笑っとけ」
「いやそれ俺バカみたいじゃん!」

 なんともならない空気にオチを付けるように岩ちゃんが俺の頭をはたき、彼女の向かいにいた女子が「もうバレー部サイテー!岩泉くんちゃんと叱っといて!」と不条理極まりないことを口走る。そのままぱたぱたと走っていってしまった彼女たちに弁明ができるわけもなく、俺はじろりと岩ちゃんを睨んだ。

「自分だけ!」
「うるせえ!耐えらんなかったんだよ悪かったな!」
「松っつんなんとか言ってやってよ!」
「俺はそれより花巻が許せない」
「確かに!」

 今回の司令隊長兼、視察部特殊アビリティ隊員であるマッキーが運よく難を逃れたことに怒りの矛先を向けた俺たちは、「あーぬるった」と言って呑気に保健室から出てきた彼を取り囲み理不尽な制裁を下したのだった。





 またとある日の放課後のこと。

「あっ」
「えっ」
「名字さん、スカートの丈伸びた?」
「ええっ」
「いやなんでもない」

 自分の口の軽さとデリカシーのなさは重々承知していたつもりだったが、生来の性格というものはなかなか治らないもので。下校チャイムが鳴り人の減り始めた教室で、ばったりと鉢合わせた彼女に本来気まずさを感じなければならないところ、ついそう口走ってしまった。あの時振り向いた彼女がなかなか可愛い顔をしていたこともあって、あれから彼女の名前や彼氏の有無などをリサーチしていた自分はなかなか心が強いと思う。

「ていうかね、あれ借り物で」
「借り物?」
「夏服汚しちゃって、お姉ちゃんの借りてたの」

 予想に反しさらりとそう返した彼女は、恥ずかしさをごまかすように笑いながら両手で髪の毛を一束ねにして、片側に寄せた。何気ない仕草が可愛く思え、好感が増す。別にパンツを見た後だからというわけじゃない。

「そうなんだ。名字さんお姉ちゃんいるんだね」
「うん。私お姉ちゃんより背え高いからさ」
「じゃあ前に戻ったんだ」
「うん」

 頷いたきり会話の終わりを探している名字さんをしばらくの間まじまじと眺め、俺も頷く。

「……うん、いいね」
「へ?何が?」
「いや、俺それくらいの方が好きよ」
「うそ、見てたのに?」
「そりゃ見えるなら見るけどさ。可愛い子が脚出してると、なんていうかもったいないなーっていうか、そういうのはもっと見せるべき時にとっときなよっていうか、ベストは自分にだけ見せてほしいっていうか、ていうかっていうか俺は何を言ってるんだろうね」
「……ほんとだよ。でも脚なんて、べつに見られたってねえ?」
「おおっ」

 そう言って、彼女は以前見た丈のあたりまでスカートの裾を持ち上げて、自分の脚を観察した。「水着になれば見せるわけだし」とかなんとか言っているがそういう問題ではない。俺たち男にとってスカートに隠れた素肌というものはそれだけで無条件に一見の価値のあるものなのだ。服によっちゃ見えるとか、見られても減らんとか、そういうことでは全然ない。お前はハゲとスキンヘッドを同じと思うのか。いや、違うな。それとは全然違う。俺は邪念にまみれたままなんとなく、無造作につままれたスカートの裾に自分の指を伸ばし、ぺらりとめくってみた。

「なにしてんの!?」
「いや、見せてくれようとしたじゃん!」
「普通めくる!?変態!及川くんの変態イケメン野郎!」
「褒められた!」
「前向きすぎ!」

 高三にもなり、女子相手に思い付きで行動するのは控えるべきなのだろうが、俺の中の小学生がやれと言ったのだからしょうがない。当然のごとく怒りと羞恥に頬を染め教室から出て行ってしまった彼女の背中を見送りながら、部活に行ったらみんなに今日の任務を報告をしようと思った。隊長、今日は短パンはいてました。無念です。きっと、マッキー辺りはシチュエーションも含め詳しく問い正してくるに違いない。彼女は今日から俺個人のターゲットとなったため、以後各自の検証は不要ということも告げなければ。


2014.11.4

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